癒される~! 益田ミリが漫画『スナック キズツキ』に込めた思いとは?
小さな傷を癒す絆創膏のような場所。
今年発売された益田ミリさんの描き下ろし漫画『スナック キズツキ』。日々ホコリのように、心の中に降り積もってしまう苛立ちやモヤモヤを抱えた人々を丁寧に描き、ささくれだった心を包み込んでくれると話題。その癒しの秘密について、益田さんに聞いた。
「スナックキズツキとは、傷ついた人しかたどり着けないスナックです。心が傷ついたといっても、失恋のような大きな傷もあれば、何気ない会話の中で思いがけず傷ついてしまうこともあります。相手に悪気はないとわかっていても、小さな傷がじくじくと痛む。そんなとき、誰もがふいに怖くなるんじゃないでしょうか。自分も知らぬ間に誰かを傷つけているかもしれないと。傷ついたり傷つけたり。そんな不安定な日常の中で、ふらりと立ち寄れるスナックを描いてみたいと思いました。問題が解決するわけではなくても、絆創膏のような役目になればいいなぁと」
益田さんの作品は、見ないふりをしている感情に寄り添って風通しをよくしてくれるが、スナックキズツキもそんな“場所”となっている。そして、年齢も立場もさまざまな人がやってくる。
「日常の中でどんなことに傷ついているだろう? と考えて、『軽く扱われた』と感じるときが多いんじゃないかなと思ったんです。登場人物のひとりにコールセンターで働くナカタさんという女性がいます。彼女は彼氏と居酒屋で食事をしているとき、いつも自分ばかり質問していると気づきます。『今日は忙しかったの?』くらい聞いてくれてもいいじゃないかと思う。そしてアダチさんという販売員の女性もまた、お客さんに偉そうにされたり、同僚にいいとこ取りをされたり、いつも自分が損をしていると感じてしまう。気にしなければいいと思っても、そうもいかないのが人間。軽く扱われて傷つくエピソードから、さまざまな登場人物が思い浮かびました」
また、ここはスナックなのにお酒を置いていないのもユニーク。
「作中の会社員の男性サトちゃんは、お酒が飲めない体質です。なので話を聞いてほしいと思うような夜でも、同僚と飲みに行くこともできません。私自身もスナックに行った経験って数えるほどなんです。お酒が強くないというのもありますが、なかなかひとりで行きにくい場所です。前を通ったとき『この中はどうなっているのかな?』とよく想像し、カラオケなんかが聞こえてくると『ああ、今この中で嫌なことを忘れて歌っている人がいるのかもなぁ、よかったなぁ』と安堵する気持ちがありました。スナックにかねてから憧れがあったのかもしれません」
私たちの周りにも存在するスナックキズツキ。
スナックキズツキのママは淡々としていて、一見するとぶっきらぼう。だけどその距離感が、傷ついた人に心地よかったりもする。
「友達に愚痴を聞いてもらいたいときってありますよね。だけどときには聞いてもらったことで、かえって傷口が広がることもあります。ママは、傷ついてやってきたお客に何も聞きません。けれども人って案外『ちゃんと聞いているよ』という姿勢だけでうれしいものじゃないかなと思ったんです」
あれこれ質問しない代わりに、歌わせたり踊らせたり。お客さんはママの誘導に最初こそ戸惑うものの、さまざまなアクションに乗せられて気持ちを吐露し、思いのほかすっきりして店を後にする。
「湯船の中ででたらめな歌を歌うことってないですか? 私はあります(笑)。適当に節をつけて『あ~ほんと~疲れちゃったな~』みたいな。スナックキズツキに来店する人たちも、つかの間そういう素の自分になってほしかったんです。スナックキズツキは傷ついた者しかたどり着けない。ということは、ママもまた傷を負ってたどり着いたひとり。だからこそ傷ついた人に寄り添えるんだと思います。店で出すホットココアも、牛乳で練り、とても丁寧に作ります。丁寧に作ったものを受け取った人は、自分が丁寧に扱われていると感じ、安心するんじゃないかなと描きながら思いました」
スナックキズツキを訪れたからといって問題が解決するわけではない。でも傷つけ合う連鎖にいた登場人物たちが、お礼の電話をかけたり、家族のためにココアを淹れてみたり。来店後に、足取りが軽くなって、誰かを気にかけられるようになる様子が描かれているのも、読者の心を明るくする。
「ひとつの傷が癒えても、また新しい傷はできるもの。登場人物たちも元の場所に戻っていくので、傷つけ合うことからは逃れられないかもしれません。ただ、スナックキズツキという“手すり”が彼らにはできた。何かあればまたここに来よう、と思える場所があるのはよいものです。現実の私たちにとっての手すりは、スナックキズツキのような“場所”に限らず、本を読んだり、映画や芝居を観たり。そういうものすべてなんだと思います」
自分ならどうしてほしい? その視点が優しさを生む。
コロナ禍で外出や出会いが制限される中、心にじわじわダメージを受けている人も多い今、益田さん自身はどう心を整えているのか。
「初めての経験で戸惑う日々ですが、私は最近、海外旅行記をよく読んでいます。読書をしている間、心の中だけはのびのびと自由でいられて。先日、小林聡美さんの『キウィおこぼれ留学記』を読んで寝たら、ニュージーランドに行く夢を見ました。飛行機代もいらない海外旅行ができました(笑)」
危うい日常の中で人とのコミュニケーションで大切なことは、自分ならどうしてほしいかを考えること、と益田さんは言う。
「悩み事を相談されるとアドバイスをしたくなりますが、自分に置き換えてみれば、ただ聞いてほしいだけということもあります。とにかくまずは聞く。そうできたらいいなぁと思います。『気持ちを聞いてくれた』。それだけでも元気が出るものだと思うので」
癒しのポイント1
アルコールなしで「お疲れさん」と言ってくれる。
スナックはお酒を飲む場所というイメージが強いが、ここはアルコール類は一切なし。「そうすることで、お酒が飲めない人でもふらりと寄れる場所になればいいなと考えました。傷ついた若い女性も、高校生のお母さんも、あるいは高校生だって来店できます。傷つくことに性別や年齢は関係ないので、いろんな登場人物を描こうと思いました」
癒しのポイント2
自然と吐露できる心地よさ。
「なぜ今こんなことを!?」と思うようなアクションを通して、来店者は素の状態に。「そのためにはママも素でいることが重要で、お客と一緒に歌ったり、踊ったりするときにも躊躇してはいけないと思いました。『あなたのことを私は絶対に笑ったりしない』という強いメッセージが必要ではないかと」
癒しのポイント3
前の物語で傷つけた側の人が次の物語で傷ついた主人公に。
惣菜屋でクレームを言ったカホは、販売員のアダチさんを傷つけた人として登場するが、その後、息子に言われたひと言で傷ついた主人公としても再び登場する。「傷つかず、傷つけずになんて仙人のようには、なかなか生きられないもの。ただ自分が傷ついたときに、自分も誰かを傷つけているかも、と思うことはできるかもしれません」
『スナック キズツキ』 都会の路地裏にあるらしい、傷ついた者しかたどり着くことのできないスナックが舞台のオムニバス。共感が心の救いになる、7年ぶりの描き下ろし漫画。小社刊 1430円
ますだ・みり イラストレーター。本誌連載中の『僕の姉ちゃん』(小社刊)はシリーズ第4巻まで発売中。近著に『沢村さん家のたのしいおしゃべり』(文藝春秋)など著書多数。
※『anan』2021年6月23日号より。写真・中島慶子 イラスト・益田ミリ 取材、文・兵藤育子
(by anan編集部)