「どうでもいいけど」文・永井玲衣

ひとびとと集まり「つながり」をテーマに問いをたて、一緒にききあいながら考える対話の場をつくったことがある。「そもそもひととつながっているって、何をしている状態?」「他のひとと他のひとのつながりを気にするのってなんで?」「人間以外のものにもつながりは生まれるの?」「なぜひとはつながりたいと思うの?」など、おもしろい問いがたくさん出た。
「相手と自分のつながりあう気持ちに差があったとき、どうしよう?」という問いをスタート地点に掘り下げていくことに決まり、あれやこれやと一緒に考えた。その場は、はじめて会うひとばかりだったが、なぜだかずっと前から知り合いだったのではないかと思えるほど、ゆったりとした時間が流れていた。
そこでどんな対話の内容になったかは、ここではくわしく書かない。あの豊かで、それぞれの中でたくさんのことが起こっていた対話を、わたしが簡単にまとめてしまうことは、したくないと思う。もし気になったのならば、ぜひ対話の場をあなたがひらいてほしい。「つながりって、コントロールできないんだな」と、対話の中で誰かがぽつりとこぼした。つながるのはむずかしい。だが、わたしたちは簡単につながることもできる。そのつながりを、好きに切ったりつないだりできるような錯覚を持つこともあるが、そんなに簡単ではない。
そこから思い出すことがある。もう10年以上前、海外に住む友人が、恋人と来日したので会おうと言う。恋人は南アフリカ出身のガタイのいい男性で、ザンダーという名前だった。わたしは英語(あるいはドイツ語)を話すことができず、ザンダーは日本語を話すことができなかった。友人は面倒くさがって、わたしたちの日本語の会話を、相当な省エネでザンダーに英訳しており、彼は基本的に微笑んで友人の隣に黙って座っていた。
わたしたちはまだ学生で、話すこともそんなになかった。日本の何に関心があるかとたずねたら、ザンダーは「住宅街」と答えた。いわゆる観光地よりも、ひっそりとした家々が並ぶ道を歩きたいという。いいひとだな、とわたしは思った。
それからわたしたちはInstagramで友人を介し、相互フォローになった。だが、すぐに友人とザンダーは別れてしまった。彼はゆかりのない日本に二度と来ることはなく、友人はまた別の人生を生き、大人になった。
あれから10年以上たった今。Instagramをひらくと、ザンダーがいる。海に行くザンダー。金髪の恋人を肩車するザンダー。大自然の中を仲間と歩むザンダー。そしてザンダーのたくさんの友だち。ザンダーの友だちの結婚式。肩を組むザンダー。もはや記憶がおぼろげで、どれがザンダーなのかわからない。またザンダーの友だちの結婚式。たぶん、ザンダーの結婚式。そうか結婚したんだね、おめでとう。あ、こっちが結婚式かもしれない。参列するザンダーなのか、新郎のザンダーなのか、わからない。でも、ザンダーはわたしの知らないどこかで生きている。
これは、ザンダーにとっても同じことだ。釜ヶ崎でおじさんたちと踊る永井、疲れている永井、見知らぬアジア人たちと遊ぶ永井、何かを告知している永井。わたしたちは、互いに一度も「いいね」を押し合うことなく、だからといってフォローを外すわけでもなく、互いの投稿やストーリーを見ている。もう二度と会うこともないだろう。だが、わたしたちは互いの存在を知っている。「つながりって、コントロールできないんだな」という誰かの言葉がよみがえる。ザンダーとわたしはつながってしまった。たとえわたしがフォローを外したとしても、ザンダーとのつながりは消えない。電車に乗っていて、窓から住宅街が見えたとき、ふとザンダーを思い出してしまう。だが別にメッセージを送るでもない。
対話の場でも、居酒屋で一度会ったひととInstagramでつながってしまい、それどころか、なぜか相手が自分を「親しい友だち」に入れており、知らないひとびとのBBQの様子などをずっと見ていると話してくれたひともいた。「めちゃくちゃどうでもいいんです」とそのひとは言っていた。でも嬉しそうだった。よくわかる。わたしの人生とザンダーの海辺は関係がない。なのに、つながりを感じてしまう。
いらぬ関係を断捨離しようとか、つながろうとかいう言葉がよく聞こえてくる。大事な局面もあるが、やっぱりそう簡単に左右しようとしてできるものではない。気がついたら生まれてしまっているつながり。濃密なつながりではない。偶然的に、すでにうっすらと生じているものだ。あまりに頼りなく、もろい。だがそれもわたしはつながりなのだと言いたくなる。地球の反対で、ザンダーはいま何をしているだろうか。そう思うと、まだ見えてきていないつながりの気配も感じられるような気がするのだ。
PROFILE プロフィール
永井玲衣さん
ながい・れい 1991年、東京都生まれ。全国各地で、人々と考えききあう場である“哲学対話”をひらく。著書に哲学エッセイ『水中の哲学者たち』『世界の適切な保存』など。
anan 2436号(2025年2月26日発売)より