鍵の一つに先達の妖怪文化人たちの存在がある。幼い頃から“妖怪感度”が高く、身の回りに目に見えないものたちの存在を感じていたという生い立ちから展示はスタート。妖怪たちと再び邂逅したのは左腕を失い、生死の淵をさ迷う過酷な従軍経験を経て復員した後。東京・神田の古書店街でのことだったという。
このとき出合った書籍が、江戸時代の浮世絵師・鳥山石燕(とりやま・せきえん)の画集『画図百鬼夜行』や昭和初期の民俗学者・柳田國男の著作『妖怪談義』だ。石燕の妖怪画を目にしたとき、これまで感じていた存在がそのまま描き出されていることに驚き、「やっぱり妖怪はいたんだ!」と感動したという。これをきっかけに現代の妖怪絵師としての才能が花開いていく。
「水木しげるが妖怪とどう向き合ってきたのか、順を追ってわかりやすく展示されています。特に水木が大きな影響を受けた『画図百鬼夜行』『妖怪談義』の展示は必見です」
と水木プロダクションの原口尚子さん。これらの資料からわかるのは、水木さんが昔の人が感じた「お化け」の形を大切にしていたということ。
例えば『画図百鬼夜行』に登場する「垢嘗(あかなめ)」、浮世絵師・歌川国芳が描く『相馬(そうま)の古内裏(ふるだいり)』に登場する巨大な骸骨など、先達の絵師たちが描いた妖怪の姿形を尊重し、ほぼそのまま活かしている。伝承として言葉だけで残る妖怪の場合は、さまざまな資料にあたって、丹念にその姿を浮かび上がらせたという。お馴染みの妖怪、「砂かけ婆」の表情が地方に伝わるお面を見て「これだ!」と決まったという具合に。
一方で「怖いだけではダメ」、と常々言っていたというように、よく見ると目元がかわいらしいなど、愛嬌があるのも水木さんの描く妖怪の魅力。会場では妖怪画の原画が100点以上、展示される。たくさんの妖怪たちに会えることに加え、肉筆に触れることで新しい発見もありそうだ。原口さん曰く、
「リアルな背景を描くことで、『妖怪がそこに存在している』という実存感を出そうとしていました」
Gペンで丹念に描きこまれた陰影、墨汁が醸し出す漆黒の味わいなど、妖怪絵師としての画力もじっくり味わいたいところ。
妖怪画を描くたびに心の中で「この形でいいでしょうか」と、その妖怪にお伺いを立てていたという水木さん。その心は妖怪を描き出すことより、その存在を現代に蘇らせることにあったという方が正確なのかもしれない。会場を後にする頃には、妖怪たちの存在がリアルに感じられるほど、私たちの妖怪感度も高まっているに違いない。
一反木綿
一反(約10m)ほどの白く長い布のようなものが空を飛び、時には人を襲うこともあるという。鹿児島県に伝わる妖怪。
©水木プロダクション
海坊主
全国各地の海上に現れる妖怪。姿を見て驚いて叫ぼうものなら、たちまち船はひっくり返されてしまうため、船乗りたちから恐れられた。
©水木プロダクション
がしゃどくろ
埋葬されなかった者の骸骨や怨念が集まり、巨大な骸骨となってガシャガシャと音を立ててさ迷う。幕末の浮世絵師・歌川国芳の作品を参考に。
©水木プロダクション
あかなめ
鳥山石燕が描いた『画図百鬼夜行』にも登場する妖怪。長い舌で風呂桶の垢をなめるといわれ、つまり風呂掃除をさぼっていると現れる!?
©水木プロダクション
みずき・しげる 1922年生まれ。鳥取県境港市で育つ。太平洋戦争時、激戦地だったパプアニューギニアのラバウルに出征。爆撃で左腕を失う。復員後、紙芝居作家を経て漫画家に。妖怪研究家としての顔も持つ。代表作に『ゲゲゲの鬼太郎』『日本妖怪大全』など。2015年没。
水木しげる生誕100周年記念 水木しげるの妖怪 百鬼夜行展~お化けたちはこうして生まれた~ そごう美術館 神奈川県横浜市西区高島2‐18‐1 そごう横浜店6F 1月20日(土)~3月10日(日)10時~20時(入館は閉館の30分前まで) 会期中無休 一般1600円 TEL:045・465・5515
※『anan』2024年1月24日号より。取材、文・松本あかね
(by anan編集部)