大橋純子「あと20年早かったらなぁ… (苦笑) 」 かつてのアルバムが再評価!?

エンタメ
2022.07.09
人生の先輩的女性をお招きし、お話を伺う「乙女談義」。7月のお客様は、大橋純子さん。若き日の大橋さんは、とにかく行動的。夢に向かって動くことで未来を切り開きました。そして今かつての作品がシティポップとして話題に! 第2回目をお届けします。

あらゆる挑戦をした結果、歌の道が見えてきた。

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20代の私のモットーは、“思い立ったらとにかく動く。失敗したら潔く戻る”。その気持ちでぶつかっていったのが、その締め切りの翌日に知ったラジオDJのオーディション。ラジオ局に直接電話をし熱意を伝えたら、なんとラッキーなことに抜擢! 今考えると、私、相当心臓強いなって思いますが、それこそが若さですよね(笑)。

実は小学生のときはマンガ家になりたかったし、中学生のときは画家に憧れて絵を描いていました。札幌に出てからは、広告関係の人に頼んで原稿を書かせてもらったり、ファッション画、ラジオの台本にもチャレンジしました。でも正直いずれも「才能はなかった」と諦める結果に。その事実だけを見ると残念ですが、だからこそ、“歌を歌う”という夢が残り、そこへの気持ちが強いものになったのかもしれません。みなさんも20代のうちはぜひいろんなことに手を出してみてください。駄目だったら次に行けばいいんです。

時を超え、シティポップとしての評価は…。

卒業後上京した私は様々な縁に導かれ、’74年にメジャーデビューの夢が叶いました。初期で思い出深いのは、’77年に大橋純子&美乃家セントラル・ステイション名義で出した3枚目のアルバム『RAINBOW』。当時のディレクターさんにお願いをして作らせてもらった、バンドで録音した記念すべき1枚目。若さと勢い、当時の才能のすべてが注ぎ込まれていると思います。これを超えるアルバムを作るのに、ずっと難儀しています(笑)。でもこの作品、正直そこまでヒットはしなかったんです。しかしそれが今、“シティポップ”といわれ、若いみなさんや世界の音楽ファンに評価をしていただいていて、とても嬉しく思っています。

でもまあ本当の気持ちを言うと、この評価があと20年早かったらなぁ…(苦笑)。ただ、私のやりたかった音楽は間違っていなかったんだな、とも思います。いろいろ遠回りもしましたが、良かったです。

※写真は、20代当時のライブ写真。令和の20代より、圧倒的に大人っぽい魅力にあふれています…。

おおはし・じゅんこ 1950年生まれ、北海道出身。『たそがれマイ・ラブ』や『シルエット・ロマンス』などのヒットを飛ばす。7/15、松崎しげるさんや渡辺真知子さんらと「江戸川音楽祭2022」に出演予定。

※『anan』2022年7月13日号より。

(by anan編集部)

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