3D映画のような描写で音楽を楽しむ…恩田陸『蜜蜂と遠雷』
「第5回浜松国際ピアノコンクール最高位は予備審査から上がってきた無名の青年。その後、権威あるショパン国際ピアノコンクールでも優勝したという逸話に興味を覚え、本腰を入れてコンクールを書いてみたくなりました。取材開始から連載終了まで12年もかかるとは、さすがに思っていませんでしたが(笑)」
演奏技術とスター性を併せ持つ名門音大生のマサル。天才少女と呼ばれながら地獄を見て戻ってきた亜夜、<生活者の音楽>を標榜する明石。そして、正式な音楽教育を受けたこともないのに、伝説の音楽家から「ギフトでもあり劇薬でもある」と推薦された、主人公の塵(じん)。特別なきらめきを持つ演奏家たち4人を軸に、審査員、調律師、コンクールを取材するジャーナリストたちが、音楽や表現、才能について、それぞれの思いを吐露していく。
天才対決の物語といえば、恩田さんには、タイプの違う女優がオーディションで才能の火花を散らす『チョコレートコスモス』もあるが、
「異能の天才は一種のモンスターとして描きがちなので、本作ではそうならない人物造型を意識しました」
実際、塵は、愛さずにはいられない無垢な野生児のよう。才能をテーマに据えると、嫉妬や挫折などでどろどろしていく作品も多いが、本書では塵をはじめ、本当の天才は他者の天才性を素直に認め、他者の音楽もまた言祝(ことほ)ぐのだなあと思う。残酷に勝敗はついていくのに、勝ち残る者も落ちた者も何かをつかんでいく。その姿が爽やかだ。
耳の芸術である音楽をどう文章で表現するか。もっとも腐心したのは、演奏の書き分けだったという。一編の詩に喩えられる描写もあれば、3D映画を彷彿させる描写も。
「コンクールの演奏を登場人物の個性に合わせてバリエーションをつけていくのが大変でした。ただ、音楽はその人の頭の中で自由に鳴らしてもらえるので、無限の可能性がある。また、弾いているときの心情や緊張感などは小説でしか書けないことです。小説は案外、音楽と相性がいいのだなと思いました」