向いていないところのほうが、宝物は落ちている
「AAAというグループは、向いているわけではありませんでした」。そんな衝撃的な言葉から始まったインタビュー。
「AAAの音楽は、自分がそれまで聴いてきたものとはだいぶ違ったので、適性があったとは、今でも思っていません。ただ、自分が持っているいくつかのファクトを使えば、求めてもらうことができるというのは発見でしたし、必要としてくれた人がいたことにはとても感謝しています」
SKY-HIさんがAAAのメンバーとして歩みながら感じていたこの感覚は、エンターテインメント界以外でも置き換えられる。
「営業で現場に出たいのに人事に配属されたとか、希望ではない場所で働かなきゃいけないことって、あると思うんです。でも、希望ではない、自分に向いていないと思っていた場所で、必要としてくれる人が見つかったり、自分の希望が叶った時、それまで学んだ知識や経験が活かせたり。それって、結構“あるある”じゃないですか。適性に早い段階から依存してしまうのはもったいないですよ。向いてない、希望していないところに、自分を輝かせてくれる人や経験という名の宝物が落ちているのに。ただ、『こんなことやりたくない…』と思いながらだと、ネガティビティが支配してしまい、そこにある宝に気づけず、変わるチャンスを逃してしまいます」
年を重ねるにつれ、自分に秘められた新たな才能と出会えるチャンスは減っていくのでは? そう質問すると、むしろ逆だという。
「才能って、生まれた時から持っているか、どこかから突然降ってくるように思いがちですよね。このイメージはスポーツ選手に顕著で、超一流選手ともなれば、99%の努力に加えて、おそらく天性の肉体的な才能が1%必要になるのでしょう。そのことに僕らは日々ニュースなどで触れているので、才能がとてつもなく尊くて、得難いものに見えてしまうんですけど、そうした特別な例を除けば、僕は“才能=適性×時間”だと思うんです。この世に生まれてきた人には誰にでも何かしら適性があり、そこに費やしてきた時間を掛けたものが才能。つまり、才能を発揮するには、年齢という係数を掛けなければならず、経験が有利に働くはずなんです」
“才能=適性×時間”を裏付ける、SKY-HIさんの身近な実証例に、自身の母親の存在がある。
「子ども3人をほぼワンオペで育ててくれて、家事に育児に、相当しんどかったと思います。その母が50歳を越えて、子どもに手がかからなくなったので、病院の事務として初めて就職して、英会話教室も開いたんです。70歳になった今、ジムの会員になって体を鍛え始めました(笑)。僕やBE:FIRSTのライブに行って踊りたいからって。僕の体験を踏まえてみても、10代、20代の挑戦よりも、いろいろなことを見知った30代になってからの挑戦のほうがはるかに楽しいですし、40代、50代と、今の経験を踏まえてまた新しい挑戦を続けて、そのたびに新しい自分に出会えるんだと想像すると、年齢を重ねることがものすごく楽しみになります。まだ知らない自分っているんですよ、絶対に!」
SKY-HIができるまで
2005年…AAAとしてデビュー
裏方志望だったが、それまでの経験を買われ、男女混合パフォーマンスグループ「AAA」のメンバーに。本名の日高光啓として活動。
2006年…ラッパーとしてクラブシーンへ
クラブに通い、フリースタイルやMCバトルに参加。ラッパーとしての実力を磨く。「リキッドルームに初めて出た時は震えました」
2013年…ソロデビュー
’12年、レーベル「BULLMOOSE」を立ち上げる。’13年8月、満を持してシングル『愛ブルーム/RULE』(avex trax)でメジャーデビューを果たす。
2017年…SKY-HIとして武道館公演
「SKY-HI HALL TOUR 2017 ~WELIVE~」を13都市15公演開催。そのファイナルとして、日本武道館のステージに立つ。
2020年…会社設立へ
「BMSG」のCEOに。BMSGは、“Be My Self Group”の頭文字。私財1億円を投じて、オーディション「THE FIRST」を開催。
スカイハイ 1986年12月12日生まれ、千葉県出身。2005年、AAAメンバーとしてデビュー。ソロ活動は“SKY-HI”名義で行い、昨年アルバム『八面六臂』を発表。自らが発掘したボーイズグループ「BE:FIRST」のプロデューサーとしても注目を集める。
※『anan』2022年2月2日号より。写真・田形千紘 ヘア&メイク・椎津 恵 取材、文・小泉咲子
(by anan編集部)