連載「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「大統領選挙とメディア」です。
大衆とメディアの関わり方が変わる契機になった。
第45代アメリカ大統領はドナルド・トランプに決定し、1月20日に就任式が行われます。昨年11月の大統領選挙は、ヒラリー・クリントンが僅差で勝利するだろうという大方の予想を裏切り、トランプが大勝しました。メディアは何を見誤ったのでしょうか。
結果を予想するときにメディアが参考にするのが、世論調査やSNSのデータです。今回、SNSのビッグデータ解析では、トランプに対して厳しい意見が目立ち、ヒラリーには温かい表現が多いと判断されました。世論調査は質問の仕方によって回答が左右されるときもあるので、自発的に発信されたSNS上の言葉のほうが真相に近いと思われていました。でも、結果は逆。そこからわかったのは、TwitterやFacebookに書かれていることが必ずしも本心とは限らないということ。実際、「トランプ支持者である」と公言しにくい空気もありました。
また、メディア側の報道も、話題になりやすい、トランプの暴言やスキャンダルばかり取り上げていました。トランプはメディア不信を訴え、自らの政策をTwitterで発信。ヒラリーが聞こえのいい理想論しか発信しないのに対し、トランプはプライベートな言葉遣いで、反エリート層に直接響くメッセージを投げ続けたのです。
結局、メディアに携わる人たちも高学歴高収入の恵まれた層。日々、本当に苦しんでいる大衆の真の姿に気付けませんでした。「トランプが大統領になるわけがない」という驕った姿勢もあったのかもしれません。僕自身、ジャーナリストとして真相を見抜けなかったことに自戒の念を抱いています。
メディアは大衆の信頼を失いました。問題はここからです。体力あるメディアは、真の報道を伝えようと努力するでしょうが、逆に、視聴者や読者を引きとめようと、大衆が喜ぶ番組、記事を増やす媒体が増大する可能性もあります。受け手は、報道の真実を見抜く力が問われているんですね。このコラムだって、限られた字数である一面しか伝えることができません。記事を鵜呑みにせず、切り取られた外側も想像し、自分なりの意見を持つことが、踊らされない唯一の方法だと思います。