
鈴木涼美『ノー・アニマルズ』
鈴木涼美さんは、東京大学大学院で社会学を専攻。新聞記者経験を経て、作家の道へ。学生時代にはセクシー女優やキャバクラ嬢などの経験もあるという異色の経歴の持ち主です。社会学的、自伝的なエッセイのほか、小説も多く発表しており、中でも、『ギフテッド』『グレイスレス』は芥川賞候補にもなりました。そんな鈴木さんの最新刊が、早くも話題です。取り壊しの決まっている老朽化したマンションに暮らす人々を見つめながら、何を思っていたか。鈴木さんに、本書に込めた思いをうかがっていきます。
物語の舞台は、2025年に取り壊し予定の築40年を超える古いマンションだ。そこに関わる6人と、1階に入っているコンビニ店員が、章ごとに語り手を務めていく。
コンカフェで働きながら、5つ年上の絵描きの誠を半ば養っている28歳の芹。妻子と別れたビストロ店主・博隆とつきあっているフリーライターの鮎美は、43歳のバツイチだ。両親の不機嫌をうまくケアし、弟たちの世話も焼く8歳の長男・李一や、シンママとふたり暮らしする中でいちばん許せないのは、母の恋人のブサイクな顔とふるまいという17歳の高校生・羽衣もいる。33歳の春樹は、ちょっと関係を持ったことがある〈セリ〉や接客している女性たちを観察して、脳内であれこれ考えているホストで、そのマンションに実家がある。さらに、かつて同じように女優を志していた女性とルームシェアしている39歳の有希子や、現状維持でこのまま何年も過ごしたいと思っている26歳のコンビニ店員・ジュン等々。住人たちは立ち退くよう求められているが、腰は重く、なんとなく日は過ぎていく。
「スキャンダラスな不幸に陥っているわけではないけれど、自分の人生にそれほど満足していなくて、なんとなくくさくさしている。もうちょっと華やかな世界に行きたいと思っているものの、そのために努力するようなキラキラした日常でもない。Web(ホーム社文芸図書WEBサイト「HB」)連載を始める前、そんな女の子がまず浮かんだんですね。動物なら、お腹いっぱいになったり安心してよく寝られたりすれば十分なのに、それでは真の意味では満たされないというのが、やっぱり動物とは違う、人間の人間たるところでもあるなと思っています」
億ションに住んでいても、自分が18階なら、40階や50階の住人を羨んだりするのは人間ならでは。
「実は作中のマンションにはモデルがあるんですよね。私が小さい頃に住んでいたのが親戚が持っていた建物で、都心からそう遠くなくて、最寄りの駅からは近い。大人になって、住んでいた別のマンションの管理組合理事をやったこともあるのですが、そういった経験から『マンションって本当にいろいろな価値観の人が住んでいるのだな』と感じたことは大きかったように思います。登場人物には、私が昔出会ったことがある人の名前を使わせてもらったりしているのですが、それ以外ではこれまでの作品と比べると、私小説的な側面はあまりない。私の考え方や価値観とは近くない人たちの物語という感じです」
自分にも覚えがあった焦燥感
女性なら一度は迷う
ある場所に集う多彩な人々が交錯する群衆劇を、グランドホテル形式と呼ぶ。かくて鈴木さんは、本書で初めてそのスタイルに挑んだ。
「女性たちの話は、いつも私自身の経験や友達の話などを反映して書くんですけれど、男性の話は、誰かの恋人だったり雇い主だったりする背景でしか書いてこなかった。今回は同じマンションに住む一つ一つの部屋が主人公になっています。集合住宅だからこそ、いろいろな価値観の人がいて当然だと思うし、必ずしも私が共感する子でもないのですが、今回は年齢性別関係なくなるべく平等にフォーカスしていくことを意識しました」
本書には、トレンドやブランド名など、固有名詞が多く登場する。そこがリアリティにひと役買っている。
「エッセイでは、私は時代の風俗性やブランド名を結構入れるんですね。たとえば、〈ロレックスつけてた男なんだけど〉と書くと、そこにその男性のキャラクターが少し見えてくるというか、私と読者との間に一種の了解が生まれる。そういうものとして意識的に固有名詞を使ってきたのですが、小説のときは固有名詞に頼らずにかなり言葉を割いて説明していくようにしてきました。ただ今回は時代設定もはっきりしている作品なので、逆に、なるべく時代を表すようなものは入れていこうと考えました。たとえば、芹はシャネルは持っていないけれどマイケルコースは持っている、みたいな描写でキャラを立てていくのは便利だし、そういうのを考えるのは楽しかったです」
アンアン読者であれば、特に気になるのが403号室に住む、卵子凍結を決めた有希子のストーリーではないだろうか。
「連作短編の中で、私といちばん年が近いのは有希子で、私の同級生たちの間でも39歳のころに『どうするか』と盛り上がったんですよね。『40になると病院によっては推奨してないらしいよ』『やるなら今年中だよ』みたいな感じで、実際に卵子凍結した子も何人かいたんですよ。私も『別に子供欲しいわけじゃないけれど、可能性をゼロにする勇気もなくて、やった方がいいのかなとか一応調べたりして。私は結局、腰が重くてやりませんでしたが、排卵コントロールと点眼薬の関係など調べる中で知ったトピックが興味深かったので、題材としても書いておきたいなと思ったんですよね」
人間は簡単には成長しない
だからこそ面白い
本書の大団円に当たる7話めで、ジュンが独りごちるこの言葉が、登場人物たちをよく表している。〈幸福とわざわざ名前をつけて呼ぶほどではないが、満足ではある〉。
「出てくる人たちはみな停滞していて、少しでも上に行きたいという漠然とした欲望はあるのに、どうしたらいいかはいまいちわかっていない。それでも、せいぜい韓国コスメを買い漁ったり、こたつを欲しがったり、犬を飼いたいと考えたり、“いま”を埋めてくれそうなもので気を紛らわしています。多くの人は離婚したいと言いながら離婚しないし、転職したいと言いながら同じ仕事を続けているわけですが、人はそんなに簡単に成長しないから、ビルドゥングスロマン(成長小説)がしっくりこないときもあります。そんなときに読んでもらえたらうれしいです」
ラスト、ジュンは働いているコンビニで、女性客ふたりのこんな会話を小耳に挟む。
〈「人間の子どもより大人しくって手のかからない動物なんていっぱいいるのにね」〉
〈「そんなこと言ったらあんた、人間だって動物だしね」〉
表題の〈ノー・アニマルズ〉の意味をいまいちど、噛みしめたくなる。
Profile
鈴木涼美
すずき・すずみ 1983年、東京都生まれ。作家。修士論文を書籍化した『「AV女優」の社会学』、芥川賞候補になった小説『ギフテッド』『グレイスレス』、その他『YUKARI』など、著書多数。
Information
『ノー・アニマルズ』
33歳のホスト、43歳のフリーライター女性、26歳の男性コンビニ店員など、さまざまな年代、境遇の人間の本音が垣間見える7編を収録。ホーム社 2090円
anan 2449号(2025年6月4日発売)より