MANNISH BOYSは斉藤和義さんと、ドラマーの中村達也さんが、意気投合して結成したユニット。多くのアーティストからリスペクトされる二人の作る音楽は、ジャンルも多種多彩。批評精神に満ちたメッセージソングからラブソングまで、ベテランならではの惚れ惚れするような熱い音楽を聴かせてくれる。やっと好きなことが自由にできるように。
「ある飲み会で出会って、すぐに和ちゃんのソロアルバムに参加して一緒にやろうということになり、ひと儲けしようとしているプロジェクトなんですよ(笑)」(中村)
「以前は怖そうな人だと思っていたけど、話してみたら優しい人でホッとした(笑)。レコーディングとは別の機会にスタジオに入り、二人でジャムり倒していたら、すごく楽しかったんですよ」(斉藤)
何の決め事もなく、自由に楽器を鳴らしてセッションを続け、高揚した気分のまま結成したのがMANNISH BOYSだという。期間限定バンドと思いきや、新作のリリースが続き、フェスへの参加や全国ツアーもきちんと行ってきた。先月、待望のサードアルバム『麗しのフラスカ』もリリース。
「達つぁんのいたBLANKEY(JET CITY)は、どうせカッコいいんでしょ、って、あまり聴かなかったんだよね」(斉藤)
「コラコラ(笑)」(中村)
「影響を受けそうだったからね。だけど解散後に達つぁんがLOSALIOSというジャムバンドをはじめたころ、オレも同じようなことをやっていたので嬉しかったし、勇気をもらいました」(斉藤)
斉藤和義という名前で活動する限り、やはり歌ものを求められるし、好きなようにできないこともままあったとか。その調整か、いわば“表”の斉藤和義とは別に、“裏”では海外のミュージシャンとセッションしたり、インスト作品の音源を作ったりもしていた。
「いつか一緒に達つぁんとジャムれるかも、と何となく思い描きながらきてて、いざチャンスが来たら、その思いが爆発したかのようだった」(斉藤)
「それは初耳です。うまいこと言ってくれてありがとう。オレの場合は、音楽に関しては仕事でやっているという意識がなくて、18で社会に出て以来、ずっと“休み”だと思ってきたわけ。最近になって、これは仕事だから我慢しようとか思うようになり、なんか大人になったみたいで、これでいいんだろうかと悩む毎日(笑)」(中村)
「出会ったのはちょうど震災の直後で、当時は『こんな時期に音楽なんて』って風潮があって。そんなときにはじめて一緒に音を鳴らして、精神的に解放されたのも、すごく大きかった」(斉藤)
「アルバム作るから詞を書いてよ、と言われて頭抱えたんだけど、いつも不平不満とか、怒りやしょんぼりした気持ちとか、そのとき飛び散った感情を、スケッチブックに全部書いてるのね。それを和ちゃんがちゃんと歌詞にまとめてくれて嬉しかったな」(中村)
「ずっと歌詞を書いてきたけど、やっぱりボキャブラリーには限界がある。スケッチブックにあった言葉や絵は、全く自分とは違うものだったし、オレはただ交通整理するだけでしたよ。歌詞は全て共作にしています。このバンドは歌詞もサウンドも全て共作することで成り立っていると思う」(斉藤)
「うん。斉藤和義さんというちゃんと確立された個性があるポピュラーな人に、書き散らかしたものを『それいいじゃん』と言われると救われた感じになった。オレなんかどうせダメじゃんと思ってきたからさ。救われて、最近はちょっと調子に乗ってきてる」(中村)