町のアイデンティティを取り戻す、“もう一つの海岸線”。
「景色の半分は壁で半分は海。海岸線と地続きだった土地が変貌していく様子が衝撃でした」
宮城県石巻市雄勝町は東日本大震災で甚大な津波の被害を受けた。現在は高さ10m、距離3.5kmの防潮堤が海と町とを隔てている。ここで髙橋さんはある経験をしたという。
「防潮堤の前に立つととても静かで波の音が聞こえない。その空間性が美術館みたいだと思ったのです」
このある種啓示めいた経験が「見えなくなった風景をアートの力で取り戻す」プロジェクトとして始動したのは2020年のこと。
「しかし、地元では防潮堤の建設に反対する声も多くありました。だから壁をよくしようという発想自体、受け入れられない人がいるのも事実。一方で子どもたちに聞いてみると、『安心する』という声も。防潮堤はネガティブとポジティブを孕むものと気づいたとき、元々あった営み、風景を描くことでもう一つの海岸線を作っていこうと思ったのです。その向こうの本当の海岸線とともに」
『THEORIA|テオリア』は、作者の安井鷹之介さんが「あなたの好きな雄勝の風景はどこですか?」という住民へのヒアリングをもとに描いた風景画がソースだ。一つの絵の中を春夏秋冬が巡り、夜明けから暗くなるまでの光がグラデーションのように移り変わる。この壁画を見た町の人は皆、自分の知る風景だと感じるだろう。そして壁の向こうの海に思いを馳せるだろう。
今後は「海沿いに生まれる大壁画群」をイメージに規模を広げていく。
「年1~2作品、制作を進めていきたいし、いろいろなコラボレーションを考えています。例えば壁画の前に移動式サウナを設置したり、美術教室をやったり。ここが盛り上がったら日本の地域の面白さ、豊かさに多くの人が気付くはず。そんな唯一無二の場所にしていきたいですね」
『THEORIA|テオリア』(安井鷹之介)
クレーンに乗り、小さな刷毛1本で2か月余りで描き上げた。
「美術館のように一定の光量ではないのが野外ならではの面白さ。空の色と続いているようだったり、雪が積もったり、東北らしい光景も」(髙橋さん) 撮影・KYON.J
『A Fisherman|漁師』(安井鷹之介) 撮影・KYON.J
制作中の安井さんが「あっちの壁には描かないの?」と地元の人に声をかけられたことがきっかけで生まれた作品。朝焼けに浮かぶ漁師の背中を描いたポートレート。2つの絵は昨年11月に完成、お披露目された。
海岸線の美術館 宮城県石巻市雄勝町上雄勝2‐22 みうら海産物店裏防潮堤 0時~24時(野外美術館につきいつでも観覧可能) 無休 無料 seawallclub@gmail.com
※『anan』2023年3月15日号より。取材、文・松本あかね
(by anan編集部)