夭逝の天才が描き切った真摯で赤裸々な人間の姿。
シーレの絵は見る人を戸惑わせるかもしれない。ゴツゴツと骨が浮き出た人体。裸の背中から伝わってくる痛々しいまでの孤独は、たった今描かれたばかりのような臨場感にあふれている。
「シーレの魅力の一つはデッサン力。見たものを瞬時に捉え、素早くはっきりした線で描く。空間の中で人物を捉え、平面に落とし込む能力は抜群でした」
と学芸員の小林明子さん。その才能は早熟で、弱冠16歳、最年少で美術アカデミーに入学。しかし伝統的な教育内容に飽きたらず退学してしまう。その後、在学中に出会ったクリムトに影響を受けて、仲間たちと芸術集団を立ち上げ、20歳を迎える頃には自らのスタイルを確立する。
「シーレは自分自身を掘り下げ、内面と向き合った画家です。西洋美術では伝統的に神話や宗教、歴史を主題として描かれてきましたが、シーレは自分が抱える孤独な気持ち、社会に受け入れられないもどかしさを人間そのものの姿を通して表現しようとしました」
シーレの絵には既視感がなく、どこかで見たポーズ、光景が描かれることはない。例えば空中に投げ出されたようにうずくまる女性の姿態。露わな下半身を衣服が辛うじて覆う。顔は見えないが、そこに見えるのは絶望、それとも恐れ、羞恥だろうか。
「独特のポーズによって、人体だけで画面を成り立たせるセンスが際立っています。それだけでなく、こうしたポーズや裸を描くのは、そこに人間の本質や真実を見出したから。性器までも描く赤裸々な表現にも挑みましたが、それを描くことで、存在の本質を表現したかったからだと思います」
人物画同様、数多く描かれた風景画にも画家の感情や思考が投影されている。ゴッホやムンクらにも通じる「表現主義」と呼ばれる所以だ。
シーレは第一次世界大戦に招集され、終戦の年にスペイン風邪によって命を落とした。享年28歳。自らを「永遠の子ども」と称し、本当にそのまま逝ってしまった。稀有な才能が遺した分身ともいえる作品を、ぜひ体感してみてほしい。
Who’s Egon Schiele?
1890年、オーストリアに生まれ、16歳でウィーン美術アカデミーに入学。1909年、仲間と共に「新芸術集団」を結成。独自の表現主義的な画風を確立した。1918年、スペイン風邪に罹り、28歳の若さで亡くなった。
アントン・ヨーゼフ・トルチカ《エゴン・シーレの肖像写真》 1914年 写真 レオポルド家コレクション Leopold Museum, Vienna
筋骨隆々とした伝統的な男性裸体像とは異なる骨ばった体、大きな関節が目を引く。とてもリアルだ。
エゴン・シーレ《背を向けて立つ裸体の男》 1910年 グワッシュ、木炭/紙 レオポルド家コレクション Leopold Museum, Vienna
20代のはじめ、シーレは家出少女を匿い、それをきっかけに逮捕されるという事件に見舞われる。その勾留後に描かれた自画像。「傷ついた姿で視線は挑発的な感じも。若者らしい繊細な雰囲気で、複雑な心境が表れている眼差しが印象的です」(小林さん)
エゴン・シーレ《ほおずきの実のある自画像》 1912年 油彩、グワッシュ/板 レオポルド美術館蔵 Leopold Museum, Vienna
シーレは体を極端にひねったり、うずくまったりしたポーズをモデルにとらせた。立ったり、横たわる姿勢の多い伝統的な裸婦像からは大きく逸脱している。
エゴン・シーレ《頭を下げてひざまずく女性》 1915年 鉛筆、グワッシュ/紙 レオポルド美術館蔵 Leopold Museum, Vienna
モデルはシーレの恋人だったワリー・ノイツェル。黒いスカーフの向こうには、神経質そうな男の顔が描かれている。男は他ならぬシーレ自身であり、彼女の悲しみの原因が暗示されている。
エゴン・シーレ《悲しみの女》 1912年 油彩/板 レオポルド美術館蔵 Leopold Museum, Vienna
「シーレは風景画もよく描きました。風景そのものという描写以上に、そのときの心境、寂しさや孤独が投影されています」。恋人ワリーと住んだ、クルマウの町。伝統的な建築の家々に暗い影が降りているようだ。
エゴン・シーレ《モルダウ河畔のクルマウ(小さな街IV)》 1914年 油彩、黒チョーク/カンヴァス レオポルド美術館蔵 Leopold Museum, Vienna
レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才 東京都美術館 東京都台東区上野公園8‐36 開催中~4月9日(日)9時30分~17時30分(金曜は~20時。入室は閉室の30分前まで) 月曜休 一般2200円ほか※日時指定予約制 TEL:050・5541・8600(ハローダイヤル)
※『anan』2023年2月8日号より。取材、文・松本あかね
(by anan編集部)