――LINEスタンプを出されたりアプリでレシピを発信したり、新しい形での活動が増えていらっしゃる印象が。失礼な言い方かもしれないのですが、“おもしろいおじさん”と思っている若い世代も多い気がします。
土井善晴:あ、そう? でもそれはそれで嬉しいです。昔は笑わないし物言わないし、それこそNHKの『きょうの料理』に出ても、じっとしゃべらないのがええ料理人、みたいな印象がありましたよね。でも、今の人たちに何かを伝えようと思ったら、それではいけないと思うんですよ。私は若い人たちのために、未来が少しでも良くなるために、いろいろなことを伝えていきたいと思っているので。
――伝えたいと思っていることとは、どんなことですか?
土井:まず、「料理することの意味」それに「料理は楽しいことが一番大事」ということかな。料理って大変と思ってほしくない。プロの料理人にとって料理は厳しいものだけど、家庭料理は毎日のことだから楽しくないと続けられないでしょう。そのためには、料理はやらされるのではなく自分がやるべきことだと自覚をする。料理をしきちんと整え、そうして、食べることです。手をかけるんじゃなくて、シンプルに料理して、きれいに整えることを繰り返し、自分でできることを続けることで、何もかも良くなります。
――11月11日公開の映画『土を喰らう十二ヵ月』で、撮影での料理を担当されました。映画に関わるのは初めてですか?
土井:はい。すごく楽しかったです。なので終わるのが寂しかったし、終わったあとしばらくはロス感がありました。いま振り返っても、いい時間だったと思います。一つのことを、妥協せず、みんなでやり遂げるという映画の仕事は充実感がありました。
――山暮らしをする初老のツトムの12か月を描いているわけですが、実際の撮影はどのくらいの時間がかかったのでしょう?
土井:最初にここ(土井先生の事務所)に監督が来てから、出来上がるまで2年以上かな。
――2年以上!! 長い…。
土井:準備に半年、撮影に1年半。新型コロナ禍での撮影でしたから、長引いたところもあるんですが…。例えば、たけのこを料理するシーンがあるんですが、コロナで撮影が止まっていた間に旬が終わってしまって、「仕方ない、来年ですね」って(笑)。12月になれば小さなたけのこは出てくる、缶詰もあるけど、それでは意味がないのです。この映画で描きたいのは、掘りたての旬のたけのこの美しさですから。それを撮るのが、この映画の一番大事なところですから、誤魔化しが利かない。途中「この撮影終わるんかな」って思いましたが(笑)。
「一体何をしたいのか」。スタートはまるで哲学問答。
――どういった経緯で、映画の料理をご担当することに?
土井:監督から、「映画の中の料理をやってほしい」というお話をいただいたんです。でも私は、先ほども言いましたが映画は経験したことがない。一方で、テレビでできなかったことが、映画でできるのかなと、期待もしますし。ただ依頼があった時点では、監督がこの映画で、どれほどの料理を撮りたいのか、料理の何を見せたいのかがわからなかった。だから最初は、「何をしたいんですか?」という問いかけから始まりました。
――難しいですね。哲学問答みたいです。
土井:料理って、全て意味があるものです。どういう人がどんな場所で、何を作るのか。季節、素材、時間、食べる相手、そして気持ち。さらに今回は、映画の中の調理時間や調理道具…。そういったさまざまな要素が関わることで、結果自ずと何をすべきか、何ができるかが決まってくるものです。映画に関しては、撮影時の季節にある素材で、どの程度それを実現しようとされているのかが、当然私にはわからない。そうした料理の根本的な意味を共有できないと、話もできないのです。なので和食や日本の食文化について時間をかけて話したり、30年以上付き合いしている山行きの友達を紹介したり、実際に自然と共に暮らす陶芸家の人たちに会いに行ってもらったり。そういうことを積み重ねて、監督やスタッフたちと価値観を共有した上で、この映画にとってどういう料理がふさわしいかを考えていきました。そうしてようやく、監督になにか1つキーワードを出してもらって、「それだったらこういうものはどう?」みたいなイメージのキャッチボールができるようになりました。
――キーワードから次に繋げる連想ゲームみたいですね?
土井:そのとおり。私にとっては、そのプロセスがとてもおもしろかったし、今なかなか他のメディアでは、そこまでゆっくり掘り下げてものを考えることは、ないんですよ。そこまで余裕もないし、一つのコンセプトを達成するので精一杯ですから。でも、映画も料理も、作る過程や作り手と受け手の関係性があってこそ存在するものですし、だからこそ私は、そこに情緒を感じます。そして美しさや美味しさというのは、そういった積み重ねの中に、見つけられるものなんじゃないでしょうか。
――畑の中から掘り出した小芋を煮たり、掘りたてのたけのこを炊いたり…。映画を拝見すると、本来料理というのは、季節の素材によって“作らされている”んだなと感じました。
土井:そもそも料理は、素材と人間の対話って言いますでしょ。自然の中で人間が健全に生きることが、料理の役目です。根源的には、料理して食べることが生きるということです。しかし世の中が変わり、自然より経済が中心になって、暮らしの中にまで入ってきて、その結果、自然と人間の関係や、人間と人間の関係までも健全性が保てなくなった。もっともっとと富を望み、もっともっと楽したいと思うようになり、経済を大きくするため、あらゆるものが過剰になっていきました。消費できないほどのものを作り、食べられないほど買い物をしているんです。私たちの富も、負債も、全て地球からの借金です。自分のことしか考えない人間は、なんと愚かで、アホやなあと思う。私らの世代より上の人は、子供や孫の幸せを考えるのが、当たり前やと思うんですが、そうならないのは不思議なくらい。いま私たちに希望があるとすれば、〈料理をすること〉だと思います。小さな私たちの食事は大きな地球と繋がっています。
――土井さんが食べ物と人間の関係性を考えるようになったのは、いつ頃からですか?
土井:20歳のときだったかな…。一番最初にフランスに行く前に、大阪で歯科医をされていた片山恒夫先生から「料理をするなら、これ読んどきや」と、一冊の本をいただきました。それは『食生活と身体の退化』という、アメリカ人の歯科医師、ウェストン・プライス博士が先住民族の食生活を10数年にわたって調べたフィールドワークをまとめた本で、未開の地域に文明や文化が入ることで食生活が変わり、その結果アゴが細い子が生まれ、八重歯ができ、虫歯などが驚くほど増えていった、ということなどが書かれていました。若かった私にはかなりショックな内容で…。なので、それを読んで、体を傷つけるようなものは食べてはいけない、ということを実感したんです。そこは今までずっとブレてないですね。
――自分の体は、食べたもので出来上がるわけですもんね。
土井:そう。精神も、食べたものでできています。酒を飲めば酔っ払うのですから、人間の精神と肉体は平衡しているのです。食べるものが健全であることで、心身の健康が得られるわけです。また〈食べるだけのひと〉は、冷静ではありません。家族を思って〈料理するひと〉は、常に冷静。それが料理の力です。
土井さんが料理を手掛けた映画『土を喰らう十二ヵ月』。信州の山荘で暮らす作家のツトム(沢田研二)は、自作の野菜や山で収穫した山菜などを使い料理を作る。東京に住む恋人の真知子(松たか子)と、炙った小芋や炊いたたけのこを食べるのが至福のとき。しかし季節の移ろいとともに人間関係に変化が…。監督・脚本/中江裕司 音楽/大友良英 11/11より全国公開。
どい・よしはる 1957年2月8日生まれ、大阪府出身。大学卒業後、スイス、フランスでフランス料理、大阪で日本料理を学ぶ。料理学校勤務後、料理研究家として独立。以後、テレビや雑誌、書籍などを通じ、家庭料理の魅力を伝えている。著書に『一汁一菜でよいという提案』(新潮社)、中島岳志さんとの共著『ええかげん論』(ミシマ社)などが。公式レシピ・アプリ「土井善晴の和食」も好評。
※『anan』2022年11月9日号より。写真・小笠原真紀
(by anan編集部)