子ども時代に友だちに誘われて、市民会館に映画を観に行ったときの顛末。付き合い始めて間もない恋人との、動物園デートの思い出。家の庭で、まだ幼い娘や息子をビニールプールで遊ばせた夏のひととき。 自分の過去ではないのに、読んでいるうちに、不思議と懐かしさがこみ上げてくる。そんな無二の世界観で描かれた、ひうち棚さんの『急がなくてもよいことを』。

当たり前の日常のかけがえのなさ。浸っているだけで幸せな気分に。

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「子どもの頃からマンガには親しんできましたが、いわゆるエンタメ作品は読むだけでしたね。つげ義春さんのマンガを知ったときに、自分でも日常のことを描いてみたくなったんです。自分の身の回りの、美しいなと思ったものなら何でもよくて、何年後かに振り返ったとき、写真でもビデオでもなく、コマ=マンガという方が得意だし、いいなと。2009年から’21年にかけてゆっくり描きためたものです」

淡々と、それでいて簡単には言葉にしがたい感情や、家族への温かなまなざしがたっぷり詰め込まれたエピソードの数々。実は、どのお話も、著者自身の家族の実際の体験がもとになっているのだという。

本タイトルも、主人公(ひうち棚さん)が娘の〈ひーちゃん〉と散歩に出たときに見かけたお寺の掲示板の教訓からとった。切実さやのどかさ、ユーモアなどが交じったどこか随筆的な味わいが魅力で、SNSでも絶賛の嵐!

「実際にコマに使うのは、『こんなの撮っていたかな?』と思うような、僕自身が忘れているくらいあまり印象に残っていない構図の写真であることも多いんです。あまり自意識のない光景とでもいうのかな。その方が、僕が描く作品ともどこかつながっている感じがするんですよね」

トーンを使わず、細やかに線を描き入れて生み出されるひとコマひとコマがため息ものの美しさ。読み飛ばすなどもったいなくてできなくて、観察するようにじっくりと、いつまでも眺めていたくなる。

「1コマを描くのにすごく時間がかかるんです。作業中はそのことをずっと思い出しているので、作業時間は、“脳に思い出を焼き付ける時間”になっているのかもしれません。それに、絵を描くことがとにかく好きなんですね。その作業そのものが、わりと自分にとっての癒しになっているなと思うんです」

次回作も本当に待ち遠しい。

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『急がなくてもよいことを』 商業デビュー作「夏休み」(『月刊コミックビーム』)を含む、18編を収録。子ども時代の妙に印象的な出来事から、自分の家族の夏の思い出など。KADOKAWA 1100円 ©ひうち棚/KADOKAWA

ひうちたな 漫画家。1980年生まれ、愛知県在住。2008年から友人の大西真人とふたりで漫画同人誌『山坂』を作り始める。2020年商業誌デビュー。

※『anan』2021年7月7日号より。写真・中島慶子 インタビュー、文・三浦天紗子

(by anan編集部)

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