蝉谷めぐ実さんの新作、『見えるか保己一(ほきいち)』をご紹介します。
これまで江戸歌舞伎の世界を描き数々の賞を受賞してきた蝉谷めぐ実さんが新境地をひらいた。新作『見えるか保己一(ほきいち)』は、江戸時代に実在した目の見えない学者、塙(はなわ)保己一の物語だ。
「十二単の着付けの教室に通った時、講師の方が“平安時代の文献が完璧な形で残っているのは、江戸時代の学者・塙保己一が叢書を作ったからですよ”とおっしゃったんです。塙保己一の名前は歴史の授業で習っていましたが、その時はじめて彼が失明していたことを知りました」
幼い頃の病の影響により7歳で失明した辰之助は、読み聞かされた『太平記』を諳(そら)んじるなど聡明な少年だった。彼は10代半ばで江戸に出て、失明した男性の職業であった鍼灸や按摩を学ぶが、師匠の了解を得て学問を志す。塙保己一と名乗った彼は、日本の史書や文学、文化や風習が分かる文献を網羅した『群書類従』という、実に600冊以上の叢書をまとめあげるのだ。
「保己一は若い頃に自殺未遂をしたり、不遇な目にあったこともありますが、おおむね順風満帆な人生を送っています。でも、私が書きたかったのは、歴史や評伝に残らなかった、彼の“人間”の部分でした」
各章、保己一の視点と第三者の視点を交えることで、それぞれの“見えている”世界が異なることが鮮明になる。
彼の最初の妻が幼い娘を残して家を出たのはどうしてか、娘の婿となった男が離縁した後も弟子として出入りしていたのはなぜか。意外な解釈を盛り込みながら、保己一の“人間”の部分に迫る本作。
「第一章を書いていた頃は“彼は目が見えないからこそ、常人には見えない何かが見えていた”という話にするつもりでした。でも書き進めていくうちに、そうした解釈は、目が見える人間の傲慢さではないかと考えるようになりました」
痛感するのは、たとえ善意があったとしても、立場の違う人間同士が分かりあうことの難しさ。それは保己一を聖人化し、その生涯を美談として消費することへの警鐘でもある。
「最終章は、第一章を書いていた頃の自分へのパンチのような気持ちを込めました」
そのパンチを、多くの読者も喰らうことになる。単なる評伝小説でも偉人伝でもない、一代記である。
Profile
蝉谷めぐ実
せみたに・めぐみ 2020年『化け者心中』で小説 野性時代 新人賞を受賞しデビュー。2022年『おんなの女房』で野村胡堂文学賞と吉川英治文学新人賞、2024年『万両役者の扇』で山田風太郎賞を受賞。
information
『見えるか保己一』
7歳で失明しながらも学問を志し、生涯をかけ国内最大の叢書『群書類従』を編纂した塙保己一。彼が内に抱いていた葛藤を描き出す一代記。KADOKAWA 2035円
anan 2490号(2026年4月1日発売)より



















