バラエティ番組はもちろん、CMにもドラマや映画にも引っ張りだこ。ただ今、大ブレイク中のずん・飯尾和樹さんがソロ初登場!
――最近の活躍の中でも、特に田中みな実さんと夫婦役で出演したCMが話題になりました。
飯尾:もちろんありがたいんですけど、「このおっさんと田中みな実さんが結婚できるなら、ひょっとして…!?」という現場の技術さんたちの夢を背負っていた感じで、俺自身も「なんで!?」と思ってました。
――“いい夫”というイメージがあるからでは?
飯尾:現実では、「行ってきます」と言えば「行け」、「疲れた」には「寝ろ」と、警察犬並みの訓練を受けてます(笑)。
――ブレイクの実感は?
飯尾:移動が増えて、前は2000円チャージすれば1週間はもったPASMOがすぐなくなりますけど、のらりくらりやってきたので、あまりないですね。これほどチャンスを潰してきた男もいないですよ。
――たとえば…?
飯尾:今まで明確に潰したチャンスが3つあるんです。まず、25歳の時にウンナンさんの『UN FACTORY カボスケ』という番組でレギュラーをもらい、食べられるようになった時。力不足でエンジンが停止して、28歳で(当時組んでいたLa.おかきを)解散しました。次は、関根(勤)さんの舞台でのご縁で『笑っていいとも!』に出してもらえたのに、チャンスを活かしきれず。次がとんねるずさんの番組ですね。ちょっとハネたのに、これもまた…。ようは“お寿司屋さんのカレー”ですよね。まかないとしてはおいしいけど、寿司として正式のメニューには載れなかったんです。
――状況が変わった理由は?
飯尾:僕がゴロゴロしている間に、同期や当時のスタッフが一生懸命出世してくれて、自分の番組という新築の家を建て、招待してくれたからなんですよ。間借りの身の僕は、そこに、手土産を持ってお邪魔しているという感じです。
――その手土産が素晴らしいから招待されるのでは?
飯尾:どうですかねえ。自分で飲んだグラスは自分で下げて、飲みっぱなしにしないという最低限のことをしてるからだけじゃないかなあ。
――先に売れた同期への嫉妬はなかったんですか?
飯尾:キャイ~ン、くりぃむ(しちゅー)、ナイナイ(ナインティナイン)、ネプチューンと、同期が一流揃いなんですよ。50~60人の素舞台という同じ条件でいっせーのせで始めて、彼らは確実にウケていましたから、僻みようがなかったですね。特にキャイ~ンは同じ事務所で仲もよくて、ドンと売れてからも、いろいろ話を聞いてたんです。ゴールデンで冠を持てても、理想と現実は違うとか。そこで競うほうがよほど大変。ちょっと調子が悪いと、もうダメだなんて書かれたりねえ…。
――休日はどんな過ごし方をしていますか?
飯尾:前に、ウド鈴木と昼に映画を観て飲みに行こうと思ったけど、まだお店がやっていなくて、日比谷公園で缶コーヒーを飲みながらポカポカしてたら、2時間くらい寝ちゃったり。公園で生活している方に「そろそろどいてくれ」と起こされてたなあ。昨日の休みは、馴染みの喫茶店のマスターがテレビに出てくれたお礼を言いに行き、イオンで野菜餃子を買って帰りました。さんざん寝たのに今日、寝過ごしそうになっちゃったんですよ! アラームのスピーカーを下にして寝ていた自分に舌打ちです。
――誰も傷つけないお笑いが注目される中、飯尾さんのギャグはその走りで、あまり怒るイメージがないのですが。
飯尾:仕事の現場では、腹を立てることはないですね。さっき撮った写真をチェックしてくれてるカメラマンさんが、データを消去してたら「ちょっと!」とはなりますけど(笑)。日常生活では、舌打ちすることもありますよ。新幹線の列に並んでるのに、新しい列が作られて、交互に入りましょうみたいな空気を出されると、生え抜きとして並んでいた者としては「なんだよ、あの革命軍!」ってね。
――革命軍(笑)。そうした日常での経験から、ギャグはストックされていくのですか?
飯尾:なかなか見つからないですけど、何かしら探してはいますね。(千原)ジュニアくんが、芸風は何も計算していない幼少期に決まってるんじゃないかという説を唱えていて、その通りだなと。“ぱっくりピスタチオ”は、小学5年生の時に、親父がナイター中継を観ながらビールを飲んでいて、そのつまみにポリポリ食べてたのを見てたことが始まりなんです。“ピスタチオ”という語感があまりに面白くて、2~3時間ゲラゲラ笑ってたんですよ。布団に入っても思い出し笑いしてたら、弟や妹に心配されて、親父に「和樹、もう笑うな! ピスタチオ以外にも面白いことはたくさんある」と止められましたねえ。この話をしたら、ジュニアくんも子供の頃に桃太郎を読んでツッコんでいたと。
――子供時代から、お笑いは好きだったんですか?
飯尾:階段の踊り場や教室の隅っこで、男子4~5人で集まっては面白いことを言い合ってゲラゲラ笑ってましたね。お楽しみ会になるとコントをやってました。すぐに校長室に呼び出されましたけど。
――問題作だったんですか?
飯尾:「ロン麻雀殺人事件」という「ロン」と言うたびに首を絞める、過激なことをやってました。「校長先生と給食食べておいで」と言われて、てっきり褒められると思ったら「小学生で麻雀はよくないし、人が死ぬのは笑えないね」と。
――親御さんは、お笑いに寛容だったんですか?
飯尾:放牧状態(笑)。あの頃、PTAで子供に見せちゃダメと言われていたひょうきん族やドリフを見ても、チャンネル変えなさいということもなかったですね。伊東四朗さんや小松政夫さん、大将(萩本欽一)の番組から、『THE MANZAI』『とんねるずのみなさんのおかげです』『夢で逢えたら』まで、いろいろ見ていました。
――一番、影響を受けたのは?
飯尾:両親が大ファンだった渥美清さん。『男はつらいよ』を観ていたので、変にませちゃって、桃井かおりさんや竹下景子さん、大原麗子さんが好きでした。周りは松田聖子さんやピンク・レディーで盛り上がっていて、その場は合わせてましたけど、いつもの友達とは帰り道に「やっぱり桃井かおりだよなあ」なんて話してましたね。
いいお・かずき 1968年12月22日生まれ、東京都出身。‘90年、浅井企画に所属。2000年、お笑いコンビ「ずん」を結成。現在、『これって私だけ?』『パパジャニWEST』『さんまのお笑い向上委員会』など、レギュラー多数。声優に挑戦した『映画 えんとつ町のプペル』が12/25公開。エッセイ『どのみちぺっこり』、カレンダー「まいにち、飯尾さん」が発売中。
※『anan』2020年11月25日号より。写真・小笠原真紀 インタビュー、文・小泉咲子
(by anan編集部)