作家・少年アヤ(松橋裕一郎)さんが、書簡のかたちで綴るエッセイ。宛先は、4人組グループ・モナキのおヨネさん──。
「やわらかい個性の男の子」として生まれ、レッテルを貼られながら育った作家・少年アヤさんが、自らを“なにでもないもの”と定義するまでには、三十年の時間が必要でした。その目に、ただ「おヨネちゃん」としてそこにいる姿は、どう映ったのでしょうか。新著『発光せえ身体』の刊行に合わせて、寄稿いただきました。
拝啓 おヨネさま
わたしはやわらかい個性の男の子として、この世に生まれました。
好きなものは、セーラームーンやままごと、宝石のついたペンダントでした。
気味が悪い、と言うひともいました。悪影響だから自分の子どもには近づかないでくれ、と怒るひともいました。
幼稚園に入ると、男の子たちは徒党を組んで、わたしに「おかま」というレッテルを貼りました。大好きでやさしい先生も、それを止めようとはしませんでした。
かなしい時代であったと思います。
小学生にあがるころには、沈黙すること、自分の好きなものや、表現したい声の抑揚や言葉の方向性を、隠すようになりました。だけど個性ってものは、たかだか六歳の指が必死に抑えたところで、あふれだします。
そのたびに、わたしはまた、レッテルを貼られたり、ぶたれたり、蹴られたりするんじゃないかと、恐怖しました。また、それによって、家族がかなしむんじゃないかと想像すると、たまらない気持ちになりました。
わたしがわたしであるせいで。
高校生になるころには、「乙女系」とか、「オネエ系」なんて言葉が流行りだし、それはある種の歓迎的な雰囲気をまとっていましたが、わたしにとっては「おかま」と変わらない排他の言葉であり、まごうことなき区別、差別そのものでした。どうやら、社会が規定した範囲からはみ出した者は、「男の子」という聖域からあぶれた存在として唾棄され、嗤われるほかなかったようです。それによって、真っ当、とされる男の子たちの生き方が狭まり、なにやら息苦しさを増していることに、だれも気づかないでいるのですが。
苦悶しながらときは流れ、三十歳を過ぎたころ、わたしはようやく自らを、なにでもないもの、と定義しました。ノンバイナリーという言葉がもっとも近いようですが、ほんとはそれすら名乗りたくありません。もはやなんの記号もいりません。
おなじような道のりを辿ったひとたちの存在も、可視化されるようになりました。わたしはひとりぼっちではなかったのです。
だけど、いい時代になったとは、あまり思えないでいます。だって戦争なんて起きてるし、ポテチからは色が消えてしまいました。
もういっそ「神」が降りてきて、地球上の全生命をぶったたいてぺしゃんこにしておわらせてくれよなんて、思っちゃう日もなきにしもあらず。
そんななか、わたしはあなたに出会いました。
きっかけは、スポティファイの広告でした。スポティファイで音楽が聴けるということを周回遅れで知ったわたしは、天にも昇る思いで日々、林原めぐみのアルバムなどを聴いていたのですが(笑)、フリープランのため、しきりに流れる音声広告に悩まされていたのです。「モナキで〜す」というしゃべりだしの広告も、幾度となく流れてきました。
「うるさ」と思いました。だけど、繰り返し聴くうち、おヨネちゃん、あなたの伸びやかな声が、どうも胸に引っかかるようになったのです。
導かれるように、わたしはオーディションのドキュメンタリー映像を観ました。まず目を奪われたのは、あなたが重厚なボブヘアーの下に隠している骨格の、瑞々しさでした。なんと類い稀な、おしゃれな、凛とした線を持っているのでしょう。
ずんぐりした身体で生まれ、ルッキズムの犬として三十六年を過ごしてきたわたしは、その文学的な佇まいにまずノックアウトされてしまいましたが、つぎにあなたが持っている、独特のやわらかな雰囲気にこころを奪われました。

あなたは男らしくも、女らしくも、そのまんなかでもない。「おヨネちゃん」という唯一無二にして絶対的なアイデンティティを放っているように見えました。わたしが三十年かけて、やっと手にしたものを、当たり前みたく持っている、という印象を受けたのです。
もちろん、そこには、わたしたちには見えない、あなたなりの戦闘や、孤独があったのかもしれません。それは知る由もありませんが、いずれにせよ、あなたの存在は、ひときわかがやいて見えました。
そのまぶしさを、いっそう際立てているのが、モナキのメンバーと、モナキを支える組織のみなさまでした。
正直、最初はちょっと警戒していました。いわゆる悪質なイジリみたいなことが、ホモソーシャルな男性中心の組織において、きっと発生しているにちがいないと、にらんでいたのです。
だがしかし、すくなくとも観測範囲においてはだれも、わたしが受けてきたようなレッテル貼りや区別を、していない。「おまえはなんなのだ」なんて、問い詰めたりもしていない。おどろくべきことに、ファンであるモナカマのみなさま及び、共演者のみなさまも同様でした。おヨネちゃんは花のように、ただのおヨネちゃんとして、そこにあるだけ。
感動する一方で、つい考えてしまいます。
わたしの三十年は、いったいなんだったのでしょうか?
先述したとおり、時代はまちがいなく、わるい方に進んでいる、とわたしは思います。けれど、多様性なんて言葉にうんざりした顔をしてみせる一般大衆が、あなたのあり方を自然に尊重し、愛し、だいじにしている姿を見ていると、わたしたちはまちがいなくおなじ山を、みんなでいっしょに登ってきたのだ、と感じられます。この世界を、いま一度信じてみたくなります。
思えばおヨネちゃんだけでなく、モナキというグループ自体が、どこか社会的な面におけるマイノリティ性を帯びています。
イケメン俳優として、おいしいところだけたべて捨てられてしまった過去を持つ、じんくん。彼は苦難を経て、幼児性と肉体美と母性を併せ持つ無敵の存在となり、いまやみんなをつつんでいます。
おなじく俳優経験のあるケンケンも、キャリアの面でまっすぐにはいかなかった過去があるようですが、築きあげてしまった虚無という鎧のなかに、純粋無垢な赤ちゃんの顔を隠しています。だから彼が笑うと、妙にうれしい。
サカイJr.は超のつくエリートですが、その人間離れした耽美的な雰囲気を纏うまでの影や道のりを、やはり背負っているにちがいありません。そうして獲得した父性によって、グループ全体を成立させています。
誤解をおそれずに言うとすれば、メンバーのみんながみんな、異形なのです。それでいて、リラックスしている。リラックスしあっている。
もしかするとそれは、この社会に生きる少数者同士の暗黙の了解、シンパシーに由来するのかもしれません。こんな四人組は、いままで地球上のどこにもいませんでした。
もちろん、名前がさらに広まっていくにつれ、あなたに、そしてあなたたちに、こころない言葉を浴びせるひとにも出会うでしょう。
だけど、心配は不要です。旧世界の残骸は、すべてわたしが処理します。モナカマのみなさまも、よろこんで追従してくれることでしょう。
あなたたちは安心して、あたらしい時代の先端に、あたりまえみたく座っていてください。ずっとずっと四人、たのしげに。
男の子たちの未来はまかせた。
あなたの松橋裕一郎 拝
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『発光せえ身体』
恋人との暮らし、郊外への引っ越し、家族との関係、鬱、生と死。目の前の出来事をユーモアと繊細さで見つめ直し、「身体を持って生きること」を問うエッセイ集。rn press 2200円































