“ジュディ”は自分で選んだニックネームでした。
台湾生まれの私の本名は、“翁倩玉(ウォンチェンユィ)”。3歳で父の仕事で来日し、9歳で英語の家庭教師の先生から、レッスンのためにニックネームをつけましょうと提案がありました。マリーとかサリーとか、先生が書いてくれたいくつかの英語の名前の中で、ピンときたのが“ジュディ”。他は聞いたことがあったけれど、“ジュディ”はジュディ・ガーランドくらいしか思い当たらない。“世界に1つ”のような価値観が大好きだった私は、指をさしてそれに決めました。以降日本では、家族も友達も私をジュディと呼びます。日本に帰化した際、本名の漢字から“翁玉恵”と名前を変えたのですが、なんだかあんまり好きになれず…。後日裁判所に“翁ジュディ”への改名をお願いしたら、OKをいただけ、今は戸籍名も“ジュディ”になりました。自分で選んだニックネームが、長い時間を経て戸籍名になった。なかなか珍しく、そして素敵なエピソードだと思っています。
人前で何かを表現する、それが大好きだった。
美しい姿勢のためにバレエを習い、滑舌が良くなるようにと合唱団に入団。さらに父が母に一目惚れしたのはピアノが上手だったから、ということから、ピアノ教室に通う(笑)、そんな少女時代を過ごしました。結果、人前で何かを表現するのが大好きに。お客様が来ると、学校の劇で着た金色のチュチュを身にまとい、ウィリアム・テル序曲のレコードに合わせて踊り、拍手をもらうのが至福の時間。ちなみに照明は兄が照らす懐中電灯。いま考えると“どうしちゃった?”というパフォーマンスですが、当時はすごく楽しかった。
歌に目覚めたのは温泉旅館での出来事がきっかけです。全員布団に入る時間になぜか私がムクッと起きて、越路吹雪さんの「サン・トワ・マミー」をいきなり歌ったんです。当時の温泉宿は壁が薄かったのか、歌い終わったら隣の部屋の見知らぬおじさんが「ヨッ! 日本一!」と大拍手。それがなかったら私は歌手になってないかもしれません(笑)。
ジュディ・オングさん 歌手、俳優、木版画家。1950年生まれ、台湾出身。3歳で来日し、11歳で映画デビュー。’79年にシングル『魅せられて』が200万枚の大ヒット。またさまざまなチャリティ活動も行っている。
※『anan』2022年5月4‐11日合併号。写真・中島慶子 ヘア&メイク・shizuka
(by anan編集部)