パラ開会式演出のウォーリー木下「僕、人の話を聞き流すのが得意なんです(笑)」

エンタメ
2021.10.01
新しい国立競技場に作られたのは、世界中から飛行機が集まってくる空港。様々な姿の飛行機たちに交じって片翼の小さな飛行機が登場する。最初こそ飛べずにいたが、やがて周りに勇気をもらい、自分の力で空へ飛び立つ――。先頃閉幕した東京2020パラリンピック競技大会で大きな話題を呼んだ開会式。そのディレクターを務めたのがウォーリー木下さん。

意識していたのは、参加者全員が自由に機嫌よくいられる場所を作ること。

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――パラリンピックの開会式、とても素敵でした。依頼を受けた時のことを伺えますか?

ウォーリー:当初開会式を担当する予定だったケラリーノ・サンドロヴィッチさんの演出チームに、もともと私も参加させていただいていたんです。途中で延期が決まり、いったんチームは解散。その後にあらためて声をかけていただきました。パラリンピックのような世界的祭典の開会式に携われるのは、アーティストとしての夢であり目標でもありましたから嬉しかったですし、これは気を引き締めてやらねばと思いました。

――これまで言葉を使わずに映像や身体表現で見せる舞台を手がけたり、静岡の「ストレンジシード」など、多くのアーティストが一堂に会するシアターフェスのフェスティバルディレクターなども務めています。まさにぴったりな人選だなと思ったのですが…。

ウォーリー:ありがとうございます。これまで演出家として、いろんなジャンルのクリエイターの方たちと共同作業で公演を立ち上げる経験をたくさんしてきました。それは日本だけじゃなく海外でも。そのなかで大事にしてきたのは、僕個人のああしたいこうしたいよりも、たくさんいるクリエイターや出演者がそれぞれの才能を遺憾なく発揮してもらえる場を作るということ。それがうまくいけば、参加者全員がのびのびと自由に機嫌よくいられる空間が生まれる。今回も、そのスタンスで臨んだところはあります。

――では、大きな設計図をウォーリーさんがお描きになられて、パートごとに出演者やアーティストの方に任せるという形で?

ウォーリー:いろいろ模索しながら進めていったんですが、結果的には、参加した全員で設計図を描き、それぞれが自分の居場所を見つけていった感じです。だから僕がやったことは何かと聞かれると難しい(笑)。アスリートのみなさんも含め、あの場にいた全員が居心地よく、機嫌よくいられる場所作りを僕なりに頑張ったと思います。

――個性のバラバラなアーティストたちが一か所に集い、それぞれの技を披露していく。それを空港というモチーフに落とし込んだのも、まさにパラリンピックらしいなと感じました。空港というアイデアはどこから?

ウォーリー:もともと開会式のテーマに“WE HAVE WINGS”というものがあったんですね。そのうえで、本当に多くの人たちとディスカッションする中に空港という言葉もあった気がします。でも空港と決まってから、選手たちを飛行機に見立てたり、風や動力をモチーフにしたり、ひとつの世界観のもとでアイデアを出し合えたのはよかったですね。それぞれの意見に別の誰かが共感して、その共感が積み重なることで出来上がった世界だったんじゃないでしょうか。

――片翼の飛行機の女の子がとても印象的でしたが、キャスティングにも関わっていたんでしょうか。

ウォーリー:オーディションには参加していますが、キャスティングは僕だけでなくいろんな方との話し合いのなかで決まったものです。結果的に、あれは和合由依ちゃんあってこその役だったなとは思います。オーディションの時、由依ちゃんが応募動機として「いままで助けてくれたいろんな人たちに感謝を伝えたい」「自分が頑張っている姿を見せたい」と話していたんですが、もうその言葉自体が今回の式典のテーマそのものだし、それが彼女が最後に飛ぶための動機になると思いました。僕ら開会式チームのミッションのひとつに、障碍者も健常者も互いが手助けし合える社会にしようというメッセージがあると思うのですが、いろんな人と出会い、想いを受け止めて飛び立つ彼女の存在は、それを言葉以上に伝えてくれていたと思いますし、式典全体を通してそのメッセージが通奏低音的に流れている感じがありました。

ちっちゃい頃から聞き流すのが得意でした。

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――開会式を手がけられてから、ウォーリーさんの周りは騒がしくなっているんじゃないですか?

ウォーリー:全然です。懐かしい友だちからちょっと連絡が来たくらいで。

――でも、ウォーリーさんについて知りたいという人は身近に結構います。なので、そのあたりのお話も伺いたいのですが、そもそも演劇を始めたきっかけというのは。

ウォーリー:きっかけは神戸大学に入学したことですね。サークルに入ろうと思っていろいろ見ていたんですが、そこで学生劇団が鴻上尚史さんの戯曲を上演していて、それにカルチャーショックを受けたんです。

――鴻上さんの作品は、戯曲が主軸にあり、そこに身体表現を融合させたものですよね。ウォーリーさんがやられてきた作品とはかなり方向性が違うような気がします。

ウォーリー:そうですね。いろいろ紆余曲折があり(笑)。僕は戯曲が書きたかったんですが、多くの小劇場がそうだったように演出家がいないので、ずっとひとりで作・演出を兼ねるスタイルでやっていたんです。ただ、途中から戯曲が書けなくなって、劇団員に迷惑をかけるようになって…。自分のやりたい気持ちとポテンシャルが合っていないんじゃないかと徐々に思い始めたんです。そんな時に神戸アートビレッジセンターという施設が、演劇フェスティバル的なものを立ち上げることになり、ディレクターとして声をかけていただきました。その時、自分の作品は出品せず、コンテンポラリーダンスとか、伝統芸能とか、小劇場の演劇とか、落語とか、いろんな方に集まっていただいたんですが、それがすごく楽しくて、やりながら僕の中でいろんなことがクリアになった感じがありました。その辺から、自分は演出に向いているんじゃないかという思い込み半分で、名刺に演出家と書くようになりました。じつはその頃、「いつか国際的な式典のオープニングとかを演出したい」ということも言ってて。演出家と名刺に書いた以上、そのくらい大きいことを言ったほうがよいと思って(笑)。

――夢を叶えたわけですね。ただフェスティバルって、それぞれやりたいことや主張があるアーティストたちが参加するわけですから、まとめる運営側は大変そうです。

ウォーリー:まあ…そうですね(笑)。でも僕はそこで何もしないようにしています。演劇の現場でもそうなんですが、悩んだらひとりで抱え込まずに役者に「どうしたらいいかわからなくて悩んでるんだけど」って言っちゃうんです。最初は不安がられますけれど(笑)、それを一回乗り越えると、「ウォーリーのためにみんなで考えよう!」みたいな空気からカンパニーが団結し始める。たぶん、演出家任せにはできないと気づいた瞬間、作品や公演のことを全員が自分ごととして考え始めるんだと思います。

――現代のリーダー論みたいです。

ウォーリー:いろんな現場でいろんなことが起こり、鍛えられたんだと思います。昔はトップダウンのカリスマに憧れて、自分を天才だと思おうとしていた時期もありますけど、それは無理だと気づけたのがよかったのかもしれません。逆説的ですが、僕、人の話を聞き流すのが得意なんです(笑)。中学校の時の朝礼で校長先生に、これからの情報化社会ですべてを受け入れていたらパンクしてしまうから聞き流しなさい、ということを言われたんです。そこから聞き流すという訓練を3年くらいやりました(笑)。その結果、たくさんの人と創作しても大事なことを見つけるのがうまくなりました。聞き流していても、大事なことはちゃんと自分の中に残るんです。あと、どうしても通したいアイデアがある人は、何度も僕のところに言いに来ますしね。それだけの情熱があるなら、ぜひやったほうがいいんです。

Entame

うぉーりー・きのした 1971年12月20日生まれ、東京都出身。sunday代表。自身がプロデュースするTHE ORIGINAL TEMPOのほか、様々な舞台で脚本、演出を手がける一方、近年は各地の演劇祭でフェスティバルディレクターも務めている。近作に舞台『SHOW BOY』『スタンディングオベーション』など。演出・脚本を手がける『「バクマン。」THE STAGE』は10月8日~東京、大阪で上演。

※『anan』2021年10月6日号より。写真・小笠原真紀 インタビュー、文・望月リサ

(by anan編集部)

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