
占い師、作家のしいたけ.さんから、読者の皆さまへ。Special Messageをお届けします。
自分だけの幸せを噛みしめられる人に幸福は訪れる。
幸せは、人生のメインテーマのひとつで、占いの中でもよく扱われますよね。それだけ幸せには魅力があり、よほど強靭な精神力を持っている人以外は、やはり誰しも“幸せになりたい”と思って生きているはずなんです。
“幸せになりたい”と、“幸せだな”は違うもの。
僕が幸せという言葉を使う時にいつも考えていることがあって、それは“幸せになりたい”と“幸せだな”というのは、同じ幸せという言葉を使っているけれど、天と地ほど違う感覚を持っているということ。前者は「これから先のことに希望を持って、未来の私を幸せにしていきたい」ということだと思うのですが、そこには、たとえば「豪邸に住み、大きな犬を飼って、家族に囲まれている私」のような感じで、自分にも他人にもわかりやすい幸せの証明のようなものが含まれている気がするんですね。だから幸せに対するハードルがものすごく高くなっているんです。
一方、後者は、日常の中で「ああ、幸せだな~」と思わずつぶやいてしまうようなことだと思っていて、たとえば「いま食べているお菓子がとっても美味しい」とか「友達との何気ない会話が案外盛り上がって楽しかった」など、いま現在に焦点を当てているため、幸せへのハードルが低いように感じるんです。
だから「幸せになりたい」ばかりを言っている人は、なかなか幸せになれないけれど、「幸せだな」を多用する人は、気軽に幸せを手に入れることができるというのが、僕の占い人生の中で、今のところ幸せに対する結論に至っています。
僕が人生のある時期から、幸せな人生を送るために毎日繰り返している儀式みたいなものがあるのですが、それが毎日空を見て「今日も良い天気だ」とつぶやくことなんです。それは曇天であろうが、どんなに雨が降っていようが、良い天気だと思うこと、そこを自分の一日のスタートラインにすることにしたんですね。
このルーティンを持つようになったきっかけがあって、それは僕がまだ個人鑑定をしていた頃のこと。一日に何人も鑑定して、毎日自宅と仕事場を往復するだけで、心も体もヘトヘトでそろそろ限界かなと思っていた。ちょうど秋が深まった時期に、保育士の先生と園児たちの一行に遭遇したんです。道端でみんなが立ち止まって、「じゃあ、秋を探してみましょう」と先生が言ったんですね。その掛け声で子どもたちが周りを見渡して、「葉っぱの色が変わっている!」など次々に発見して目を輝かせているのを、先生はニコニコしながら見ていて、思わず僕も一緒に秋を探してしまったんです。当時の僕は空を見る時間もなかったし、季節が変わったことに気づけないぐらい心に余裕がなかったので、その先生の言葉がものすごく自分の中に突き刺さったんです。それから「今日も良い天気だ」と、毎日使える言葉にアレンジして、日々の幸せを噛みしめるために言うことを続けています。
幸せを感じやすい人やいま現在幸せな人って、ある程度の不真面目さを自分の中で死守できている人だと思うんです。真面目な人はどうしても不安と心配とこれからの課題に集中しすぎてしまうから、それをクリアした先に幸せがあると思っていて、なかなか幸せを感じられずにいる。一方、ある程度の不真面目さを持っている人は、嘘かもしれないけど自分は幸せなんだと決めつけて、そこから寄ってくる幸せを取りこぼさないみたいな、ある種の適当さを持っている。僕がどんなに悪天候だろうと、「今日も良い天気だ」と嘘をつくのもしかり。でもこの不真面目さから生まれた嘘が、これからの自分の人生を生きていく上での大事な希望の光になっているんですよね。
“幸せになりたい”は、道具や材料一式を取り揃えて、そこから設計図を作り、それに見合う人を探し当てて、幸せを掴みに行く必要があるから、なかなか手に入りにくい。そこにある“幸せ”には固定観念のようなものが溢れていて、こうでなければいけない、こうしないといけないみたいなものがたくさん含まれていて、0を1にするような難しさがある気がするんですよね。逆に“幸せだな”は、0ではなく、すでに1ある状態で、手元や身近にある中から幸せを噛みしめるものだから、簡単に手に入りやすい。
僕が思う幸せは、やっぱり掴みに行くものじゃなくて、なんとなくぼんやりとでも今の幸せを噛みしめることができる人に訪れてきてくれるもののような気がします。過去の幸せも、小さな小さな幸せもちゃんと大切にして生きている。そんな幸せを噛みしめる、咀嚼力がある人には、新しい幸せがやってきやすいのではないでしょうか。
自分なりの幸せを見つけて幸せの咀嚼力を鍛えよう。
これは個人的な意見かもしれませんが、「幸せになりたい」と言っている人には、どこか近寄りがたさを感じませんか? そのセリフを言われた瞬間、こんなちっぽけな幸せは受け入れてくれないかもと思って、届かない何かを感じてしまうんです。それにそういう人は、幸せのおすそ分けも下手な気がします。幸せのハードルが上がっているから「もっと素敵なものを持っていかなくちゃ」「もっと面白いこと言わなくちゃ」みたいに、人に喜んでもらうためのハードルも上がってしまって、幸せを与えることができずに無力さを覚えている。
どうやったら幸せになれるかと途方に暮れてしまう人は、常に自分への無力感を抱いている気がします。無力感って、人が感じるダメージの中でもトップ5に入るぐらいきついものですよね。どんなに努力しても満足できないというのは、何をしても×0になってしまうから、プラスになりにくい。十分努力しているし、十分人のために尽くしているのに、周りの人から褒められても心からその言葉を受け入れることができずにいる。無力感から抜け出して、幸せに近づくためには、その×0の部分をなんとかしなければなりません。
そのためにも僕がやっている「今日も良い天気だ」はおすすめです。プラスの状態から一日をスタートさせることができるし、不運に対する免疫力をつけることもできる気がします。無力感がある人って、私は何も持ってないし、私が置かれた状況はあまり恵まれていないとか、自分が不運だと思い込んでいる。だから良いことが起きると、運を使ってしまったから次は悪いことが起きると思ってしまうんですね。でも運は定量制ではなく無限大にあるものなので、ギガを使い果たすことはありません。安心して、幸せが降ってきたらちゃんと噛みしめてください。その上で、自分の幸せへのハードルを下げることがすごく大事になってきます。
若い頃はまだ自分なりの幸せのカタチが見えていないから、漠然と“幸せになりたい”と思うことも多かったかもしれません。でもそのまま年を重ねると、無力感ばかりが募って一向に幸せを感じられずに生き続けることになります。だから早い段階で、自己流の幸せを噛みしめる力を培っておいた方がいいですね。誰がなんと言おうと、これが私にとって幸せなんだと言い切れるようなもの。幸せを感じにくい人は、その幸せの咀嚼力が弱くて、すぐ飲み込んでしまい、次の幸せを探し始めるスパンが短く、常に飢えているような気がします。これでは物足りない、これは違うからと食わず嫌いしたり、幸せを食べこぼしているようではもったいない! そうやっているうちに幸せへのハードルがどんどん上がっていってしまいます。
だから“幸せになりたい”と思っている人は、日々の中で“幸せだな”と感じることを増やしていくことから始めてみては。幸せへのハードルを下げて、自分だけの幸せを見つめることが、幸せな人生を送る上で大事だと思っています。
しいたけ.さん
Profile
占い師、作家。早稲田大学大学院政治学研究科修了。哲学を研究するかたわら占いを学問として勉強する。『anan特別編集 しいたけ.カラー心理学 2025』が好評発売中。
anan2450号(2025年6月11日発売)より