燃え殻「父との距離感」|anan創作連載シリーズ

いま注目の文筆家のエッセイ、小説などの創作を4号続けて掲載。今回は2490号(2026年4月1日発売)から、燃え殻さんのエッセイ第4回「父との距離感」をお届けします。


父は、芥川賞と直木賞が発表されると、受賞作を必ず買って帰ってくる人だった。テーブルの上にドンと本を二冊置いて、「これが今日発表された、芥川賞と直木賞な」と、さりげなさゼロで言い放ち、自分の部屋に着替えに消えていく。

それが我が家の風物詩だった。父がその本を読んでいるところを、見たことはない。

一度、日曜の朝に、家族でマクドナルドに行ったとき、本を数冊持ってきていたが、「持ってきた」ということだけに満足して、開くことはなかった。

いまでも、「芥川賞」「直木賞」と聞いて、一番に思い出すのは父の顔だ。

ニュース番組などの「いま、巷ではこんなものが流行ってま〜す!」みたいな特集も、父の大好物だった。

「銀座通に人気の和菓子屋さんが作るプリン」
「箱根の知る人ぞ知る新名所」
「お台場に新しい商業施設が出来ました!」

そんな“ミーハーさん、こっちですよー! 企画”で取り上げたものを、父は手帳にメモしまくる。

後日、家族に向かって振りかぶって、「いまな、銀座で密かに人気のスイーツがあってな。ある筋から聞いて、今日ちょっと買ってきたから」と、テーブルの上にドンと袋ごと置いたことがあった。僕も妹もまだ小学生の頃の話だ。妹が、なにが出るかなあ〜、と言いながら袋を開けていく。

僕も妹も、頭の中には、「プリン」という文字が浮かんでいるが、「なにが出るかなあ〜」をふたりでくり返えす。

「あっ! プリンだ〜!」と妹がはしゃぐ。

僕も「え〜、プリンだ!」とはしゃいでみせた。

ただ、心のどこかで、「この間、みんなでテレビ観たじゃんか!」と思っていた。

それを鋭く察した妹が、僕を冷静に見据えながら、「もっと心からはしゃげよ!」と目で訴えかけてきているのがわかった。「もっとはしゃげば、また買ってくるだろうが!」と訴えかけてくる。

「やった〜! やった〜!」

妹に促され、僕はさっきの倍はしゃいでみせた。

「まあ、今日はこのくらいで許してやるか……」

目の据わった妹が、両手にプリンを持って、やったやった! を繰り返す。

「これはな、和菓子屋さんが作ったプリンなんだよ。だから銀座通にも密かに人気なんだ」

わかったようでわからない、ニュース番組の特集からの情報をフル活用しながら、国家機密でもしゃべるかのように、父は神妙な顔で語っていた。

まごうことなきミーハーの血が、僕には流れている。テレビ局ならNHK、新聞は日本経済新聞と朝日新聞。それがミーハーなのかは、もう謎だが、権威が好きというのは間違いない。「あの人はすごい」とか「あれは美味かった」という主観で語ることはあまりなく、「あの人はNHKに取り上げられていたからすごい」とか「あれは朝日新聞の日曜版に載っていたから行ってみよう」なのだ。

僕は大学に二度落ちた。大学卒の父は、それがまず気に食わない。

「お前は半人前以下だ。常識をわかっていない。もっとNHKのニュースを見ろ。あと、日経と朝日は読め!」

父と顔を合わせるたびに、そんなことをよく言われていた。四十になるくらいまではずっと言われていた。

「お父さんな、昔、松下幸之助とランチしたことがあるんだ」

この枕から始まる話を(出オチの話ではあるのだが……)、何度されたかわからない。きっと何人もが同席したランチだったと思うが、話を聞いていると、松下幸之助とサシでランチをしたかのような錯覚に陥るほど、「俺と松下幸之助」という話が展開される。

その後、僕はひょんなことから、ものを書く道に進み、これまたひょんなことから、NHKにふらっと出演してしまった。

そのあとにもひょんはつづき、日本経済新聞に記事が載り、父が毎回楽しみにしている朝日新聞のコーナー、「折々のことば」にも取り上げられてしまった。

四十三の年だった。父には会うたび、小言を言われてきたので、正直最初は、どうだ! くらいの気持ちがあった。

あったが、「世の中っていうのはな!」という父の威勢は、ピタリと止み過ぎて、実家に帰ったとき、なにか近況を話しても、「そうか……」くらいの言葉しか返ってこなくなった。それはそれで寂しい、ということを、僕はそのとき初めて実感する。

一度、「お前の文章は、俺が書いているものに似ているらしい。ある知り合いがそう言ってた」と父が言ったことがあった。心の中で一度ずっこけたが、あの頃の父らしい感じにどこか喜んでもいた。

父は八十を越え、いま、癌を患っている。自分の治療をしながら、これまた癌を患っている母の面倒を毎日看てくれている。

前に、母に電話をかけたとき、「ちょっと待ちなさい。いま、隣にお父さんいるから。すぐ代わるから」とゴソゴソ音がしたあとに、「もしもし……」と父が電話口に出た。

「ああ……、元気?」と僕が言って、「ああ。そっちも体調気をつけろよ」と返ってきたあとに、しばし沈黙があり、「ショートメールって電話番号でいいのか?」と突然言った。

「たしか……」と僕は答える。

「じゃあ、なにか今度送ります」と父が仰々しく言う。

「はい」とだけ僕が言うと、プツリと電話は切れた。

最近、父はスマートフォンを使うようになった。母が料理が出来なくなったときに自分が代わりに料理を作れるように、「男の料理」という名の、男性限定の料理教室に通い始めた。

どこか独りよがりだった父が、知らない同年代の男性たちと手分けして料理を作っては、家で何度も再現できるように練習しているらしい。

スマートフォンで撮った料理の写真を、前に実家に帰ったときに見せてもらった。肉じゃがや焼き魚、ほうれん草のおひたしや、豚汁などなど。日々、父のレパートリーは増えているようだ。

昔、母が風邪で寝込んだときに、一度、チャーハンを作ってくれたことがあった。それはそれは油まみれのチャーハンだった。野菜は固く、火があまり通っていなかった気がする。

「ちょっと失敗したかもなあ」

さすがの父も首を傾げながら、一口、二口と口に運ぶ。「大丈夫か?」と父が、僕らに訊いてきた。あのときも、妹は率先して「おいしいねえ〜、おいしいねえ〜」を繰り返し、僕のほうをチラッと見る。

「お前、父親が料理作れないのになんとかやる気出して作ってくれたから、なんとか昼飯にありつけたんだろうが! どうすんだ気分損ねたら? 夕飯なくなる可能性だってあるんだぞ!」と言わんばかりの据わった目で、僕を睨みつけながらの「おいしいねえ〜、おいしいねえ〜」を繰り返す。

父は、妹のオーバーリアクションに、なんとか自信を取り戻しつつ、「まあ、案外イケるか」とか言い出す。ここで攻撃の手を緩めるわけにはいかない。僕も慌てて、「おいしいねえ〜、おいしいねえ〜」とやる。

妹も上機嫌でそれにつづく。父は完全に自信を回復し、「よし! 今日夕飯なにが食べたい? なんでもいいぞ」と信じられないことを口走った。

あの日に、夜にはなにが出てきたのか、もう忘れてしまった。でも、病み上がりの母も一緒に、父の料理をみんなで食べた気がする。妹の「おいしいねえ〜」に、母が大爆笑していたのを覚えている。

父はマメな男だ。そして不器用な男だ。「昭和の人間」と言ってしまえば、それまでの男だ。でも、ミーハーなりに、不器用なりに、どーにか家族のために、頑張ってきてくれたこともたしかだ。

散々小言も言われてきた。これが会社の上司だったら、友達関係だったら、とっくの昔に絶縁していたかもしれない。

家族だと、そう簡単に絶縁まではできない。

でも、それがよかった。やっと少しずつだが、父との距離感が掴めてきた気がする。父もやっと僕との距離感を掴んできたのかもしれない。今更? と第三者は言うだろうが、関係ない。父と僕には、このくらいの時間が必要だったのだ。

先ほど、深夜四時過ぎ。というか外が白んできた明け方、父から初めてのショートメールが届いた。

「本、読んでる」とだけの、ショートショートなメールだった。

「ありがとうございます」とショートショートなメールを僕は返した。

4月8日(水)発売の『anan』2491号からは、又吉直樹さんの連載がスタート!

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CLOSE UPでは、全編カバー曲での2ndソロアルバムをリリースする増田貴久さんの特別撮り下ろしとインタビューも。

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Profile

燃え殻

もえがら 1973年、神奈川県横浜市生まれ。小説家、エッセイスト。2017年『ボクたちはみんな大人になれなかった』で小説家デビュー。著書に小説『これはただの夏』、エッセイ集『明けないで夜』『これはいつかのあなたとわたし』などがある。J-WAVE『BEFORE DAWN』のナビゲーターを務める。

イラスト・Naffy

anan 2490号(2026年4月1日発売)より
Check!

No.2490掲載

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