
いま注目の文筆家のエッセイ、小説などの創作を4号続けて掲載。今回は2487号(2026年3月11日発売)から、燃え殻さんのエッセイ第1回「さすがにいつか会うでしょう」をお届けします。
秘密にしていることがある。人間誰しも秘密はあると思うが、ものを書く仕事をしていると、言うタイミングを逸し、そのまま書かずに来てしまったことが、結果的に秘密になってしまうことがある。
僕にもそんな、「結果的に秘密になってしまったこと」がある。どこかのタイミングで言わなければ、と常々思ってはいたが、もうここまで来たら言わないままでもいい気がしていた。そんな僕にとっての秘密を、数週間前、ふと親しい編集者に打ち明けてしまった。
それは、とある仕事の打ち上げの席でのこと。「まあ、ちょっとここだけの話にしてほしいんだけど……」と釘は刺したつもりだったが、その編集者は、信じられないほど口が軽かった。正直軽いとは思っていた。芸能人のゴシップなどが好きで、身内の誰かの噂もよくしていた。わかってはいたつもりだったが、こちらの気が緩んでいたとしか言えない。近しい仕事仲間のひとりから、「この間、編集の◯◯さんから聞いたんだけどさあ〜」とニヤニヤしながら言われ、マズいことになったことを理解した。そのひとりだけのわけがない。多分、その十倍、二十倍くらいには、とっくに秘密は漏洩してしまったことだろう。その編集者への怒りというよりも、自分自身に対して、まずはガッカリした。
「実は、……らしいですよ」「マジっすか?」「これがマジなんですよ〜」「ひええ、本当に〜」
飲み会で、そんな調子で聞いたという。当事者の編集者を、真面目に問い詰めたとしても、「いやいや、面白いからいいじゃないっすか! 誰も怒ったりしてないっすよ!」と返ってくることはわかっている。どころか、「この間さ、本人からマジギレされちゃったんですけど、実はですね……」と更なる二次被害が広がりかねない。
そんなことが本当にあるのか? と言われそうだが、本当にそういうことが起きた。そういう人は結構いる。面白おかしく伝えている当事者の本当のところの気持ちは、その場が盛り上がればそれでいいじゃん、くらいだろう。それ以降のあれこれは知ったこっちゃないだろう。束の間の愉しみ。それに、僕に対しての薄らとした悪意、もあるのかもしれない。きっと当人にとっては「面白いからいいじゃないっすか!」が本音だろう。エンタメって面白かったらなんでもありじゃね? と、都合がいいときだけ、エンタメを人質に取るタイプだ。こういう人間の巣窟みたいなところで仕事をしているとわかっていたのに、思わず自分も口が滑ってしまったので、今回に関しては、完全に自分のミスなんだが……。
それを知った夜、自己嫌悪と人間不信を抱えながら、ひとり悶々として、立ち飲み屋で、痛み止めのようにアルコールを摂取してしまった。悶々としているときに、アルコールが加わると、さらに悶々にブーストがかかってしまうことは、もうわかっていたのに、またやってしまった。
その夜の場所は、松濤の外れの立ち飲み屋。まだ若そうな店主に、焼酎ソーダ割りのおかわりを頼んだ。
店内は、午前二時を少し回ったところだったと思う。コの字型のカウンター。隙間がないほど、人でごった返している。隣で大ジョッキを飲んでいたサラリーマンが、「ぷはあ」と気持ちよさそうに半分くらい残っていたビールを一気に飲み干した。僕は、早くもクラッと酔っ払ったのがわかった。やはりこういうときは、アルコールの回りが早い。
気づいたら、店の紙のコースターを、これ以上ないくらいに、折って折って折っていた。その様子を見ていたのだろう、先程豪快にジョッキのビールを飲み干した、隣のサラリーマンが、「折りますねえ〜」と声をかけてきた。
「ああ……、すみません」
笑いながら僕はお辞儀をした。
彼は泥酔手前の赤ら顔で、「いろいろありますよねえ〜」と吐き捨てるように言う。「いろいろありますねえ」と、こちらも返す。
「実は今度転勤することになったんですよ」
突然、彼が名古屋に転勤する話を、僕に切り出してきた。「それはそれは」と彼の空のジョッキと、僕の来たばかりの焼酎ソーダ割りで乾杯をした。聞けば、奥さんは名古屋に行きたくないらしく、単身赴任が決定したそうだ。奥さんの行きたくない理由は、通っているピラティスの教室を辞めたくないから、ということらしい。
「人生って、なんなんすかねえ〜」
彼は主語大きめにまとめ、ジョッキのビールを追加で頼む。「わかります。こっちもね、秘密ですよって言ってたことをベラベラしゃべる人間がいてね。自分も悪いんですけど、それでもそんなベラベラ人に言うことないでしょ〜? 秘密って言ったってね……」と、改めてまた秘密を打ち明けてしまった。
「ええ〜、それは酷いっすねえ〜。しかしなんでそれ秘密にしてんですか?」
彼のもっともな質問に、僕はついに自分の職業まで開示してしまう。「へえ〜」なんて驚いてくれて、その場でいろいろ調べ出す。
「すみません! まったく知らなかったです。すぐ買って読みます!」
「いえいえ、もっと精進致します」
そんなやり取りをしていると、彼の前に新しいジョッキのビールが届く。そしてまた無駄に乾杯をする。僕の焼酎ソーダ割りは、まだ半分くらい残っていたが、せっかくだから(何がだ)、一気に飲み干し、またおかわりを注文した。
さらに饒舌になってきた彼は、また人生を語り出す。高校は新潟の高校に、陸上のスポーツ推薦で入ったこと。怪我をして、二年の初めに陸上を辞めてから、学校の教師からのいじめに苦しんだ経験も話してくれた。いまの奥さんとは、新幹線の席がたまたま隣だったのが、最初の出会いだったことまで教えてくれた。名古屋への転勤は、社内では「島流し」と言われているらしい。
本格的にアルコールが回ってきていたのはわかったが、いきなり突っ伏し、クククッと言い出したので、最初は笑っているのかと思っていた。でも、なかなか起き上がらないので、「おーい……」とカウンターの下から覗き込むと、ポタポタと大粒の涙をこぼして泣き出していた。店主が急いで、僕のところに来て、「最近、いつもなんで!」と小声で教えてくれた。十分くらいしたら、突然ガバッと起きて、「ハア〜、すみません!」と目を真っ赤にして、ニッコリ笑って、また僕たちは乾杯をした。
それから、明け方まで僕らは次から次に、「絶対に言わないでくださいよ」という話だけをした。外が白んできた頃には、店には僕たちふたりだけになっていた。自分の身体の中に溜まっていた、悶々のすべてを吐き出すような夜だった。
散々、人に言えない話をしたあとに、「あっ!」と、なにかとんでもなく重大なことに気づいたかのように彼が大声を出した。「俺、名前言ってないっすよね?」と。
そういえば、名前を聞いていなかった。年齢もわからない。高校名や二年のときに彼をいじめていた教師の名前、彼のそのときのロッカーの鍵の暗証番号が「614」だということは知っているのに……。
ぐちゃぐちゃに、大事なことも関係なく、大切なことも気にせず、明け方まで一緒にいられたことが嬉しかった。
名前だけ聞いて、彼とは連絡先を交換することなく別れた。割り勘にしましょう、と彼が譲らなかったが、僕のほうが絶対年上なので、二千円だけ多く出させてもらった。
別れ際、「これはさすがにいつか会うでしょう」と彼が言った。僕も心からそう思えた。他人同士のまま話したからこそ、言いたいことが言えたということを、お互いよくわかっていた。店を出て、彼がどこに帰るのか知らないが、駅とは逆のほうに歩き出した。
僕は駅に向かう。「じゃ! ここで、また」と、ヨタヨタ後ろ向きで歩く彼が言う。「絶対、また」と僕は返した。
渋谷の朝はカラスが永遠にうるさい。力尽きた若者が、路上に寝っ転がっている。冷たい風。パトカーのサイレンの音。誰かが遠くで叫んでいる。しばらく歩いて、僕は一度振り返ってみた。ヨタヨタ過ぎる歩行の彼に、「おーい!」と声をかけてみる。彼はゆっくりと振り返って、僕に向かって大きく手を振ろうとして、思いっきりコケた。僕はその姿を見て、大袈裟に笑って見せた。吐きそうだったし、早くも頭は少々痛かったが、それにも優る嬉しさがあった。
親しいからこそ言えないことがある。知らないからこそ、正直になれる夜がある。ヨイショヨイショと、また彼が立ち上がる。僕も、もう一度頑張ってみようと思った。
「おーい!」
今度は彼がこちらに向かって、手を振ってきた。ばかみたいな話だが、そのとき少し泣きそうだった。「おーい!」と僕も返した。彼とは、さすがにいつかまた会う気がしている。
連載第2回は3月18日(水)発売の『anan』2488号に掲載!
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2026年3月18日発売のanan 2488号の特集は、花粉やだるさなど、春の不調をケアするTIPSをまとめて紹介する「カラダが整う、不調改善ケア 2026」。嬉しい春の到来! でも、気温や気圧の変動、花粉、周りの環境の変化などで、なんとなくモヤモヤとした不調を感じている…という人も多いのでは? この特集では、そんな人に向けて、習慣化して毎日続けやすい、体調改善のための簡単TIPSをたくさんご紹介!
Profile
燃え殻
もえがら 1973年、神奈川県横浜市生まれ。小説家、エッセイスト。2017年『ボクたちはみんな大人になれなかった』で小説家デビュー。著書に小説『これはただの夏』、エッセイ集『明けないで夜』『これはいつかのあなたとわたし』などがある。J-WAVE『BEFORE DAWN』のナビゲーターを務める。
anan 2487号(2026年3月11日発売)より

















