小島秀夫の右脳が大好きなこと=○○○○●を日常から切り取り、それを左脳で深掘りする、未来への考察&応援エッセイ「ゲームクリエイター小島秀夫のan‐an‐an、とっても大好き○○○○●」。第32回目のテーマは「監督(ボク)の“匂い”は?」です。


“匂い”は、目には見えない。音楽やラジオは、聴覚だけのもの。映画やテレビ、ネットは、視覚と聴覚。ゲームは、触覚要素が少し付加されているものの、“匂い”までは取り込めていない。昔、『オルファクトグラム』(注1)という井上夢人が書いた独創的なミステリーがあった。交通事故で通常の嗅覚を失った主人公が、犬並みの嗅覚を得る。さらにその匂いを視覚化できる能力を身につけるという筋書きだったか。ただ、これはフィクションだ。現実世界では、“匂い”の可視化はまだ実現してはいない。

9月最後の月曜日、半年間続けたTBSラジオ番組『KOJI10』(注2)のシーズン2が最終回を迎えることとなった。最終回くらいは「リスナーやファンを集めた公開生収録をしたい!」と、以前からスタッフ間で話し合っていた。TBS側の粘りもあり、番組始まって以来の公開生放送で幕を閉じることに決まった。深夜ラジオ全盛の昭和には、伝説となった公開生放送回(注3)がいくつもあった。聴覚にしか頼れないラジオにとって、公開生放送は、ある種の可視化された最後の砦でもあった。

TBS本社にあるお洒落なカフェに大量の機材と椅子を持ち込み、番組を支えてくれた当選者(リスナー)たちを招き入れ、アットホームなライブを企画した。TBS側も『KOJI10』のオリジナルTシャツをスタッフ分用意してくれていた。直前の打ち合わせの際、みんなで試着してみたところ、余りのTシャツが数着あるのがわかった。「会場でリスナーに配るのはどうか?」と提案してみたところ、“会場での不公平を招くのは避けたい”という意見も出て、見送ることになった。

仕込みや準備が大変だったのにもかかわらず、あっけない程、予定通りに終わった(サプライズ・ゲストは三浦大知さん)。その物足りなさと寂しさが影響したのかもしれない。放送終了の合図と共に、僕は着ていたTシャツをその場で脱ぐと会場に放り投げた。ロックスターを意識したのではない。ただ反射的に身体が動いた。下投げで力無く投げたTシャツは、最前列の女性ファンの掌にキャッチされた。彼女は、すぐさまTシャツで顔を覆い、息を深く吸うと呟いた。「いい匂い!」と。僕は汗をかかない体質だが、いくらかは僕の“匂い”もあったろう。そして、普段つけている“匂い(パルファム)”も。

子供の頃、有名な外国人映画俳優が出演しているトニックやローション、香水などの“匂い”にまつわるTVCMをよく見かけた。TVからは匂いが出ない。だからこそ、イメージ戦略の一環として、セレブを使っていたのだろうか。今では想像も出来ないが、煙草のCM、お酒のCM、髭剃りのCM、香水のCMなどは、当時の大人の匂い立つ男臭さだったのだ。そういう時代にあって、小学生高学年の頃から、学級内では、“匂い”の話題には事欠かなかった。煙草も吸えない。お酒も飲めない。髭もまだ剃れない。でも“匂い”なら子供でも纏える。全ては、大人の“匂い”への憧れだった。

僕は、まず親父のヘアトニックを拝借するところから始めた。ただ中学に上がっていた兄貴がそれを見て、笑った。親父が使っているのは、世に云う“おっさん”ブランド。クールではなかったのだ。そこからは、自分独自のブランドはないものか? と、いろいろと模索を続けた。中学の時、マルチェロ・マストロヤンニ(注4)が出ているカネボウの「VALCAN」を試してみたが、残念ながら学校ではイタリア映画を語れるようなシネフィルは一人もいなかった。高校生の時期には、資生堂の「タクティクス」(注5)をつけていたと思う。瓶のデザインやロゴ、アイコン、CMまでもが格好良かったのだ。CMの力は大きい。僕の周りの友人たちはみんな、ローションを含めた「タクティクス」シリーズの何かしらを、つけていたはずだ。

ヘアトニックから登り始めた大人への憧れの階段。「シーブリーズ」(注6)などのボディケア化粧品を併用しながら、ローション、アフターシェーブ・ローション、そして、本格的な香水(オーデコロン→オードトワレ→オードパルファム(注7))を纏うまで階を登りつめた。

僕は他人より嗅覚がかなり過敏だ。医者から正式に「嗅覚過敏」と診断されたことはないが、匂いで気分が悪くなることがある。子供の頃の参観日には、化粧品の匂いで気持ち悪くなったことが幾度かある。それは大人になった今も変わらない。社内エレベーターに乗ると、前に乗降していた人の残り香で、誰が乗っていたかを特定できたりもする。アロマさえも苦手な僕が、香水をつけるのは、お洒落とは別の動機がある。他の匂いから、自分を守る為。だから、香料濃度が高いパルファムはつけないようにしている。

大学生から社会人へ、環境や進路が変わるごとに僕の“匂い”は、変わった。僕の“匂い”が落ちついたのは、MGSがヒットした30代あたりからだろう。生活も業界でのポジションも落ちついた頃だ。ところが、コナミを退社した際には、また“匂い”は変わった。15年くらい愛用してきたあるブランドではあったが、独立を機に“匂い”を変更することにした。そして、その時に出逢った“匂い(オードパルファム)”は、現在もまだ使っている。

海外出張をするようになった2000年以降は、羽田や成田の空港にある免税店で香水を購入していた。独立してからは、億劫なので、デパートの香水売り場で直接購入するようになった。さらに携帯用のアトマイザー(注8)も持ち歩いている。外出先や出張先でも、常に自分の“匂い”でいられるようにと。今のところ、この“匂い”を変える予定はない。だが、問題が起きたのだ。

『KOJI10』最終回の翌朝、SNSを覗いて驚いた。前日に投げたTシャツから、僕が使っている香水ブランドを探求する動きがファンの間で熾っていたのだ。僕のアカウントには様々な香水ブランドの写真が届き出す。正解はどれか? と。実を言うと、自分が使っている香水は、誰にも知られたくはない。特定されてしまった場合には、“匂い”をまた変えるしかない。だからファン達の探究心と熱量には、感動だけではなく、苛立ちも覚えた。香水探しなんかよりも、もっと時間とエネルギーを有効に使ってもらいたい。そう思って、製造国を含む、いくつかのヒントをSNSで返した。それでも正解にはなかなか辿りつかない。仕方ないので、「ハズレ」という回答をしばらく返し続けた。結果、それらのヒントにより、最終候補は二つに絞られた。その候補の片方に、正解はあった。ファイナル・アンサー? 僕は、あえて返答をしなかった。そして、Tシャツから“匂い”が消えたように、わずか1週間もしないうちに、ラジオから発生した“匂い”の話題もSNSから消えた。

僕の匂い遍歴と向き合い方については、いくらかは、言語化出来たのではないだろうか。ただ僕の“匂い”をここで視覚化することは出来ない。“匂い”は他人からは見えないだけに、自分だけの特別な“隠し要素(パルファム)”であるからだ。

P.S. 僕の香水を完全に特定できる“匂わせ”を書いておいた。監督(ボク)の“匂い”、もうわかったはずだ。

注1:『オルファクトグラム』 姉を殺害した犯人に襲撃された主人公が、その後遺症から特異な嗅覚を手に入れ殺人犯を追うミステリー小説。
注2:『KOJI10』 小島秀夫がTBSラジオで今年9月までパーソナリティを務めた番組、小島秀夫の「最高の10時にしよう」。
注3:公開生放送回 リスナーを会場に入れ、収録ではなくライブで放送するラジオ番組。例えば、1980年放送のラジオ大阪『鶴瓶・新野のぬかるみの世界』の生放送企画「新世界ツアー」には、5000人以上のリスナーが集まり伝説回となった。
注4:マルチェロ・マストロヤンニ 『甘い生活』をはじめ多数の作品に出演したイタリアの名優。
注5:タクティクス 資生堂による男性用化粧品ブランド。コロンはグリーンフローラルの香り。
注6:シーブリーズ 元々はアメリカで誕生したボディケアブランド。爽快感のある香りと使い心地が特徴。
注7:オードパルファム 香料濃度8~15%と、オーデコロンやオードトワレよりも香りが濃厚な香水。
注8:アトマイザー 香水などを持ち歩き用に詰め替えるための容器。

今月のCluture Favorite

『KOJI10』最終回生放送後に日比麻音子アナと。

「Brasil Game Show 2025」に登壇した際に訪れたコルコバードのキリスト像の前で。

Profile

小島秀夫

こじま・ひでお 1963年生まれ、東京都出身。ゲームクリエイター、コジマプロダクション代表。1987年、初めて手掛けた『メタルギア』でステルスゲームと呼ばれるジャンルを切り開き、ゲームにおけるシネマティックな映像表現とストーリーテリングのパイオニアとしても評価され、世界的な人気を獲得。世界中で年間最優秀ゲーム賞をはじめ、多くのゲーム賞を受賞。2020年、これまでのビデオゲームや映像メディアへの貢献を讃えられ、BAFTAフェローシップ賞を受賞。映画、小説などの解説や推薦文も多数。ゲームや映画などのジャンルを超えたエンターテインメントへも、創作領域を広げている。

コジマプロダクション10周年記念イベントのアーカイブは、こちら

開発中の最新作『OD -KNOCK』のティザートレイラーが公開中

『DEATH STRANDING』の劇場アニメプロジェクトが始動!

 『DEATH STRANDING』のアニメシリーズがディズニープラスで2027年に公開!

★次回は、2476号(12月17日発売)です。

写真・内田紘倫(The VOICE)

anan 2472号(2025年11月19日発売)より
Check!

No.2472掲載

みんなで考える、フェムケア2025

2025年11月19日発売

anan恒例フェムケア特集の最新版。女性のカラダを考えるムーブメントは引き続き活況。生理やPMSといった婦人科系の基礎知識から、最新のフェムテック、進化したアイテム、制度上の変更点などにわたるまで、押さえておきたい情報を一冊に集約。話題のトピックスを、藤井サチさんや村重杏奈さん、haru.さんと共に考えるコーナーも。表紙はTravis Japanがスタイリッシュに飾ります。

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