――撮影はいかがでしたか?
上重聡さん(以下、上重):いや~何とかなっているといいんですが…。実はスタイリストさんについてもらえる現場はこれが初めてだったんです! 4パターンも衣装候補を用意してもらい、幸せでした。ご提案もいただいたのですが、せっかくの機会なので私服では選ばないものをと思い、思い切って自分の意見を伝え、決めさせていただきました。
――これが初スタイリストということは、ずっと衣装は自前だったということですよね。この現場の前に、日本 ジュエリー ベスト ドレッサー賞の司会のお仕事があると伺っていましたが、それは?
上重:自分のタキシードを着ました。
――そうでしたか。イベント司会のお仕事はいかがでした?
上重:非常に華やかでしたね。局アナ時代はあまりなかったイベント司会をやらせていただけたことで自信になりました。
――いろんなところで「仕事ゼロ」と話していらっしゃいますが、もう仕事、ありますよね?(笑)
上重:いや~(汗)。正直なところ4月はフリーになったご祝儀的な意味合いで、ちょこちょこといただけていました。でも5月に入ると、いつまでゴールデンウィークが続くんだ!? というくらいなかったんです。仕事は徐々に増えていけばいいかなと思ってフリーになったものの、本当にすっからかん…。まるで埋まらないスケジュールを夢で見て、朝方起きるという日々でした。体は正直なもので、仕事がない不安から帯状疱疹になりまして。これはマズいと思い「仕事がありません、ゼロです!」とみなさんにSOSを出していたんです。すると、手を差し伸べてくださる方々が出てきて、6月はほぼ毎日仕事があり、7月も順調にスケジュールが埋まっています。
――SOSが届いたんですね。
上重:ありがたいことに。でも「困っています」と言うのは恥ずかしかったです。おそらくみなさん、局アナがフリーになるということは、事務所に入ってある程度仕事が決まっていると想像なさると思うんです。実際、同じ時期に日テレを辞めた先輩の藤井貴彦さんはすぐに『news zero』をやられてますし。でも、自分はまったく白紙の状態で4月1日を迎えたので、「ほら、みたことか」と言われるんじゃないかと怖くもありました。
――事務所に入らないというのは、あえての選択だったんですか?
上重:「まずは一人でやろうと思った」と、カッコよくお答えしたいのですが、どこからも誘われなかったというのが本当のところです(笑)。だったらもう「一人で衣装を抱えて電車で来ました」でいいじゃないかと。この苦境を面白がってやろうと発想を切り替えたんです。
――フリーになって最初のメディア登場が、元プロ野球選手の松坂大輔さんのYouTubeチャンネルでした。上重さんは高校球児で、松坂さんとは’98年に甲子園で延長17回まで投げ合った仲。そんな松坂さんは上重さんにとってどんな存在ですか。
上重:友達、親友…そう、戦友ですね。カッコつけた言い方をすれば、私たちは人生という延長戦でまだ投げ合っている。松坂が活躍すればするほど、負けたくないと思って頑張れるんです。
――あの試合のインパクトがあまりにも大きくて、そう思えるまでには時間がかかったのでは?
上重:彼は高校を卒業してプロに入ってすぐに活躍する一方、自分は大学に進んで野球を続けましたがいい成績を出せないでいる。その状況を比較され、取材で聞かれるのも松坂のことばかりで…。あの当時は正直、いい加減もう放っておいてくれよと思っていました。
――上重さんの中にあったわだかまりが消えたのはなぜですか?
上重:アナウンサーになったから、ですね。自分のことを話さなければならない職業を自ら選んだ時点で、松坂とのことは避けられないと覚悟が決まりました。松坂という偉大な野球選手についてこうして話せることは、ある意味自分の武器ですし、今はもう自信を持って、松坂は自分の人生の核として存在していると言えます。
かみしげ・さとし 1980年生まれ、大阪府出身。高校時代はPL学園のエース投手として第70回選抜高等学校野球大会などで活躍。2003年に日本テレビに入社。『新春スポーツスペシャル箱根駅伝』では実況を15年以上務めた。日曜朝の情報番組『シューイチ』に’17年からレギュラー陣入り。今年3月末に日本テレビを退社しフリーに。
ジャケット¥147,800 パンツ¥50,100(共にセラー ドアー/アントリム TEL:03・5466・1662) Tシャツ¥24,200(チノ/モールド TEL:03・6805・1449) その他はスタイリスト私物
※『anan』2024年8月14日‐21日合併号より。写真・加瀬健太郎 スタイリスト・鹿野巧真 インタビュー、文・小泉咲子
(by anan編集部)