「知らんなああああああ!!!」美声で飄々と聞いたことない歌を歌うこがけんの横で、小田が絶叫ツッコミを繰り出す。このスタイルでM-1準優勝までたどり着いた、おいでやすこが。あくまで、それぞれはピン芸人。コンビではユニットという形式をとる二人のこれまでとこれからについて話を聞いた。
――ユニットを組む以前の、初対面の印象は覚えていますか?
小田:僕、覚えてないんです。ベロベロに酔ってたんで。
こが:2019年のR-1で僕は初めて決勝に進出したんですが、その準決勝の日が初対面ですね。合格発表があって、そのあと(三浦)マイルドさんが「小田や粗品たちと飲むけど一緒に来るか?」と誘ってくれたんです。
小田:知らんなあ。
こが:小田さんや粗品たちは先に飲みに行ってました。僕が到着したころにはもう、小田さんは顔が真っ赤で出来上がってましたね。
小田:ずっと、誰と勘違いしてんの? って言ってたんですけどね。一緒に飲んでいる証拠写真が出てきてもうて。これは僕の記憶が間違ってたと認めます。ただ、三浦マイルドはその時の話を大げさに、二人をくっつけたのは俺やと自慢しているようですが、まったく覚えてないんでね、そこは違いますときっちり否定しておきたい。
こが:覚えてないんですもんね。
小田:最初、僕はこがけんのこと、他の事務所の後輩芸人やと思ってたくらいで。ずっと大阪で活動をしていたので大阪のピン芸人同士の交流はありますが、東京のことはよくわかっていなかったんです。
こが:小田さんはR-1で5年連続決勝進出しているレジェンドですから、もちろん存在は知っていました。ただ、R-1でしか見たことないというのも正直なところで。小田さんが言う通り、東京にいると大阪のピン芸人さんと会う機会なんてほとんどないんです。
――そんな二人がユニットを組んだのだから不思議ですね。きっかけは’19年8月、大宮ラクーンよしもと劇場でのライブイベントで即席コンビを組んだことですよね。
小田:そうです。くじ引きで相手が決まって、ほとんどネタ合わせもしないで即興で漫才を。お互いのネタを組み合わせた今のネタの原型のようなものです。それがめちゃくちゃウケた。その時に、ネタの相性ええんやなと思いました。
こが:ピン芸人って普段ツッコまれないじゃないですか。それをツッコんでもらって笑いが起きている。しかも他の即席コンビはスベっている中、唯一僕たちだけウケまくった。こんなに楽しいことないなって思いました。ただ、だからってその後があるとは考えなかったです。小田さんは、なんせミスターR-1ですから。胸を借りていい経験させてもらったな、くらいの気持ちでした。
――その後、その日の小田さんの様子を覚えていた奥様が、「M-1でユニットをやるなら、こがけんさんと組んだら?」と提案をされたんですよね。
小田:ハイ。なんで自分で思いつかんかったんやろ、と思いました。で、その日のうちに電話をして。
こが:僕はもうふたつ返事で「やります」と。小田さんと漫才ができるんだって。それだけでうれしかったです。ただ、ウケたとはいえ大宮のお客さんは20人くらいだったから。たった20人の反応を鵜呑みにしてこの人、大丈夫か!? ともちょっと思いました。
――そうして出場した’19年のM-1は3回戦で敗退しています。
小田:がっちがちやったんで。まあ、ダメやろな、と。漫才師っぽくしようとしすぎて、空回りしてしまったと思います。
こが:僕も噛みまくってしまいました……。準備期間も短くて、ほぼネタ合わせもしてなかったし。
小田:そう? やったつもりやったけどなあ。僕、その前年と前々年はゆりやん(レトリィバァ)と組んでM-1に出てたんです。ゆりやん、僕に輪をかけてネタ合わせしないんで。
――その年のM-1の夢はそこで断たれましたが、翌’20年からおふたりでYouTubeを始めたり、コミュニティラジオのレギュラーもスタート。おいでやすこがとして、活動を続けたいというのはどちらからの発信ですか?
小田:全部、僕です。
こが:だって小田さん先輩だし、僕より確実に忙しい方ですから。僕からは誘えないですよ。
小田:いや、こがけんはやりやすかったんですよね。年も同い年だし、芸歴も1年しか違わないから。
こが:僕的には全部うれしかったです。ラジオなんてノーギャラですけど、でも当時は月に2~3回ライブがあればいいほうで。芸人としての活動ができるだけで、全然違う。とくに新型コロナウイルスの影響で、そのころは舞台もなくなっていたから芸人としての正気を保つのが難しかった時期。誘っていただいてありがたかった。
小田:とはいえ、それ誘っていたのも別に、M-1を見据えてとかじゃ全然ないからね。
――あ、そうなんですね?
小田:M-1のこと考えたのなんて、めっちゃ直前やったもんな?
こが:そうです。申し込みの締め切りがあるから。それで、「どうする? 出る?」「あ、出ましょう、出ましょう」って。めっちゃ軽い感じでしたね。
小田:賞レースに出るのも、勝ち抜きたい、一発当てたいという感覚ではなかったんですよね。どれもピン芸のため、R-1に還元できればいいという気持ちでいただけです。R-1以外の他の賞レースは武者修行のような感覚と言いますか。
こが:僕に至ってはそこまでの気持ちもなかったかもしれません。ラジオで話すネタになるな、くらいで。お笑い芸人としての活動が一つ増えたら、もうそれだけでいいって思っていました。
小田:僕、M-1大好きなんでね。憧れはありましたけど、漫才師のみなさんが持っているような積年の想いとはまた違う感覚だと思います。そんなに甘いもんじゃない、とも思っていましたし。
こが:そうですよね。売れたらラッキーですけど、そんな簡単なことじゃないって身をもって知っている。だから決勝行けるんだってわかった時、「M-1すげえ」って思いました。参加したらいつか決勝まで行ける。面白いって認めてもらえたらユニットだろうがなんだろうが決勝に行かせてもらえるんだって。これガチなんだって。まず、そこに感動しましたね。
小田:前年と違って意識したのはそれぞれのピンのスタイルを貫こうということ。前年、漫才師の真似事をして失敗したのでストレートに自分たちの持ち味を出せたら、と。それが最低限漫才の形になっていたらいい。センターマイクの前でちゃんとやる。それだけは守ろうと思いましたし、それが良かったのかな、と思っています。
僕たちは会社と会社の業務提携みたいなもん。
―――結果を見てどう感じました?
小田:えっと、いまだに訳わかってないです。
―――え、もうそろそろ1年たちますが……。
小田:準決勝進出で僕の喜びの感情はマックスで、それ以降はずーっと訳がわからん状態です。ファーストステージ1位通過、決勝の3組に残って、最後の審査で上沼(恵美子)さんと松本(人志)さんが票を入れてくれた。もう全部、どういうことか訳がわかりません。
――(笑)。もう、現実のことと思えないんですね?
小田:そうですね。80回以上、録画したやつ見ていますけど、想像の域を超えています。もうなんか、できすぎているんですよ。
こが:うん、できすぎてますよね。
小田:目標を掲げて目指すとかそういうレベルを超えてしまっているんですよね。ドラゴンボール7個集めて神龍にお願いするランクの夢が叶ってしまった。だから、1年たっても現実味がないです。
――こがさんもそんな感じ?
こが:僕は小田さんほど忙しくないですが、それでも必死で食らいついてます。ananさんにももうすでに2回ほど映画のコラムのお仕事をいただいていますし、そういうふうに知ってもらっているからこそ頼まれる仕事も増えました。テレビの収録の合間に、漫喫で雑誌の原稿を書いて……みたいなこと自分がしているんだ、と思うと客観的に考えてびっくりします。だって1年前はバイトしてないと飯が食えないから、清掃の仕事をしていたんですよ。
――これからのおいでやすこがは、どうなっていく? ユニットはずっと続くのでしょうか?
こが:二人のネタを認めていただいてここまで来られたので、多くの方に求めていただけるうちはやり続けたい。あと、小田さんが一緒にやろうって言ってくださる間は、全力でやるだけです。
小田:会社と会社の業務提携みたいなもんだと思います。結局は、ピン芸人同士。最終的な夢もやりたいこともそれぞれ違う。お互い好きなことをやればいい。そういういびつさもいいと思いますね。
こが:でも、そうやってコンビらしくしていないから、レギュラーとか決まらないんですよ、僕たち。
小田:え、そう?
こが:そろそろ僕たちの冠番組だってあっていいのに! 前例がないから誰も手を出せないんですよ。
小田:確かに、かまいたちや霜降り(明星)と違って、どう扱っていいのかわからんのかもなあ。
こが:僕たちの進化はこれからですからね。もっと、もっと、おいでやすこがに期待してほしいです。
小田:出ようと思えばM-1だって56歳まで出られる。こっちはルール改正せんでほしいなあ(笑)。
写真右・おいでやす小田(おいでやす・おだ) 1978年生まれ、京都府出身。ツッコミ担当。左・こがけん 1979年生まれ、福岡県出身。ボケ担当。2019年にユニット結成。こがけんの得意とする流暢な歌ネタに小田の鋭いツッコミをかぶせるピン芸とピン芸の融合が持ち味。同年、M-1グランプリで3回戦進出。翌年、準優勝をかっさらい大きな話題となった。
おいでやす小田はNSC大阪校23期出身。かつて、モンスターエンジンの西森洋一らとコンビを組んでいたが2008年ごろよりピン芸人として活動。R-1ぐらんぷりで5年連続決勝進出。こがけんはNSC東京校7期出身。2012年ごろからピン芸人に。「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」でのハリウッド映画モノマネが注目されるなど映画通としても知られる。
※『anan』2021年11月10日号より。写真・小笠原真紀 スタイリスト・伊藤省吾(sitor) ヘア&メイク・ナライユミ 取材、文・菅野綾子
(by anan編集部)