よくわからない自信が、僕の原動力かもしれない。
渡米して約2年、大会で好成績を重ね、念願のプロに。その間、スランプがなかったわけではない。原動力を問うと、シンプルかつ、天才スケーターと称される所以ともいえそうな答えが返ってきた。
「夢を叶えたいという強い気持ちと、よくわからない変な自信があって。アメリカでも絶対いけるような感覚があったんですよね。大会で緊張はするけれど、全部の技ができれば(トップに)いけると思って臨んでいました。その自信の根拠はないんですけど(笑)」
――小5でスケーターの父を超えた自覚があった、と。その頃から既に手応えを感じていたのでは?
「父は教え方がハードで、正直なところ、父とスケボーをするのはあまり好きじゃなかったんです。だから自信を得たという感触ではなくて、父よりうまくなって早く離れたい一心でした。でも、スケボーを始めたきっかけは父がやっていたからですし、友人の前で新しい技を見せて驚かせることができたのも父の指導のおかげなので、もちろんとても感謝しています」
父はかけがえのない存在であるけれど、堀米選手には“お父さんのような人”が何人かいるという。指導者のいないスケボー界で、堀米選手を支えてくれた人たちだ。
「出会いに恵まれたと、本当に思います。ここまで来られたのは、多くの人の助けやサポートのおかげです。ストリートを始めるきっかけを作ってくれた立本和樹さん。アメリカの大会に連れていってくれて、日本代表のコーチもしてくれた早川大輔さん。見ず知らずの僕を受け入れてくれた鷲見知彦さん。アメリカでマネージャーのようにサポートしてくれたアンドリュー・ニコラウス。憧れの人であり、僕をプロにしてくれたシェーン・オニール…。みんなを通じてチャンスがどんどん訪れて、それらをうまく掴めたから、いまの自分がいると思っています」
――待つだけではダメだと?
「自分で切り拓くもの、ですね。チャンスは急にやってくるから、それをどれだけ自分のものにできるかどうか。チャンスだなと思ったら、その時自分にできることを精一杯やるべきだと思います」
彼らは堀米選手の才能に惚れて手を差し伸べてくれた。それに、「海外の人が僕を支えてくれた理由の一つに、返事の仕方がウケたというのもあるかな(笑)。今も大して変わらないけど、渡米当初は英語が全然話せなくて、質問されたら何でも“Yes”で返していたんです。そうしたら、コイツ面白いぞという反応をされて、いじられたり、かわいがってもらえるようになって。大会のツアーに、一緒に連れていってくれたりも」
夢に向かう一途な姿勢と、それを叶えられる才能、そこに母性ならぬ父性(?)をくすぐる部分が加われば、放っておけないのも無理ないかも。堀米選手は、人たらしの側面も持っている。
夢。未来。
「自由なところですね」
スケボーの魅力を聞くとすぐさま返ってきたのがこの答え。
「自分がやりたいようにすればいいと思います。スケボーはトリックだけじゃなく、海や公園、坂道を下るだけでも楽しめる。僕はスケボーのおかげで海外に行けるようになり、いろいろな人とつながることができました。そして人として必要なことを学べた。スケボーは単なる道具であるけれど、自分自身をレベルアップさせてくれる大切なツールでもあるかな」
――初めてずくめの東京五輪が終わり、何か変わったところは?
「日常は変わらないです。新しい技の練習や街中での撮影など、毎日スケボーをしています。内面も特に変化はないですが、プレッシャーから解放されたぶん、自分のやりたいことや夢、目標に向けてのびのびと楽しく、自分のペースでスケボーができています」
何度か出てくる“撮影”という言葉を不思議に思う人がいるかもしれない。スケボーには独特のカルチャーが根付いている。一般的なスポーツは大会での優勝を目標とすることが多いが、スケボーはそれだけでなく、滑りや技を撮影し映像作品に残すことも大きな目的だ。
――スケーターのステイタスを左右する映像作品の見どころは?
「自分の滑りだけじゃなく、場所や音楽のセレクトにもこだわりがあるので、そこにも注目してほしいです。少しでもスケボーに興味を持ってくれたら嬉しいですね」
4月22日から、日本でX Gamesという大会が開催中だ。
「東京五輪後、初めてとなる大会が珍しく日本であります。五輪では考えすぎて、スケボーが楽しくないと思うことも多々あったので、今回は自分のやりたいことを楽しくできたらいいと思っています」
堀米選手のベースにあるのは、常に“楽しさ”。あらためてそのシンプルな気持ちがスキルの向上、夢を叶えたいという願いを後押ししてくれることに気づかされる。
――アメリカでプロになるという夢を叶え、金メダルも獲りました。いま、次に目指しているのは?
「パリ五輪での金メダル獲得です。2連覇がいま一番叶えたい夢。それができるのは自分だけですし、叶えられると思っています」
最後に、トップスケーターに大事なことと、理想像を聞くと…。
「ただスケボーをしているだけではダメってことではないけれど、何か目標を決めて、それをクリアするための方法を考えながら動くことが大事かなと。スキルを考えながらスケボーをするのが一番楽しいと思っています。なりたい理想像は、人に例えるならマイケル・ジョーダン。自分の限界を常に求めていて個人のプレーもすごいけど、チームメイトを育てたり、サポートしたりしているのがカッコいいと思います。自分もそんな存在になりたいですね」
好きだから、楽しいからこそ貪欲になれる。そこにゴールなんてものはない。堀米雄斗はこれからもずっと果てない道を滑り続ける。
堀米選手の素顔がもっとわかる記事はコチラをどうぞ。
https://ananweb.jp/news/412578/
初の自伝フォトエッセイ
『いままでとこれから』KADOKAWA 2200円 “いろいろな人の思いが乗っかって堀米雄斗ができている”ことがわかる、彼の魅力満載のフォトエッセイが発売に。「アメリカでの具体的な活動や関わってくれた人への思い、スケボーのメインともいえる、良いことを認め合うカルチャーについても書いてあります。読んでくれたら嬉しいです」
~堀米雄斗~
1999年1月 東京都江東区生まれ
2005年 6歳でスケボーを始める
2017年3月 アメリカ・LAに移住
2019年5月 プロスケートボーダーに
2021年7月 東京五輪で金メダル獲得
小学6年生で韓国のバーチカル世界大会で3位。中学生からストリート種目を本格的に始め、数々の海外の大会で上位入賞。2018年に世界最高峰のプロツアー「ストリートリーグ」で3 連覇を達成する。’21年世界選手権優勝。
※『anan』2022年4月27日号より。写真・杉田裕一 取材、文・伊藤順子
(by anan編集部)
堀米雄斗選手の様子を写真で一挙にご紹介。