志村 昌美

殺処分ゼロの国トルコ「犬をケアするコミュニティのほうが人間的」気鋭監督が語る理由

2022.3.16
保護犬や保護猫など、年々高まりを見せている動物愛護への関心。そんななか、オススメする1本は、全編ほぼ犬目線で撮影されたことでも注目を集めている話題のドキュメンタリーです。

『ストレイ 犬が見た世界』

【映画、ときどき私】 vol. 465

殺処分ゼロの国トルコ・イスタンブールの街で、人間と自然に共存生活を送っている野良犬たち。そのなかにいたのは、自立心が強くいつも単独行動の犬ゼイティン、フレンドリーで人懐っこい犬ナザール、そしてシリア難民の心の拠り所になっている愛らしい表情の子犬カルタルだった。異国情緒あふれる街中を縦横無尽に移動する彼らの目線から見えてきたものとは?

舞台となるトルコは、20世紀初頭に行った大規模な野犬駆除に対する反省から、殺処分や野良犬の捕獲が違法とされている国のひとつ。それゆえに、動物愛護に関する国民の意識も非常に高いと言われています。そこで今回は、その現状に迫ったこちらの方にお話をうかがってきました。

エリザベス・ロー監督

監督のみならず、プロデューサー、撮影監督、編集も務めた香港出身のロー監督。撮影時に驚かされたエピソードや愛犬家でもある監督だから気づいたこと、そして私たちが犬たちの生き方から学ぶべきことについて語っていただきました。

―今回は、犬と同じ目線での撮影に挑戦されましたが、ローアングルで撮ることに決めた理由からお聞かせください。

監督 本作では犬の生活が物語の中心なので、それをとらえるためには、彼らの視点で描かなければ意味がないと感じました。人間が主人公の場合は、私たちの目の高さで語られているので、それと同じことだと考えたのです。

そしてもうひとつの理由は、意識下に潜り込むような体に響く映像が撮れるのではないかと思ったから。私たちは物事を考える際、人間を中心としていますが、視点を低くすることで普段とは違う新しい見方で世界をとらえられるはずなのです。私たちが何を中心に置いて物事を考えるべきなのかを見直すきっかけになるような映像にしたかったというのが意図としてありました。

―とはいえ、自由に暮らす犬を追いかけながら、同じ目線を維持して撮影するのはかなり大変だったのでは?

監督 そうですね。どうすれば思い通りの映像が撮れるかについてはかなり悩みました。基本的に野良犬たちは人間の言うことを聞かないので、そこが一番難しいところだったかなと。最終的には、いくつかの装置を駆使しながら低い体勢で撮影できる方法を見つけることができたので、今回のような映像を撮ることができました。おかげでいろいろなことが自然発生的に起きた瞬間をカメラに収められたと思っています。

犬たちは深いところで人間が望むことを察知してくれる

―そうやって撮られた映像から、ご自身で新たな発見をすることもあったのではないでしょうか。

監督 それはありましたね。たとえば、ゼイティンとナザールが車のたくさん走っている道路に向かって急に走り出すシーン。撮影しているときは奇妙な行動だと感じていましたが、編集の段階で何度も同じ場面を見ていたところ、彼女が一瞬振り返って「いい画が撮れた?」みたいな顔をしていることに気がついたんです。

あのシーンによって、彼らの置かれている状況がとても危険であることが表現できましたし、生き物の不可解さみたいな部分もとらえられたのではないかなと。すごく心配になる行動でしたが、よく見るとリスクをきちんと計算していることもわかりました。

私たちが自分自身でも気がつかないうちに望んでいることでさえ、犬たちは深いところで人間のことを察知してくれているんですよね。そんなふうに少しずつ行動の意味がわかるようになってきたので、フィルムメイカーとしては本当にワクワクする作業でした。

野良犬たちが豊かな生活をしていることに気がついた

―人間と野良犬が共存している様子は日本ではあまり見ない光景なので驚きましたが、監督も2017年にトルコを旅した際に知ったとか。

監督 私が生まれ育った香港と生活経験のあるアメリカという2つの国は野良犬を許容しない社会なので、トルコのコミュニティが法律とともに野良犬をケアしていると知ったときは私も驚きました。そのときに感じたのは、資本主義社会では何も生産しない野良犬を置いておく余地がないということ。

それだけに、いきいきとしているトルコの野良犬たちの姿は、野良犬を必要のない存在とする資本主義に対する抵抗のようにも見えました。ただ、トルコでも現大統領が路上から動物を排除しようと考えているようなので、いま彼らの置かれている立場は非常に不安定なものになりつつあるのが現状。それもこのドキュメンタリーを作りたいと思った理由のひとつでもあります。

―トルコでの半年間の撮影を経て、いま思うことといえば?

監督 最初は、ペットと違って愛を受けていない野良犬がどんな生活をしているのかを追いかけようと考えていたのですが、実際に彼らと過ごしてわかったのは、すごく自由で豊かな暮らしをしているということでした。そして、私たちは野良犬がいると道徳的によくないと思いがちですが、彼らをケアしているコミュニティのほうがよっぽど人間的であることにも気づかされたのです。

香港やアメリカ、そして日本のように野良犬を許容しない社会の考え方をひっくり返すのは難しいことではありますが、そういった思い込みがあることを知ってほしいなと。トルコのように共存のモデルができあがっていることは本当にすごいことですよね。

人間と違って、犬は相手を裁くことはない

―犬たちと共存することが人々に与えているいい影響なども、感じることはあったのではないでしょうか。

監督 そうですね。今回登場する野良犬たちは路上で暮らすシリア難民の少年たちと行動をともにしていますが、一緒にいたいと思うのは、お互いにどこかに属したいとか、仲間を作りたいという気持ちがあるからだと思いました。

特に、人間と違って犬は相手を裁くことはなく、あくまでも自分をどう扱ってくれるかで相手との関係性を決めている存在ですから。そんなふうに、少年たちはひとりの人間として必要とされている喜びや癒しを犬から与えられたくて一緒にいることを望んだのだと感じました。

―街に暮らす一般の方々にとっても野良犬たちが生活の一部になっており、その姿は美しかったです。

監督 確かに、トルコでは社会にいるどんなクラスの人でも野良犬に対しては、深い愛と寛容さを持って接していると思いました。たとえば、2匹の犬が餌を取り合っているシーンではゴミ収集車の人がケンカを止めようとするのですが、そんなちょっとしたことでも介入しようとする姿は素晴らしいなと。

野良犬たちを守る法律は、もともとトルコの人たちが自ら戦って作り上げたものですが、それをまた政府が覆そうとしている状況はとても悲しいことです。しかも私からすると、そのほかの社会問題からみんなの目をそらすための“身代わり”に利用されているのではないかという懸念もあります。

犬たちがしっかりと生きることを教えてくれる

―人にとっても犬にとっても、いい方向へと進んでほしいですね。ちなみに、もし日本にも旅行されたことがあれば、そのときのことを教えていただけますか?

監督 日本には何度か訪れたことがありますが、場所も文化もとても興味深く、美しい国ですよね。ただ、動物好きの観点から気になっているのは、日本の動物園について。細かいところにまで心配りがされているものの、ほかの国と比べて動物の居住区や展示スペースが殺風景に見えて残念に思ったことがありました。今回は動物に関わる映画ということでそんなことを思い出してしまいましたが、日本の文学や映画はとても素晴らしいと感じています。

―貴重なご意見ありがとうございました。それでは最後に、犬たちの生き方から私たち人間が学ぶべきところについてお聞かせください。

監督 人間というのは、つねに生産しなければいけないと考えがちですが、そういった思考をリセットさせ、その瞬間をしっかりと生きることを教えてくれる存在が犬たちではないかなと。彼らは人やほかの生き物と絆を築くうえで見返りを求めることなく、自分が興味を持ったものだけを追求していくので、私はそんな姿に敬意を払っていきたいです。

新しい視点を手に入れれば、世界は広がる!

思い込みや凝り固まった考え方から解放されるのに必要なのは、いままで見たことのない目線から世界を眺めること。犬たちが送る豊かな生き方は、私たち人間が忘れがちな大切なことを教えてくれるはず。愛に満ちた美しいトルコの街に彼らと一緒に繰り出してみては?


取材、文・志村昌美

優しさに満ちた予告編はこちら!

作品情報

『ストレイ 犬が見た世界』
3月18日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開
配給:トランスフォーマー
https://transformer.co.jp/m/stray/
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