兄は障害者…家庭内暴力から一転、突然引きこもりに。#5

文・心音(ここね) — 2018.3.11
“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。 暴力的だった兄は、次第に家から出ない状態に変化していきました。

【兄は障害者】vol. 5

高校退学後、兄は急に内向的になった

大声をあげながら夜中に帰ってきたり、学校では “ヤンキー系” でヤンチャをしたりしていた兄。しかし、高校を退学させられた後は、だんだん世の中のギャップに気づきだしたのか、家から出ない日々が続きました。もちろん、中卒扱いで働く場所もない。外に出れば、好奇の的。だからといって、新しい予備校に行くという意欲もない……。

母は「中学生までは、自慢の子供だった」と言います。運動神経が良く、足も速くていつもリレーの選手。ルックスもよくてオシャレが好きだった兄は、ファンクラブができるほど人気だったからです。それだけに、急に高校からいなくなった “人気者で目立つ兄” の噂は、瞬く間に広がっていきました。そして、自分の悪事に対して後から反省し始めたのか、兄は知り合いに合うたびに引け目に感じるようになっていきました。

2階にある兄の部屋は、孤立していた

両親は、兄の将来を考えて進路を応援する取り組みをしていましたが、兄は乗り気ではありませんでした。それどころか、部屋から出なくなっていったのです。基本的に部屋のドアを開けるのは、トイレのみ。歯磨きもしない、顔も洗わない、お風呂も入らない。ご飯を用意しても、リビングには来ない。同じ服を何日も着て、布団から出ないんです。「ねえ、お兄ちゃん、お風呂入ってスッキリしたらどう?」と母は、怒ることなく自分の部屋に何日も引きこもる兄に声をかけていました。

「ご飯ができたから、リビングにおいで」と呼んでも出てこなければ、母は兄の部屋の前に、お味噌汁やご飯、焼き魚をトレーに乗せて「ドアの前に置いとくから、食べてね」とひと言。数時間経って、そーっと2階の階段を上ってトレーのご飯が減っていれば、片付ける。その繰り返しの日々が続きました。両親は無理に部屋から連れ出そうとはしませんでした。

自分が撒いた “種” は、荒れ果てていた

正直、兄に関して父より母のほうが献身的だった気がします。自分がお腹を痛めて “産んだ子” だからなのか、母はいつも兄の味方でした。見ていて苦しくなるくらい……。父は仕事から帰ってくると、たまに「疲れて帰って来ても、家の中では休まらんわ」と愚痴をこぼすこともチラホラありました。

「知り合いに会いたくない」と兄がいっても、「お前が撒いた “種” だろ?」と冷たく言い返すこともありました。まさに、私は父が言った通りだと思います。“撒かない種に、芽は出ない” とよくいいますが、自分が撒いた後の畑には、必ず何かしらの “芽” が出ます。兄の畑は、荒れ果てていました。まるで、水のない乾燥した状態を耕さずにそのまま放置し、雑草が生えてぐちゃぐちゃになった畑。それは、兄が撒いた “種” の結果だったのです。

そんな状況をなんとか打破するべく動いたのは、やはり母でした。パートをやめ、次のステップに踏み出しますーー。


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