藤野可織「女同士が仲良くする物語を自分でも書きたい」 女バディ小説に込めた思い
この物語は、藤野可織さんが2013年に上梓した短編集の中の一編として発表されたもの。
「もともと私は探偵ものが好きで、シャーロック・ホームズはもちろん、ミス・マープルやポワロを見て育ち、少し大きくなってからは『名探偵コナン』などを見ていました。でもあるときふと、“探偵の周辺では人が死にすぎる”ということが気になって(笑)。その、探偵ミステリーの持つおもしろい法則性を生かした小説を書きたいと思ったことが、発端です。探偵ものならやっぱりバディものにしよう、と思ったのですが、当時頭に浮かんだ探偵バディものが、ほぼ男性同士のバディで、これは変だ、と。これからは世の中に女性バディものを増やさねば、と思って、女の子のバディにしました」
転入生としてやってきた、頭脳明晰な女子高生・トランジ。同じクラスのピエタはある事件をきっかけにトランジと友達に。実はトランジは“事件誘発体質”で、二人の周囲では驚くほど殺人事件が頻発。軽口を叩きながら問題を解決していく二人は、文字通り最強の女子高生バディ。想像を超える痛快なストーリー展開など魅力がたっぷりで、話題騒然に。
「書いているときは楽しかったのです。でも発表したあとに、主人公たちをなぜ女子高生にしたのかを改めて考えてみたんです。それで、女性の人生で、“無敵で、何をしても世間に許される、人生で一番きらきらしているとき”というのは女子高生のときくらいだから、二人をその世代に設定したんだ、ということに気がついたんです。私は、そういう価値観をずっと好きではないと思っていたはずなのに。そもそも“世間に許される”なんて考え方も、まだ子どもといえる年齢が“人生で一番きらきらしているとき”だなんてこともおかしい。おかしいってわかっているのに、女性を抑圧するそういった風潮を私自身が内面化してしまっていることにも改めて気がつきました。それをそのまま小説にしてしまったことを、すごく反省したんです」
自分にとって女性のバディを書く意味とはなにか、それを通してなにを書きたいのか、ということと改めて対峙。思索をする中で、今の社会には、女性はある時期以降社会で冒険をすることから遠ざけられてしまう、そんな仕組みがあることに気がついたのだとか。
「男同士だったら、極端に言えば死ぬまで冒険をしていてもいい。でも女性はある時期が来ると、妻になったり母になったりして家庭を持つことで、誰かの面倒を見て生活をしていくことが役割だとみなされます。それゆえ、冒険から退かざるを得なくなる。私が無意識に、ピエタとトランジの二人を女子高生にしていたのは、その“ある時期”が来る前の女性だからだったんです。だから続きを書くならば、キャラクターの年齢を変えずに事件を解決するスタイルではなく、二人が歳を重ね、老人になってもずっと事件を解決し続ける、その姿を書きたいと思って長編に取り組みました」
加齢で外見は変化しても、その人の本質は変わらない。
バディものといえば、一人は天才型で、もう一人はその助手など、天才をサポートする立ち位置のことが多い印象がある、と藤野さん。『ピエタとトランジ』も、そのステレオタイプを基本的には踏襲し、トランジは頭が良くぶっ飛んでいるキャラクター。しかし相棒であるピエタはサポート役ではなく、トランジとは別の方向にぶっとんでいる女性。
「人が2人いればどうしたって権力関係が働きますし、それは物語の中でも同じ。でも私はできるだけ人間関係は対等がいいと思っているので、ピエタをトランジのサポートをするだけの存在にはしたくなかった。トランジが事件を誘発し物語が動くのですが、構造的に実は主体はピエタです」
長編の中で二人は、大学を卒業し、社会に出て、そして歳を重ねていく。加齢によってさまざまな変化が訪れるけれど、それでも二人はずっとバディで居続ける。
「歳を取っていく二人を書くにあたって、正直そんなに苦労はなかったです。ただ気をつけたのは、二人が一緒にいるときの、話し言葉や態度。おばあさんになったからといって、ピエタもトランジも落ち着いた話し方をする…みたいなことはない。私自身、歳を重ねて、成長した部分もあるし逆にダメになった部分もあるなど変化を繰り返して、いま中年になっていますが、でも子どものころから今まで自分というものはずーっと変わらず続いているとも感じているんです。だからピエタとトランジが一緒にいるときは彼女たちが何歳でも、高校生時代と同じような言葉遣いで話す、ということを心がけました」
さらにもう一つ、ピエタがピエタ自身の容姿について時々言及するシーンを、意図的にたまに差し込んだのだとか。
「世間一般でいわれる“若くて美しい時期”を越えたピエタが、今の自分の容姿を気に入っている、ということを書きたかったんです。本当はみんな、歳を重ねた自分の顔が嫌いだってこともないと思うし、個人的なことを言えば、私はむしろ若いときよりも今の顔のほうがしっくりくると思うこともある。そんなことも積極的に伝えたかった。なにより私自身が、歳を取っていく女性の姿をもっと見たいんです。実際読者の方から、“二人が歳を取っていくところがいい”という感想を頂いて、そうだよね、みんな同じこと考えてたよね、という気持ちになりました」
共に歳を取る女バディがもっとたくさんいてほしい。
女性2人が登場する小説やマンガ、映像エンタメはいろいろあるけれど、その二人が純粋に仲が良いことを楽しむ、そんな作品が出てきたのは、意外とここ最近なのでは、と藤野さんは言う。
「昔は女2人といえば、1人の男を取り合うライバル、といった関係性で描かれることが多かった印象があり、そういった物語をまあそんなものなのかと自然と受け入れていました。でも現実ではそんなことは特に起こっていないし望んでもいなくて、もしかしたらあれは、世間によって仕組まれた罠なのでは、と思うようになったんです。だからこそ私は、女同士が仲良くする物語を積極的に読んだり見たりしたいし、自分でも書きたいと思いました」
作者である藤野さんが、ストッパーをかけずに思い切り好きなことをやらせてあげた女バディが、文字通り跋扈するこの物語。
「女バディを書く楽しさは、“女だってこういうことができるし、やっていい”ということを書けることかもしれません。女でも、不道徳で無責任で、いろいろ最低でも全然いいな、と思いながら、すごく楽しく書きました」
今の社会では、女性は仕事でも友情でも、ライフステージによって断絶することが少なくない。でも、本当はそこを諦めたくないし、未来の女性たちには諦めないで生きてほしい。この物語にはそんな希望も添えられている。
「社会の思惑通りに、結婚をして子どもを産んで…と生きる中で、仕事や友情や、それからなによりもそれまでの自分自身と、どうしても引き裂かれてしまう部分って、あると思います。でもその、“どうしても引き裂かれてしまう”ものや関係性は、本来は他者や社会から引き裂かれる必要はなく、繋がったまま生きていける、ということを、きっとみんな知りたいし、そうやって生きている人を見たいのではないか、と思うんです。私自身がまさにそうで、妻や母の“役割としての自分”が私の本質かと言われると、決してそうではない。どんなに時間が経っても、本質は失われずに、自分の中にきっとある。そういうことを物語を読んだり見たりすることで、改めて確認してくれたら嬉しいです」
『ピエタとトランジ』 2013年、短編集『おはなしして子ちゃん』の収録作で発表され、’20年に〈完全版〉と銘打ち長編小説として単行本を発売。さらに’22年に〈完全版〉を外し文庫本に。最初の登場から11年経った今も、最強の女バディ物語として愛されている。¥792/講談社文庫
ふじの・かおり 作家。1980年生まれ、京都府出身。2006年「いやしい鳥」で第103回文學界新人賞受賞。’13年に「爪と目」で第149回芥川賞受賞。最新作は『青木きららのちょっとした冒険』(講談社)。©森山祐子/anan
※『anan』2024年8月28日号より。写真・中島慶子
(by anan編集部)