志村 昌美

3児の母・ 杏、 育児の問題点 を呉美保監督と語る「本当に辛い人は声を上げる時間も余裕もない」

2023.8.30
女性の活躍や権利のために、世界中で巻き起こっているさまざまなムーブメント。そんな動きが盛んななかで誕生したのは、各国の女性を主人公にした7つのショートストーリーで構成された映画『私たちの声』です。そこで、ジェニファー・ハドソンやカーラ・デルヴィーニュといった豪華なキャスト陣が揃う本プロジェクトで、日本代表を務めたこちらの方々にお話をうかがってきました。

呉美保監督 & 杏さん

【映画、ときどき私】 vol. 597

アメリカ、イタリア、インドなどさまざまな国を舞台に描いた作品が並ぶなか、日本のパートを託されたのは国内外で評価の高い呉監督。そして、2人の子どもを育てながら働くシングルマザーを描いた短編『私の一週間』で主演に指名されたのは、本作で世界デビューを果たした杏さんです。今回は、仕事と育児の両立で意識していることやジェンダーギャップを改善する難しさなどについて語っていただきました。

―まずは、本作の主人公に杏さんを起用された理由から教えてください。

監督 子を持つ母親を描くにあたって、杏さんは実際に3人のお子さんがいらっしゃいますし、大変な育児をしながら仕事をされている姿を見て、「どうやって両立しているんだろう?」と以前から気になっていたんです。

しかも、テレビ番組などで「完璧にはできていません」みたいな等身大の発言もされていたので、面識がない頃からいつかお話を聞いてみたいなと。そんなふうに考えていたときに、今回のテーマとちょうど一致したので、「いまだ!」と思ってオファーさせていただきました。

育児ではあらゆる可能性を想定している

―杏さんは、監督に対してどういった印象をお持ちでしたか?

杏さん すごくパワフルで、描きたいことに対する情熱がすごくある方だと思いました。淡々とした口調ではありますが、そのなかにしっかりとした意志があるので、熱く語り合うことができる方です。いまでは、ママ友としての交流もあるので、とてもいい出会いになりました。

―本作で一緒にお仕事をされるなかで、監督が抱いていた育児と仕事の両立に関する悩みは解消される部分もあったのでしょうか。

監督 子育ても仕事も段取りが大切だと思いますが、杏さんはそれを淡々と効率よくこなしている方だと感じました。そして、子どもとの時間や仕事だけでなく、自分の趣味など、さまざまなことに取り組むタフさも持っている。といっても、おそらくそれは本人がしたいからそうしているだけで、ものすごくがんばっているわけでもない。そういうところに憧れますし、私も同じようにいろんなことにチャレンジしたいなと思っています。

―実際、杏さんは両立をするうえで意識されていることはありますか?

杏さん 考えすぎてガチガチになってしまうのはよくないですが、あらゆる可能性を想定しておくようにしています。つねにプランBやプランCを持つようにしたり、突然なくなることもあるからイベントごとを楽しみにし過ぎないようにしたり、といった感じです。

自分の気持ちこそが、日本におけるジェンダーギャップ

―なるほど。とはいえ、育児では予想を超えたことが起きることもあると思いますが、劇中で“あるサプライズ”をしてくれる子どもたちのようにご自身のお子さんたちに驚かされることもあるのでは?

杏さん たまに手紙を急にくれたり、笑顔の絵を描いてくれたりすることはあります。しかも、そのなかに「大好き」と書いてあったりするので、そういうのはやっぱりうれしいですね。

―監督にとっては8年ぶりの新作となりますが、出産を経験したあとにこの企画で復帰を決めた理由についてお聞かせください。

監督 2021年の3月頃に、プロデューサーから「ジェンダーギャップをテーマに短編映画を作ってみませんか?」と声をかけていただいたのがきっかけでした。ただ、そのときは上の子が5歳で下の子が0歳という時期だったので、最初は時間も体力も余裕がないなと。

でも、「自分はもう一生映画は撮れないのではないか…」と毎日モヤモヤした思いを抱えて過ごしていたときでもあったので、話を聞いて私のこの気持ちこそがまさに日本におけるジェンダーギャップのひとつだと気がついたんです。そこで、「いまここで動かなければ、私は二度と映画は撮れない」と自分に言い聞かせて、お受けすることにしました。

いまの夢は現場にいいサイクルを確立すること

―現在、日本の映画界では出産をした女性の離職率が高いことが問題視されていて、監督と同じような思いを抱えている女性は多いと思います。

監督 そうですね。実際、私も本当の意味で復帰できたとは思っていません。今回は短編だからできましたが、もし私が出産前と同じサイクルに戻して長編を作ろうとしたら、育児をしながらでは不可能。ほかにも映画業界で働く仲間たちに話を聞くと、子どもを産んだあとに現役でバリバリ働けている人はほとんどいません。

―映画業界は代表的な例ですが、ほかの業界でもまだまだ働く女性の置かれている立場は厳しい状態と言わざるを得ないかもしれません。

監督 もちろん、ベビーシッターさんに預けたりすればできるとは思います。でも、そういうことではなく、ちゃんと子どもとの時間を持ちながら仕事ができてはじめて、自分の場合は復帰できたと言えるのかなと考えています。

そのためには、予算のことなど課題はたくさんありますが、次に新作を撮るときにはいいサイクルを確立するのが夢です。それが実現すれば、子どもを持つ人だけでなく、現場にいるみんなが自分の時間を持てるようになるので、そういう環境を作りたいと思っています。

母親の焦燥感や孤独を客観的に見つめることは大事

―ただ、2023年のジェンダーギャップ指数で、日本は146か国中125位という過去最低の結果で、先進国のなかでも最下位という厳しい状況です。おふたりも、改善したほうがいいと感じることはありますか?

杏さん 育児に関して言うと、ここまで見過ごされてしまう理由のひとつは、ときが経つとみんな育児から卒業してしまうので、当事者が声を上げ続ける難しさがあると感じています。大変な時期を過ぎると、「もう楽になったから…」となりますよね。

監督 しかも、思い出って美化されますから(笑)。

杏さん そうなんですよ。「私はできてたよ!」みたいになることもあるくらいですからね。でも、本当につらい人は声を上げる時間も余裕もなく、負のスパイラルに陥っているのが現実だと思います。

―まさに、劇中で描かれている母親の姿と重なりますね。

杏さん 本作では育児をしている人の焦燥感や孤独みたいなものを淡々と描いていますが、そういう姿を客観的に見つめることは大切だと感じました。かといって、この作品では育児に関する問題提起をしたり、大変さを声高に訴えたりすることはありません。

逆に、そういうメッセージは入れ込まないようにしようと監督と話していたくらいでした。そういった部分も、これまであまり受けてこなかった直球の母親役を今回は演じたいと思った理由かなと。そこから何を受け取るかは、観る方に選択の余地があるようになっているので、男女問わずいろんな世代の人に観ていただきたいです。

もっと作品や中身を見てもらえる映画制作者になりたい

―そのあたりは興味深いところですね。ちなみに、杏さんは現在フランスで育児をされていますが、日本とはどんな違いを感じていますか?

杏さん 社会全体が子どもに合わせることに対して、疑問に思っていない国だなと思います。日本だと、子どもがいることで謝らなければいけない状況が多いですからね…。そういう価値観の違いを感じているところです。

―育児以外にも、ジェンダーギャップや女性ならではの苦労をした経験があれば教えてください。

監督 「女性監督として大変だったことはありますか?」とよく聞かれるんですが、私の場合はあまりそれが思い浮かばないんですよね。といっても、私は女性であることに加えて在日韓国籍でもあるので、いろんな偏見の対象とされることが多いですが、監督になってからの15年間ですごく大変だったことは特にありません。

むしろ、それが個性となって逆に覚えてもらえたところはあるかなと。ただ、それも裏を返せば「覚えてもらえてラッキー」としている自分がいるので、そういうところを手放さないとこれ以上の成長はできないと考えるようになりました。もっと作品や中身をしっかりと見てもらえるような映画制作者になりたいと思っています。

休みも遊びも“必要な仕事”としてとらえていい

―それでは最後に、ananweb読者に向けてアドバイスがあればお願いします。

杏さん 映画はもちろん、小説や漫画でも言えることですが、エンターテインメントを通していろんな人生に触れられると、そこで救いになる何かと出会えることがあります。そういった時間を積み重ねていくことで、新たな気づきや癒しを得られると思うので、行き詰ったときはそんなふうに楽しむようにしてください。私は、休みも遊びも“必要な仕事”としてとらえてもいいと考えているほどです。

監督 生きているといろんな感情に出くわすと思いますが、それはつまり「生きている証拠」なのかなと。つらいときにはその瞬間だけで考えてしまいがちですが、点でとらえないことも必要です。しんどくなったら、杏さんがおっしゃっているように休むのも大事ですし、何かを手放してみたり、点で考えずに「生きているんだな」と感じていけたらいいですね。

インタビューを終えてみて…。

ご自身の経験に基づいていることもあり、言葉に力強さと説得力のある呉監督と杏さん。そんなふうに共鳴し合っているおふたりだからこそ、現代を生きる女性たちのリアルに迫る作品を生み出せたのもうなずけます。今後も、おふたりのタッグが見られるのを楽しみにしたいところです。

どんな小さな声でも、世界を変える力がある

実話からアニメーションまで、さまざまなジャンルで女性たちが抱える葛藤や立ちはだかる困難を描いている本作。どんな局面にも、勇敢に立ち向かおうとする女性たちの姿は、言葉や文化の違いを飛び越えて共感を呼び、観る者の心を大きく揺さぶるはずです。


写真・園山友基(呉美保、杏) 取材、文・志村昌美
杏 ヘアメイク・犬木愛(agee) スタイリスト・杉本学子(WHITNEY)
ブラウス¥29,700、パンツ¥24,200(ともにLE PHIL)、ネックレス¥25,300(SASKIA DIEZ)リング¥37,400(GABRIELA ARTIGAS)、ピアス¥12,000(MOUNIR)/すべてLE PHIL NEWoMan 新宿店 TEL:03-6380-1960

ストーリー

「映画、芸術、メディアを通して女性を勇気づける」をスローガンとして掲げる非営利映画製作会社<We Do It Together>協力のもと、世界の映画界で活躍する女性監督と女優が集結して紡ぎ出したのは、女性を主人公にした7つの物語。

幼い娘のために重度の薬物中毒を克服しようとリハビリに取り組む女性や、コロナ禍に若い女性のホームレスを救い出そうとする女医、毎日多忙なルーティンをこなしながら2人の子どもを育てているシングルマザーなど。さまざまな状況に置かれた女性たちが、力強く生きて行く様子が描かれている。

引き込まれる予告編はこちら!

作品情報

『私たちの声』
9月1日(金)新宿ピカデリーほか 全国ロードショー
配給:ショウゲート
https://watashitachinokoe.jp/
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