ジョイマン「最初は“ナナナナ~”じゃなくて“ララララ~”だった」 ラップネタ誕生秘話

2023.8.11
“ナナナナ~♪”でおなじみのジョイマンが今年、コンビ結成20周年を迎えました。国民的ラップネタの誕生に低迷期からの復活、今の円熟した関係性までを語ってくれました。

独特のリズムと、「ありがとう オリゴ糖」をはじめとする韻を踏むラップネタで大人気となり、老若男女から愛されているジョイマン。お二人は現在、コンビ結成20周年を記念したサイン会ツアー真っ最中。

whos1

――東京でのサイン会を終えられたばかりですが、いかがでしたか。

池谷和志:青森など遠方から来てくれた方もいれば、ジョイマンが好きなおばあちゃんのために来たという方もいて。高木が「ムーミン 永眠」とラップを添えていて、よくないなと思いましたけど。

高木晋哉:反面教師というか長生きしてほしいという意味を込めました。

池谷:サインに書いたラップは声に出して発表するので、並んでいる方にも楽しんでもらえたはず。

高木:高校の時の担任の先生が来てくれたりとドラマもありました。次は47都道府県を回りたいです。

――2014年には、ファンが一人も来ない“サイン会0人事件”もありました。

高木:ちょうど仕事がなくなっていく最中の出来事だったので、芸能界の底はここなんだと。逆に、地に足がついたというか、這い上がる覚悟をする転機になりました。

池谷:僕から解散話をしたことも。でも、だんだん笑けてきてね。

高木:エレカシ(エレファントカシマシ)さんの「悲しみの果て」じゃないけど、涙の後には笑いがある。エレカシはジョイマンだよ。

池谷:最近、その話、気に入ってるよね(笑)。高木さんがツイッターに会場の写真を上げたのも、底まできたからなんだよね。

高木:営業が減る可能性があるので普通は隠すんですけど。自分の中で抱えきれなくて、誰かに言わないとダメだと思って、世間に発表することにしました。

池谷:でも、かわいそうだと思った人から仕事が来るようになったんです。0人の話をするためにテレビに出たりとか。一時期、最高月収と最低月収だけを言って帰る、みたいなことも多かったです。

高木:だから、ツイッターで恥ずかしい部分を発信してよかったなと思いました。それまではプライドもあり、カッコつけてたので。

池谷:恥ずかしいことを言って笑ってもらえる職業なんだとあらためてわかった瞬間でしたね。でも最近、高木さんの発信に哀愁が足りない気がしていて。ファンの方はもっと、切ない高木さんを求めていると思うよ。“あ、今幸せなんだな”とバレてるはず。フォロワーが減っちゃうかもよ?

高木:幸せってバレちゃいけないんですか(笑)。どんな地球だよ、どんな惑星だよ…。

――(笑)。大変だった時に解散を踏みとどまったのはなぜですか。

池谷:2011年くらいだったか、仕事がない時に高木が結婚して子どもが生まれて。僕からコンビを組むことを誘ったし、高木は自分から解散しようと言えないタイプなので、もう辞めない? と言ったんです。絶対にしんどいはずだから。すると、「解散するなら、その理由はお金じゃなくない?」と言ったので、こいつ、すごいなと。嬉しかったし、それ以降、解散のことを言うのはやめました。

高木:まず、芸人自体、稼げると思ってやっていないんですよ。ネタがウケないとか、心が折れて続けられないという理由ならわかるけど、まだ何かできるんじゃないかという気持ちがあったんです。

――ジョイマンさんといえば韻を踏むラップネタが有名ですが、どのように誕生したのでしょうか。

高木:コンビを組んだ当時は『M‐1グランプリ』の影響もあって正統派漫才をやっていたんですけど芽が出ず。何年かして急に、漫才の中にギャグみたいなものをポンと入れたんです。僕が何か言われて怒り出した後に「トゥントゥントゥ~ン♪」っていう…(立ち上がり、動きを見せようとする)。

池谷:雑誌じゃわからないから!

高木:で、池谷が「なんだそれ!」とツッコむという流れがあり、そこだけがウケて。そこから「山田優~ セクシ~ 山田なのにセクシ~ 山田優~ 契約~ CM契約2、3本~ 2、3本~ イ・ビョンホン~ ペ・ヨンジュン ペルー人~ ペルー人~ ウォンビン ビール瓶~ クリントン 20トン!」と一気にできたんです。

――すごいです!

池谷:『おもしろ荘』というテレビ番組のオーディションの時に、ディレクターさんに言われてコントにしたんです。その時にすぐ会議室に入り、2~3時間後には「ヒウィゴー カモン」と高木が現れる流れができました。

高木:そのまま10何年やっています。でも、最初は「ナナナナ~」じゃなくて「ララララ~」だったんです。でも、世の中に「ラ」のつくものが少ないことに気づいて。

池谷:“やっていくなら、「ナ」だ!”とその時に背負ったんだね。

高木:あとはジャンプ力も上がり、池谷の「なんだこいつ~!」というツッコミの声も大きくなるなど、変化や成長もあります。

池谷:営業とか生の舞台になると、高木さんがテンパったり、高く跳ぼうとしてネタが飛んだりもして。

高木:ジャンプの頂点の時にはネタがもういなくなってますから。

池谷:でも、芸能界の底にいた時は、自分たちがネタに飽きていて、力を抜いたり、ラップを言わずにスカしたりもして。でも、レイザーラモンHGさんやムーディ勝山さんなど、“一発屋オールスターズ”の先輩たちに、もっと堂々とやったほうがいいとアドバイスをいただいて、ちゃんとやるようになったんです。

高木:今は楽しくやってますね。

――韻を踏む時の言葉選びで意識をしていることはありますか?

高木:お客さん100人中、15人でも知らない人がいる言葉だと笑いが減るので、極力100%の人が知っている言葉を使います。正直、大変なのは言葉よりも体力で。ジョイマンはスポーツだと思うくらい疲れますから。

池谷:サイン会の場合は5~6時間と長いので、スタミナ切れしてましたね。でも、それを超えるとラッパーズハイになり、覚醒して、本当に怖いくらい韻を踏みます(笑)。「追いラップ」までしたり。

高木:でも、会話の中で「今、ジョイマンさんぽかった」と言ってくれる方もいて嬉しいですね。「ありがとう オリゴ糖」くらいの長さの単語が並ぶとジョイマンに見えてくる人は多いのかも。

池谷:みんなの中に、ジョイマンがいるんです。

高木:地上波のテレビだけなら、R-指定さんより韻踏んでるしね。

whos3

コンビ結成20周年記念「ジョイマンの全国サイン会ツアー2023 ありがとう 日本列島」を、全国の蔦屋書店・TSUTAYAで開催中。これから大阪(8/18・19)、愛知(8/20)、広島(9/9)、福岡(9/10)、北海道(10/7)、神奈川(10/8・9)を巡る。オリジナルサイン色紙(¥2,200)を購入して参加を。Tシャツやフェイスタオルなどのグッズも販売。

右・池谷和志(いけたに・かずゆき) 1981年2月18日生まれ、神奈川県出身。
左・高木晋哉(たかぎ・しんや) 1980年8月18日生まれ、神奈川県出身。
2003年結成。池谷さんがツッコミ、高木さんがボケを担当。今年「ジョイササイズ」を配信限定リリース。YouTube「ジョイマンチャンネルだけど 池谷のみ(飲み)時々、高木」を配信。

※『anan』2023年8月16日‐23日合併号より。写真・内山めぐみ インタビュー、文・重信 綾

(by anan編集部)