「日本とイランの映画には共通点がある」イランの気鋭監督が語る日本の影響
『白い牛のバラッド』
【映画、ときどき私】 vol. 455
テヘランの牛乳工場で働きながら耳の聞こえない幼い娘ビタの育てるミナは、1年前に夫が殺人罪で死刑に処せられてしまい、シングルマザーとして暮らしていた。いまなお喪失感に囚われている彼女だったが、夫ではなく別の人物が真犯人だったという信じがたい事実を裁判所から告げられる。
深い悲しみに襲われたミナは、賠償金よりも担当判事の謝罪を求めるが門前払いされてしまう。そんななか、救いの手を差し伸べたのは、夫の旧友と称する中年男性レザ。ミナとビタ、レザの3人はいつしか家族のように親密な関係を育んでいくが、レザはある重大な秘密を抱えていた。その罪深い真実を知ったとき、ミナが最後に下した決断とは……。
世界的な評価を得ているものの、本国イランでは政府の検閲によって正式な上映許可が下りていないという問題作。そこで、イラン社会の不条理に鋭く切り込んだ本作について、こちらの方々にお話をうかがってきました。
ベタシュ・サナイハ監督 & マリヤム・モガッダム監督
良質な映画が生まれる国として知られているイランで、“新たな才能”として注目を集めているサナイハ監督(写真・左)とモガッダム監督(右)。私生活でもパートナーのおふたりが、共同監督を務めるのは本作で2度目となります。今回は、主演も務めたモガッダム監督がミナに込めた思いや死刑制度が抱える問題、さらにイランと日本の共通点などについて語っていただきました。
―イランは死刑執行件数が世界2位となっていますが、さまざまなリサーチを行う過程でイランの死刑制度にはどのような問題があると感じましたか?
モガッダム監督 イランの死刑制度に対する私たちの意見は、映画を観ていただければわかる部分もありますが、“社会の暴力”をより増やしてしまうものが死刑制度なのではないかと思っています。そういった観点から、この映画では死刑制度が生み出してしまうかもしれないひとつの結果を描くことにしました。
まず問題となるのは、冤罪によって罪のない人が命を落としてしまう可能性があること。人間なので、どうしても間違いを犯すことはあると思いますが、死刑制度という法律にはそういった“バグ”があると考えています。
―死刑制度を取り上げようと思ったきっかけなどもあったのでしょうか。
モガッダム監督 実は、父が政治犯として処刑されてしまったこともあり、私にとっては身近な題材だったので、長年温め続けていました。この作品を制作するにあたって、死刑制度に関係のあるさまざまな人たちにリサーチをしましたが、その過程で「これはイランだけでなく、死刑制度があるすべての国にいる人々の物語なのではないか」と考えるようになっていったのです。
日本でもよく見られるテクニックを取り入れたかった
―本作に登場する白い牛は、「死を宣告された無実の⼈間」を表しているのだとか。そのほかにも劇中でメタファーやダブルミーニングを込めたシーンがあれば、教えてください。
サナイハ監督 まず白い牛についてもう少し詳しく説明すると、コーランのなかにある牛の章が罪や罰に関するすべてのもとになっているので、今回使用することにしました。イスラムの世界では神に牛を捧げる儀式もあるほど、牛は無垢や謙虚さの象徴とされていますから。そういう意味もあり、白い牛を無実で処刑される人のシンボルにしたいと考えました。
モガッダム監督 娘のビタをろう者にしたのは、イスラムの女性たちの声が世界や権力者に届いていないこと、そして彼女たちの声が聞こえないものとされていることを意図したかったからです。あと、ミナが口紅を塗るシーンが2回ありますが、そこで表しているのは、彼女が芯の強い女性であること。彼女の強さや自身を鼓舞する気持ちを表現するためのメタファーとして入れています。
サナイハ監督 そのほかにも、今回は建築の要素を効果的に使っており、特にこだわったのは、窓やドアのフォルム。それらは登場人物たちに新鮮な空気が吹き込むような造りになっていますが、そこでは彼らがつかもうと手を伸ばしている“自由への道のり”を意味しています。
これらのメタファーは、日本文化や文学のなかでもよく見られるものだと思いますが、イラン文化でも同じようなところがあるので、こういったテクニックを自分たちの映画にも用いたかったというのが私たちの意図です。
―また、本作ではイランのシングルマザーが置かれている状況に驚かされました。国際的に活躍されているモガッダム監督は、どのような思いでミナ演じられましたか?
モガッダム監督 本作では、物語とともに「イランで女性として生きることはどういうことなのか」というのをリアルに見せたいと思っていました。イランではいまだに男尊女卑なところがありますが、同じような状況の国はたくさんあるので、そういった社会で女性が暮らしていくことの大変さや不公平さ、そして女性が抱える葛藤は表現したいと考えていました。
2つの国が刺激し合えているのは、素晴らしいこと
―先ほど、本作には日本文化でも見られるテクニックを使われたとのことでしたが、日本から影響を受けている部分などもあるのでしょうか。
モガッダム監督 私はまだ日本へは行ったことがありませんが、いつか絶対に行きたいと思っている国のひとつ。文化的にもイランと日本には近いものを感じるので、非常に興味を持っています。
サナイハ監督 実は、僕は8歳のときに家族と東京に1か月ほど滞在したことがあるんですが、とても素敵な街ですし、日本の文化が大好きです。特に、影響を受けているとすれば、それは日本のクラシックな映画ですね。ストーリーテリングに詩的な要素を入れることを大事にしているところに、日本映画とイラン映画の共通点を感じていますが、これは映画作りにおいては非常に重要な部分だと考えています。
実際にそれらは小津安二郎監督や黒澤明監督、そしてアッバス・キアロスタミ監督にも共通しているのではないかなと。最近の日本の映画作家たちに受け継がれている資質だと思いますし、イランでもバハラーム・ベイザー監督は黒澤監督の影響を強く受けていると感じるほどです。そんなふうに2つの国がお互いに刺激し合いながら映画を作っていることは、本当に素晴らしいことだと思っています。
―これからもそうあり続けてほしいですね。それでは最後に、日本の観客へ向けてメッセージをお願いします。
サナイハ監督 死刑制度というルールが生む痛みは、日本とイランが共通して抱えているものだと考えているので、ぜひそういったことを含めてこの作品を観ていただきたいです。
溢れ出る感情に締め付けられる
サスペンスとして秀逸でありながら、日本人として決して目を背けてはいけない“社会の闇”を突きつける本作。母として女性として強く生きようとするミナの姿と衝撃のラストは、観る者の心を激しく揺さぶり、さまざまな問いを与えてくれるはずです。
取材、文・志村昌美
胸がざわめく予告編はこちら!
作品情報
『白い牛のバラッド』
2月18日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国公開
配給:ロングライド
https://longride.jp/whitecow/