13万円の絵が510億円に!? 男性版モナ・リザがたどる「数奇な運命の結末」
『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』
【映画、ときどき私】 vol. 432
2017年、レオナルド・ダ・ヴィンチ最後の傑作とされていた「サルバトール・ムンディ」が、史上最高額の 510 億円で落札。アート界に激震が走る。
「購入者は一体何者なのか」「真のダ・ヴィンチ作品だと証明されたのか」など、謎は深まるばかりだった。一般家庭で発見され、13万円という激安で売られていた名画が、なぜ政府やハリウッド・スターのレオナルド・ディカプリオまでも巻き込んだ大騒動へと発展していったのか……。
オークションが行われた当時、世界的なニュースとなり、大きな注目を集めた通称「男性版モナ・リザ」。そこで、一連の出来事の背景について、こちらの方にお話をうかがってきました。
アントワーヌ・ヴィトキーヌ監督
ドキュメンタリー映画監督としてだけでなく、ジャーナリストとしても活躍しているヴィトキーヌ監督。今回は、政治的なテーマを数多く取り上げてきた監督があぶり出すアート界の闇や取引の裏側について、語っていただきました。
―まずは、この題材に取り組もうと思った理由から教えてください。
監督 実は、2018年にサウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子のドキュメンタリーを作っていたので、そのときに彼が「サルバトール・ムンディ」を買ったと聞いたのが最初でした。私自身はそれまであの絵に関してはあまり知らなかったので、彼が買ったということに対しての驚きのほうが大きかったですね。
調べてみると、当時はルーヴル美術館が鑑定するのかしないのか、展示するのかしないのか、といった噂で持ち切りだったので、僕としてはその“謎”を探るために調査を始めたのがきっかけです。ドキュメンタリーを作るうえでは、オークションの前から始める必要があると思い、2005年までさかのぼって構成しました。
―いろいろな方のインタビューやオークションにも密着されていますが、監督にとって予想外の出来事はありましたか?
監督 一番驚いたのは、この絵が外交問題にまで発展していたこと。ロシアの富豪が登場するあたりまでは、想像の範囲内でしたが、まさか政府が関わるほどになるとは……という感じですね。
あともうひとつは、オークションハウスのサザビーズが果たしていた役割が非常に特殊であったこと。サザビーズがロシアの富豪からお金を預かったとき、彼の右腕がしていた怪しげな工作に関与していたとされています。現在、アメリカでは訴訟中ですが、あれほど大きなオークションハウスが合法と非合法のすれすれのところに介入していることに、びっくりしました。
利益を求める人たちによって、芸術が貶められている
―アートとは崇高なものだと思っていたので、本作で映し出しているようなお金との関係性には驚かされましたが、監督自身はいまのアート業界のあり方をどう感じていますか?
監督 もちろん、アート業界のなかには崇高な部分もまだ存在しているとは思います。つまりそれはここまで大きなお金が動くことなく、純粋にアートと向き合っているアーティストたちがクリエイトした作品を発表するうえで、オークションハウスやギャラリーの力を必要とする通常の流れのことですけどね。
ただ、そのいっぽうで、世界の大富豪たちが芸術的な価値よりも投資目的で落札するという流れが現代のアート界にあるのも事実。本作で映しているように、芸術作品がお金を生んでいる状態となっているのです。不誠実な人ばかりとは言いませんが、そんなふうにアートに利益を求める人たちの存在と行動によって、芸術が貶められているところもあるのではないかなと思っています。
―確かに、この作品を観る方の多くがそういう危機感は覚えるのではないかなと。
監督 名前は伏せますが、実は最近もイギリスの非常に有名なアーティストの展覧会に行ったときに、驚いた出来事がありました。非常に素晴らしい絵だったので、ギャラリーの人にどのくらい枚数があるのかを尋ねてみたんです。そしたら、なんと107枚作っています、と。
それほどの枚数だと、もはや工場で作品を製造しているのに近いと思うので、そういう意味では、崇高なアートとは少し違う次元に行ってしまっているように感じました。
国を広げるためにいま必要なのは、武器よりも美術館
―監督は芸術の国と言われるフランスで生まれ育っています。実際に「サルバトール・ムンディ」をご覧になったときは、どのような印象を受けましたか?
監督 実は、僕が初めてこの絵を見たときは、すでに皇太子が買ったという事実を知っていたので、「いわくつきの作品だな」という色眼鏡を通して見ていました。悲しいことに、美術館で絵画を見るような純粋な気持ちでは見れなかったので、強い印象を抱くことなく、特に大きな感動もなかったというのが正直なところです。美しいという人もいれば、そうではないという人もいるので、どう感じるかはみなさん次第だと思います。
―ちなみに、監督の意見としては、この絵は本物だと思いますか?
監督 ダ・ヴィンチと彼の工房による共同の作品、というのが僕の想像する正解に一番近いと思う答えじゃないかなと。ただ、この作品に関しては、ダ・ヴィンチの弟子が1人で描いたという説もありますからね。とはいえ、いずれにしてもクリエイションの過程のなかにダ・ヴィンチの存在があったことは間違いないとは思います。
―13万円が510億円になるとは、夢のある話だと思いますが、投資目的にアートを使うことに関して、監督はどうお考えでしょうか。
監督 皇太子ほどお金を持っていないので、自分ならどうするかというのはちょっと想像できないですね(笑)。ただ、ひとつ言えるとすれば、お金があっても「サルバトール・ムンディ」は買わないかなとは思います。
今回、僕が一番惹かれたのは、この作品をサウジアラビアの皇太子が買ったことです。彼は自分の国を世界に向けてもっと広げていきたいという希望がありますが、そのためには武器を買うよりも、美術館を建てることのほうが必要だと考えたのは非常に興味深いことだなと。しかも、そこにはヨーロッパの美術史史上一番高額な絵を買うことに価値があるんだ、という彼の意思表示のようなものも感じることもできました。国の統治者として彼がした選択は、まったく無意味だとは思いません。
日本に対しては直感的な親しみを抱いている
―まもなく日本での公開を迎えますが、日本に対してどのような印象をお持ちかお聞かせください。
監督 残念ながらまだ一度も行ったことはありませんが、昔からずっと興味のある国で、いつか行きたいと思っています。うまく説明はできませんが、日本には直感的な親しみすら抱いているほど。実は若い頃に10年ほど柔道をしていたことがあり、トレーニングのビデオなどを通して日本の風景を見続けていたので、そういったことも影響しているのかもしれませんね。
日本のみなさんはフランスが好きだと聞いていますが、僕たちフランス人も日本が大好き。僕の11歳になる息子はしょっちゅう日本の漫画を読んでいて、日本語も少し離せるくらい本当に日本が好きだと言っています。それくらい、僕たちにとって日本は近い存在となっているのです。
―ありがとうございます。それでは最後に、日本の観客に向けてメッセージをお願いします。
監督 もちろん、理解することも大切ではありますが、理解しようとし過ぎて頭を使うよりも、まずは世の中には“異なる世界”というのがいくつも共存しているんだというのを体感していただきたいです。
アメリカ・ルイジアナ州の一般家庭から始まり、サウジアラビアの砂漠にたどり着くまでの経緯というのは、まさに現代のグローバリゼーションならではの現象だと思うので、そういった部分も含めて、目を大きく見開きながら観ていただきたいです。
欲望にまみれた世界で最後に微笑むのは誰か?
すべて事実でありながら、まるで先の読めないミステリー映画を観ているかのような錯覚に陥る本作。芸術的感性だけでなく、金銭感覚までも刺激されること間違いなしのこの秋見逃せない注目作です。
取材、文・志村昌美
謎に満ちた予告編はこちら!
作品情報
『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』
11月26日(金)TOHO シネマズ シャンテほか全国順次ロードショー
https://gaga.ne.jp/last-davinci/
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