尊厳死と安楽死の違いは? 超高齢化社会で日本はどうなる…

2018.6.9
意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「尊厳死と安楽死」です。

超高齢化社会の日本の今後の課題。徹底した議論を。

社会のじかん

今年の1月、評論家の西部邁さんが入水自殺をした際、知人の2人が自殺の手助けをしたとされ、自殺ほう助の罪に問われ、逮捕されました。西部さんは生前、老齢で病気になり家族に迷惑をかけたくないと思う人間が、自分の裁量で死ぬという選択があってもよいのではないかとおっしゃっていました。橋田壽賀子さんも昨年、『安楽死で死なせてください』という著書を出され、物議を醸しました。

尊厳死とは、回復の見込みがなく苦痛を伴う状態にある場合、延命措置を断り最後は自然死を迎えるというもの。安楽死には、薬物を投与したり、延命治療を途中でやめる「積極的安楽死」と、延命治療を行わない「消極的安楽死」がありますが、線引きは曖昧です。

現在、日本では安楽死は認められていませんが、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、スイス、カナダ、アメリカの一部では認められています。オランダでは2002年に安楽死を法制化し、通常の医療行為として、保険が適用されているそうです。認められる条件は、本人の自発的な要求のほか、改善の見通しがない、安楽死以外の解決策がない、安楽死の担当医以外の医師の診断などです。2016年には6091人の人が安楽死を選択。7割が末期ガン。あとは高齢者や認知症患者などが占めていました。

超高齢者がますます増える日本にとって、終末期医療・ケアは大きな課題です。厚生労働省は3月に「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」を改訂しました。本人の意思を尊重するのは大前提ですが、本人が意思決定できなくなる前に、家族や医療・介護従事者が連携をとって方針を繰り返し話し合い、文書にしておくことを勧めています。

尊厳死、安楽死は難しい問題です。治る見込みがなく、毎日苦痛を伴いながら家族を犠牲にして生き続けるのは確かに辛い。しかし、生きることを前提に作られている社会で、死を自ら選択できることになれば社会不安を起こします。また、弱者は切り捨ててよいという発想にもなりかねません。人生100年時代、社会でも家族間でも徹底して議論する必要があるでしょう。

社会のじかん

堀潤 ジャーナリスト。NHKでアナウンサーとして活躍。2012年に「8bitNews」を立ち上げ、その後フリーに。新刊『堀潤の伝える人になろう講座』(朝日新聞出版)が好評発売中。

※『anan』2018年6月13日号より。写真・中島慶子 題字&イラスト・五月女ケイ子 文・黒瀬朋子

(by anan編集部)


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