田代 わこ

“有楽町”の由来になった…!? 織田信長の弟「有楽斎」の生き方に触れる展覧会

2024.2.18
東京・六本木のサントリー美術館で、「四百年遠忌記念特別展 大名茶人 織田有楽斎」が開催されています。天下人・織田信長の13歳下の弟として生まれた織田有楽斎(うらくさい、1547-1621)。本展では、茶人としても活躍した有楽斎の人物像を名品などにより紹介。展示風景や学芸員さんのお話などレポートします!

戦国を生き抜いた男!

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展覧会入り口 ※本記事の写真は、主催者の許可を得て撮影しています。

【女子的アートナビ】vol. 325

本展では、織田有楽斎とゆかりの深い寺である京都・建仁寺塔頭 正伝永源院(しょうでんえいげんいん)の寺宝を中心に、有楽斎にまつわる茶道具や手紙などの資料を展示。多彩な作品をとおして、彼の生き方に触れられる展覧会です。

有楽斎は、もともと織田長益(ながます)として活躍していた武将でした。長益(有楽斎)は、信長の長男・信忠に仕えていましたが、1582年に起きた「本能寺の変」で信長は自害。さらに、信忠が二条御所で抗戦した末に自害したのにもかかわらず、長益(有楽斎)は脱出して生き延びました。これにより、人々から「逃げた男」と揶揄され、今でもそのイメージで戦国ドラマに登場することもしばしばあります。

プレス内覧会に登壇された建仁寺塔頭正伝永源院第24世住職 真神啓仁さんは、本展開催のきっかけについて、次のように語っています。

真神さん 当院は、鎌倉時代の文永年間に創建された寺でしたが、戦禍により荒廃していました。その寺の再興にあたったのが、織田有楽斎です。彼は「逃げの有楽」という不名誉なイメージがつけられていましたが、それを改めて問い直せないかと思い、本展の発案となりました。有楽斎は正伝院を再興し、晩年には現在国宝に指定されている茶室「如庵」を創設しました。茶の湯をとおして、大名や僧侶たちと交流をはかった人物でもあります。彼の想いや美意識を本展で感じていただきたいです。

有楽斎がお出迎え…!

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《織田有楽斎座像》江戸時代 17世紀 正伝永源院蔵 【通期展示】

では、展示の見どころをピックアップしてご紹介。

最初の展示室に入ると、まず目に入るのが有楽斎の生前のお姿を表した座像です。

本作品について、サントリー美術館・主任学芸員の安河内幸絵さんは次のように解説。

安河内さん この像では、有楽斎が僧の姿をしていますが、実際には僧籍があったわけではありません。千利休のように、茶人の姿としてこのような格好をしていたという説もあります。この有楽斎の像は、遠くをまっすぐ見つめる視線で、人の心の中を見透かしてしまうような、本質を見極めるような目をされています。

本能寺の変で焼けた…!

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《本能寺跡出土瓦》桃山時代 16世紀 京都市蔵【通期展示】

第一章では、有楽斎が織田家の一員であることや、武将としての一面をうかがい知ることができる歴史資料などを見ることができます。例えば、織田信長の一代記として知られる「信長公記」では、主要な武将のひとりとして長益(有楽斎)がいたことが記されています。

また、本能寺跡から出土した瓦の一部も展示されています。この出土品について、安河内さんは次のように解説。

安河内さん 明智光秀の謀反により、信長は49歳で亡くなります。本能寺の跡から出土した瓦は、鬼瓦や軒瓦のほか、表面が変色した瓦も含まれています。展示されている橙色の瓦は熱を受けて変色したもので、激烈な火災であったことがうかがえます。

伊達政宗とも交流!

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展示風景より、写真手前:織田信長像 江戸時代 18世紀 正伝永源院蔵 【通期展示】

第二章では、有楽斎宛ての手紙や彼自身の手紙などの資料をとおして、茶人として活躍した有楽斎の姿が紹介されています。

例えば、伊達政宗から有楽斎に宛てた手紙なども展示。政宗と有楽斎は茶を通じて親交があり、如庵での茶会に招かれたという話も残されています。手紙には現代語が掲示されているものも多いので、内容を理解しながら鑑賞を楽しむことができます。

有楽斎の交友について、安河内さんは次のように解説。

安河内さん 有楽斎は武将たちのみならず、堺や博多の有力茶人や高僧、公家などとも幅広く交友し、茶の湯をとおして親交を深めていました。茶の湯が政治のツールとして使われ、茶会が政治の中で必要不可欠なコミュニケーションとなっていた当時、茶の湯に巧みで広い交友関係をもつ有楽斎は、豊臣や徳川家をはじめ、多くの人々から頼りにされたことが想像されます。

圧巻の襖絵は必見!

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《蓮鷺図襖》狩野山楽 江戸時代 17世紀 正伝永源院蔵 【通期展示】

三階のギャラリー空間では、有楽斎が再興した正伝院の客殿を飾った《蓮鷺図襖》16面すべてを展示。圧巻の見ごたえです! つぼみのハスや咲き始めたハスの姿、咲き誇る姿、そして枯れかけた姿もあり、ハスの生命や季節のうつろいが大変美しく描かれています。

第四章と第五章では、織田有楽斎が晩年に再興し終の棲家とした建仁寺正伝院ゆかりの寺宝を紹介。茶道具や織田家ゆかりの蒔絵作品などを見ることができます。

有楽町の由来という説も…!

ちなみに、東京の千代田区にある「有楽町」という地名は、織田有楽斎が由来という説もあります。

千代田区の公式サイトによると、有楽斎は関ケ原の戦いのあと徳川方に属し、数寄屋橋御門の近くに屋敷を拝領。その屋敷跡が「有楽原」と呼ばれていたことから、明治時代に「有楽町」と名づけられたそうです。(※諸説あります)

武将や茶人として戦国時代を生き抜いた織田有楽斎の展覧会は、3月24日(日)まで開催。会期中、展示替えもあります。

※参考サイト
千代田区HP

Information

会期:2024年1月31日(水)~3月24日(日)※作品保護のため、会期中展示替を行います。
開館時間:10:00~18:00(金・土は10:00~20:00)
※2月22日(木)、3月19日(火)は20時まで開館
※いずれも入館は閉館の30分前まで
休館日:火曜日 ※3月19日は20時まで開館
観覧料:一般 ¥1,600、大学・高校生 ¥1,000、中学生以下無料
公式HP: https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2024_1/index.html