ジョルジュ・ブラック、パブロ・ピカソ、藤田嗣治らの作品も マリー・ローランサンの展覧会

2023.12.22
マリー・ローランサンはパリに生まれ、生涯のほとんどをパリで暮らした生粋のパリジェンヌ。1920年代、世界各地から芸術家が集まり、多彩な才能がひしめくパリで独自の画風を極め、人気画家に。上流階級の女性たちはこぞって肖像画を描いてもらうことを切望し、かのココ・シャネルもその一人だったとか。

自由に美しく女性を描き続けた画家が手にしたものは?

本展「マリー・ローランサン ―時代をうつす眼」は日本でも広く愛されるローランサンの作品を同時期にパリで活躍したブラック、ピカソ、藤田嗣治らの作品とともに紹介。自作詩の発表や、当時一世を風靡したバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)の舞台美術や衣装を手がけるなど、絵画にとどまらない活動にも迫る。

ローランサンが描くのはアーモンド形の瞳に白い肌、パステルカラーのドレスをまとう女性たち。まるで水彩画のような透明感が印象的だ。

「初期の作品では伝統的な手法で暗い色彩を厚く塗っていますが、時代を経るに従って薄く絵の具を溶き、下の色が透けて見えるように塗り重ね、軽やかで透明感のある色彩が生み出されています。明るいイメージもありますが、灰色がかった落ち着いた色彩を使い、絵の具の質感もきちんと残っています」

とアーティゾン美術館学芸員の賀川恭子さん。“灰色がかった落ち着いた色彩”は、同じ年齢でパリ生まれの画家ユトリロの描くパリの街角や曇り空のアンニュイな雰囲気にも通じるものが。重厚な石造りの街で、花のような衣装をまとう女性たちの姿はいっそう優しく美しい。

「それまで女性画家に求められていたのは花、女性、子どもたちの絵。その点でローランサンは伝統に則ったといえます。詩的ではかなげな妖精のような女性像は男性たちからも好意的に受け止められていました」

順風満帆に見える人生だが、私生活ではドイツ人男爵と結婚した直後に第一次世界大戦が勃発、国外亡命を余儀なくされる。戦後まもなく離婚、パリに戻った翌年に開いた個展が大成功を収め、第二の人生が始まった。晩年の大作《三人の若い女》に描かれている女性たちはくつろぎ、心から満たされているよう。我が道を貫いたローランサンの心境もまさにこうだったのかも。

「女性の活躍が今よりも難しかった時代に、画家だけではなく小説家や詩人とも交流することで活躍の幅を広げ、ある意味したたかに生きて公的な評価を得ることができました。芸術家として生き抜くこと。それがローランサンの追求したことなのかもしれません」

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マリー・ローランサン《椿姫 第3図》1936年、マリー・ローランサン美術館

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マリー・ローランサン《プリンセス達》1928年、大阪中之島美術館

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マリー・ローランサン《椿姫 第9図》1936年、マリー・ローランサン美術館

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マリー・ローランサン《花を生けた花瓶》1939年、マリー・ローランサン美術館

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マリー・ローランサン《帽子をかぶった自画像》1927年頃、マリー・ローランサン美術館

マリー・ローランサン ―時代をうつす眼
アーティゾン美術館 6階展示室 東京都中央区京橋1‐7‐2 開催中~2024年3月3日(日)10時~18時(2/23を除く金曜は~20時。入館は閉館の30分前まで) 月曜(1/8、2/12は開館)、12/28~1/3、1/9、2/13休 ウェブ予約チケット1800円、窓口販売チケット2000円ほか※日時指定予約制 TEL:050・5541・8600(ハローダイヤル)

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マリー・ローランサン 1883年、パリ生まれ。アカデミー・アンベールで学び、キュビスムの画家として活動をスタート。独自の画風を確立し、2度の大戦を経て亡くなるまで制作を続ける。1956年没。
《三人の若い女》を制作中のマリー・ローランサンの1953年頃の写真、マリー・ローランサン美術館

※『anan』2023年12月27日号より。取材、文・松本あかね

(by anan編集部)