ラップ・ユニットchelmico「カラオケボックスは、うちらのスタジオです (笑) 」

2023.9.3
次号から本誌で「chelmicoのちいさなにっき」の連載を開始するchelmico。「連載の話をもらった時はめっちゃ嬉しかった! ananなんてカッケー!!」と喜びをあらわにしてくれた二人って、どんな人たち!?
chelmico

――お二人の出会いと、その時のお互いの印象から教えてください。

レイチェル:出会ったのは、私が19歳、マミコが16歳の時。共通の友達が写真をやってて、作品撮りをしたいってことでそれぞれモデルとして呼ばれたのが初対面。

マミコ:第一印象は、変わってるな、マイペースだなって。

レイチェル:お互いにね(笑)。そのあとも作品撮りで呼ばれて、3回目の時だったかな。スタジオ撮影をしている時にBGMにRIP SLYME(以下リップ)がかかってて、その瞬間に二人ともノリノリになって。全曲口ずさめるぐらいだったから「あんたもリップ好きなの? じゃあ今度カラオケ行こうよ!」って初めて二人で約束して会ったんです。

マミコ:話していたら、当時偶然にも新宿のライブハウス「red cloth」にそれぞれ通っていることもわかって。音楽好きなんだ、しかも趣味が合うねって。

レイチェル:同世代でそんなバンドとか音楽の話ができる子がいなかったから、嬉しかったね。

――そこから二人で組んでラップをやろうと思った経緯は?

レイチェル:私があるオーディションに出た時に「ラッパーになりたい」って言ったのを覚えていてくれた人が「渋谷で開催予定の“シブカル祭。”というイベントで5分間枠が余ってるから、ラップやったら?」って誘ってくれて。それでマミコに「一緒にラップやらない?」って声をかけました。

マミコ:私はその時高3で、受験勉強の真っ最中だったから「やらないよーん」って返したんです。でも、みんなと同じように受験をして大学に行ったほうがいいと思っていたけど、将来やりたいことも特になくて、思春期特有のモヤモヤを抱えながら勉強していて。それで、レイチェルの誘いに乗ったら面白いかも…って思い直して、学祭ノリで「一回だけならいいよ」ってOKしました。

――でもラップはやったことがなかったわけですよね。

マミコ:当時、バトルラップミュージカル映画『TOKYO TRIBE』をレイチェルと一緒に観ていたから、気が大きくなっていたんです。私、そこに出演してた染谷将太くんが大好きで。染谷くんのファンを“ソメタニーション”って呼ぶの、知ってます?

――知らないです(笑)。

マミコ:私はソメタニーションで、染谷くんが監督した映画とかをせっせと観に行くという活動をしていて。それで染谷くんがラップをしてるのを見て、自分でもやってみたいと思ったんです。

レイチェル:マミコのOKをもらったんで、知り合いのラッパーGOMESSにリリックを組み立ててもらって、ビートはGOMESSの先輩のDJ6月さんにお願いして。周りの協力があって“シブカル祭。”に出られました。

マミコ:それがレイチェル×マミコで“chelmico”の結成。2014年秋でした。初ライブが結構盛り上がったんだよね。

レイチェル:当時ラップをやる人が少なかったし、ライブ映えする曲に仕上がったから。

マミコ:その後、私はまた受験勉強を再開したけど、大学に落ちて浪人生になって。そんな中“シブカル祭。”に来ていたレイチェルの別の知り合いに「音楽フェスがあるから出ない?」って言われて、次のライブも決まっちゃったんです。それまでに曲を作らなくちゃいけないし、大学も落ちたし、もうchelmicoやるしかないじゃん。勉強しなくちゃいけないのに、なんでラップしてるんだろう「Yo-yo」って(笑)。

レイチェル:今度はGOMESSの友達のヒイラギペイジくんがビートをくれて、そこに初めてリリックを自分たちで書いた曲が「ラビリンス’97」でした。

マミコ:どんどん次のライブが決まっていく中、曲がないのにOKして、出まくってたよね。

レイチェル:でも、まだうちらが大好きなリップにはなれなくて。

マミコ:普通にお仕事しながらラップをするのでもよかったんだけど、リップになるにはどうしたらいいの? ってね。でもインディーズで出したアルバムを、ある時タワレコのお店でかけてくれて、それをたまたまリップが所属しているワーナーミュージックのレーベル・unBORDE(アンボルデ)の人が聴いて、声をかけてくれたんです。

レイチェル:運がよかった!

――プロ意識が芽生えたのは?

マミコ:2018年にメジャーデビューしたら、バイトができなくなったんです。そこから、ちゃんと音楽でやってこーって。

――デビューしてから、具体的には何が変わりましたか?

マミコ:関わってる人の数が増えたから、やりたいことの幅が広がったことを実感しつつ、とにかく早く売れる曲作って、遊べるようにしようって思っていました。変わらないために早く変わろう、みたいな。遊んでいるみたいに曲を作りたかったから。

レイチェル:リップがそういうふうに見えたからね。もちろんどの曲もめちゃくちゃ練られていたのは今になってわかるんですけど、当時は、明るく楽しく、遊んでたら曲ができちゃいました、みたいな空気感に憧れていたから。

――あくまでも目標はリップなんですね。曲作りはどのように?

マミコ:ビートをもらったら、それぞれ8小節書き合おうとか、自分のラップパートは自分で、とか。フック(サビ部分)はカラオケボックスに集まって作ったり。

――いまだにカラオケボックスに通っているんですね。

レイチェル:個室で大きな音が出せるし、昼間はリーズナブルで、早く終わったら歌えるし。うちらのスタジオです(笑)。

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チェルミコ 左・Rachel(レイチェル) 1993年7月4日生まれ、神奈川県出身。右・Mamiko(マミコ) 1996年6月26日生まれ、東京都出身。2014年にchelmicoを結成。’18年にメジャーデビューをし、これまでに4枚のアルバムをリリース。10月21日よりchelmicoワンマンツアー「一緒に踊ろうよTOUR」が神奈川、広島、静岡、大阪、北海道など全10か所で開催が決定している。

次号からchelmicoの連載「chelmicoのちいさなにっき」がスタート。“普段、わざわざ話すまでもないこと”を交換日記形式で綴っていく。タイトルも二人が自ら考案。なぜこのタイトルになったのか…? 気になる真相は連載でチェックを。

※『anan』2023年9月6日号より。写真・千葉タイチ ヘア&メイク・カワムラノゾミ インタビュー、文・若山あや

(by anan編集部)