志村 昌美

「日本映画が“映画とは何か”を思い出させてくれた」フランスの鬼才が語る日本映画の魅力

2023.12.6
人生において誰もが避けて通れないもののひとつといえば、年を取ること。そこで今回ご紹介するのは、作品を発表するたびに過激な性描写で世界中に賛否を巻き起こしてきたフランス映画界の鬼才ギャスパー・ノエ監督が「老い」に挑んだ話題作です。

『VORTEX ヴォルテックス』

【映画、ときどき私】 vol. 620

映画評論家である夫と元精神科医で認知症を患う妻。離れて暮らす息子は両親のことを心配しながらも、家を訪れては金を無心していた。心臓に持病を抱える夫は、日に日にひどくなる妻の認知症に悩まされ、日常生活に支障をきたすようになる。そして、刻一刻とふたりに人生最期のときが近づいていた…。

“ホラー映画の帝王”で知られるダリオ・アルジェント監督が80歳にして人生初の主演を務め、“伝説的女優”と称されるフランソワーズ・ルブランと夫婦役を演じていることでも注目を集めている本作。そこで、見どころなどについてこちらの方にお話をうかがってきました。

ギャスパー・ノエ監督

『アレックス』や『CLIMAX クライマックス』など、暴力的な描写と刺激的な作品で映画界を挑発し続けてきたノエ監督。本作では、これまでの作風とはまるで異なるアプローチで新たな題材を描き切っています。今回は、作品が誕生した経緯や死の恐怖を味わった実体験を通して感じたこと、そして日本映画から受けている影響などについて語っていただきました。

―以前から「病」や「死」には興味があったそうですが、このテーマを取り上げようと思ったきっかけを教えてください。

監督 数年前から年配の方と一緒に映画を作りたいと思っていましたし、「老い」について描きたいと考えていました。そのなかでも影響を受けた映画は、ヴィットリオ・デ・シーカ監督の『ウンベルト・D』と黒澤明監督の『生きる』。映画を通して疑似体験することができたのも大きかったかもしれませんが、そういったことを通して少しずつこういったテーマを取り上げたいという気持ちになりました。

そんななか、自分の母がアルツハイマーになり、混乱や恐怖心からつねに脳が興奮しているような状況に陥ってしまいましたが、そういう姿を目の当たりにしてこれほど恐ろしいことはないなと。そのときに、老後には生きていくうえで非常に複雑で困難な問題が伴うことに気付いたんです。と同時に、そういった部分はこれまでの映画でも見たことがないとも感じたので、自分が描きたいと思うようになりました。

「命というのは儚いものだ」と痛感した

―その過程で、2019年にはご自身も生死をさまよう病に見舞われてしまいましたが、死を間近に感じたことによって映画作りにも影響を与えたのではないでしょうか。

監督 僕の場合は、脳出血を起こして突然倒れてしまい、50%の確率で命を落としていた可能性がありましたが、病院に運ばれたのが早かったおかげで助かりました。ただ、一命を取り留めても、発症から5日の間に亡くなる方も多く、35%の人に後遺症が残ると言われていたのでかなり厳しい状態。最初のうちは、自分が生きるか死ぬかわからないような状況にいたので、「命というのは儚いものなんだな」と実体験を通して痛感していました。

そんななか、幸いにも元の健康を取り戻すことができたので、それ以降はタバコをやめてお酒は控えめに…。自分の身体に気を付けるようになったのが、大きく変わったことですね。そのあと、コロナ禍で身近な人が何名も命を落としてしまったり、母がアルツハイマーでこの世を去ったりして、死に直面する機会が増えたので、こういったテーマについてじっくりと考えるようになりました。これらの経験がなかったら、おそらくこの作品は生まれていなかったと思います。

―ということは、本作には実体験もかなり反映されていると。

監督 自伝的な作品ではありませんが、自分の経験をそのまま再現したようなシーンはところどころに含まれています。たとえば、アルツハイマーになってしまった母親から息子ではなく夫と間違えられたとか、自宅にいるのに「家に帰りたい」と何度も言い出す母親の様子は、現実と重なっている部分です。そういった母の姿は、見ていてもつらかったですね。

自分も日本映画のような真面目な映画を作りたくなった

―また、本作は先ほど挙げていた『生きる』だけでなく、木下恵介監督の『楢山節考』や篠田正浩監督『心中天網島』にもインスパイアされているとか。

監督 退院したあと、ロックダウンの影響ですることがなく、最初はパリの街を自転車で走ったりしていました。そのうちに、日本映画を観るようになり、日本の偉大な監督たちのメロドラマな作品を発見するのに何か月も費やすようになっていったのです。

おかげで憂鬱さや残酷さ、美的独創性など、本当に素晴らしい映画とは何なのかを思い出させてもらいました。それまでの自分は大人向けでも若者向けでもない、中途半端な位置づけの作品が多かったのですが、日本映画を観たことで「僕も溝口健二監督や成瀬巳喜男監督のように真面目な映画を作りたい」と考えるようになっていったのです。

―4年前に取材させていただいた際にも「欧米で制作された傑作と日本で制作された名画を比べると、日本映画の持つ力は抜群に大きいと感じる」とおっしゃっていましたが、そう思われているのはなぜですか?

監督 まず、「日本映画にはヒット作が多い」というのが理由のひとつです。日本は1950年代から70年代が映画の最盛期と言われていますが、戦後の日本には素晴らしい作品が数多く誕生しました。

ヨーロッパと比べてみると、たとえばスペインにはいわゆる“最高傑作”と言われる作品が50本もないように感じますが、日本だったら50本をはるかに超えるのではないでしょうか。僕は、そういった部分での違いだと考えています。

撮影のすべてがアドリブのような感じだった

―では、本作の現場に関してもおうかがいしますが、今回はほとんど台本がなく、大半が俳優たちの即興による演技だったとか。それでも、キャストからは「監督の頭の中には何をするかという全体的なビジョンは見えていた」という声が上がっていますが、どのような演出をされていましたか?

監督 老夫婦役のダリオ・アルジェントとフランソワーズ・ルブラン、そして息子役のアレックス・ルッツの3人は、とても頭がよくて協力的なので、台本がなくても事前に話し合いをするだけで、だいたいの方向性を決めることができました。撮影では30分くらいカメラを回しっぱなしにすることが多く、そのなかから使える7~8分くらいを抜き出すという形を取っています。

―俳優たちの即興に感銘を受けたり、驚かされたりしたことはありましたか?

監督 それはたくさんありましたね。なかでも印象に残っている場面を例に挙げるとすれば、孫を演じた子役がテーブルにおもちゃを叩きつける様子を見ていたフランソワーズが突然泣き始めるシーン。事前に決めていたわけではなく、本人も無意識のうちに自然と涙が出てしまったことがありました。

そのほかにも、予定していなかったことや思いもしないようなことが撮影中はいっぱいあったので、撮影すべてがアドリブみたいな感じだったなと。あるときは撮影場所の近くにあった金物屋さんにたまたま入って、急遽撮影させてもらったこともありましたが、その映像も本編には使われています。本当に、今回は予期せぬことばかりが起きた現場でした。

観た人が泣けるような映画を目指して作った

―タイトルの『VORTEX ヴォルテックス』には「渦」という意味がありますが、どういった思いを込めてつけられたのでしょうか。

監督 「一度巻き込まれたら奈落の底まで落ちていく」という意味と、上に向かっているハリケーンと違って下に向かっているところも意識してつけました。フランス語だと「Tourbillon」という単語もありますが、「VORTEX」もほうがより巻き込まれるという意味合いが強いですし、ドラマティックで音もいい。しかも、自分の過去作品である『アレックス』や『CLIMAX クライマックス』との並びもよく、インターナショナルであるというのも理由です。

―それでは最後に、日本の観客へ向けてメッセージをお願いします。

監督 本作は、僕にとってはすべての観客に向けた初めての長編映画です。描かれているのは、多くの人が経験している、または今後経験するであろう普遍的なシチュエーションなので、もっともつらい映画であるとも言われています。

でも、僕は人々を怖がらせたり、興奮させたり、笑わせたりする映画を作ってきたので、今回は思いっきり泣けるような映画を目指したいと思って作りました。涙はまぶたの膜に触れると鎮静効果があり、この世でもっとも快感をもたらす物質のひとつですからね。なので、映画が終わったときに、全員が泣いてくれることを期待しています。もし泣かない人がいたら、それは本作が失敗作だということになるので…ぜひとも泣いてください!

人生に潜む暴力なき恐怖をあぶり出す

静かに破滅へと向かっていく人間の姿をリアルに映し出し、観る者に「死」や「老い」を追体験させる本作。「暴力」や「セックス」を封印することで新境地を開いた鬼才ギャスパー・ノエが生み出す“渦”に、身も心も震える唯一無二の異色作です。


取材、文・志村昌美

胸に迫る予告編はこちら!

作品情報

『VORTEX ヴォルテックス』
12月8日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開
配給:シンカ
https://synca.jp/vortex-movie/
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