アスペルガー症候群の子ども時代 〜ほかの人と何かが違うと感じた世界〜

文・七海 — 2017.1.20
私はアスペルガー症候群。子ども時代も苦労しました。私はなんでみんなと違うの?そうした疑問を持ちながら生きてきました。当事者ならではの、私から見えていた世界をお話します。

なぜか私はみんなと違う。でも、みんなと同じになりたい

クラスから浮いている、それは自覚していました。

私はアスペルガー症候群。診断されたのは大人になってからだったけれど、なんだかずっと生きづらいと感じていました。友達付き合いがとっても苦手だった子ども時代、私は常に違和感を持って生きていました。どうして私はみんなと違うの?そうやって悩んだ経験をお話します。

小学校のクラス。わいわいと賑やかで、みんなが眩しかった。私もみんなの輪に入りたい。そう思っていました。

誰もが当たり前のように友達を作っていく―。それが不思議でなりませんでした。友達っていったい何? どうやったら友達になれるの? どこからが友達なの? 境界線が曖昧で、友達の定義ができずに苦しみました。それでも友達が欲しくて、私は必至でした。「友達になろう」と題した手紙をたくさん書いて、クラスのみんなに配って回りました。彼、彼女たちは笑顔で「ありがとう」と言い手紙を受け取ってくれる。でも、友達なんてできませんでした。

私はいつもクラスから浮いていて、それも自覚していました。みんながグループで行動するのに、私はひとり。お弁当は友達同士で食べているのに、私はひとり。休憩時間は友達同士で遊んでいるのに、私はひとり。孤独感がとても強く、みんなが楽しそうにしている間、私は机に突っ伏して寝たフリをしていました。みんなの笑い声を、羨ましそうに聞きながら―。

爆発したのは中学校2年生。酷いいじめを受けました

発達障害を持つ子どもは、いじめを受けることがよくあります。

相変わらず違和感を覚えたまま、中学校に進学しました。受験することもなく、近所の公立中学校でした。その中学校は、地元では有名ないわゆる ”ヤンキー校”。毎日学校が荒れ、暴力沙汰、警察沙汰なんて日常茶飯事でした。

中学校2年生になったとき、私はいじめの標的になりました。体育の授業中、遠くから「キモ〜い」という声が聞こえ、私のことじゃないかな、とドキドキしたのが始まりです。正直、私の何がいけなかったのかもいまだにわからない。比喩的な表現を理解するのは昔から苦手でしたし、表情を読み取るのも苦手。言葉もストレートだったと思います。でも、それを上手に治す術を私は知りませんでした。そういったアスペルガー特有の苦手な部分が災いしたのかもしれません。「キモ〜い」と聞こえた日から、露骨ないじめを受けるようになったのです。集団リンチは当たり前。男子も女子も関係なかった。痛いと言ってもやめてもらえなかった。朝学校に行くと、私の上履きや机はなくて、外に出ていました。その机や、中に入っていた教科書・ノートには、「死ね」「ブス」「キモい」などといった言葉が書き殴られていました。私は平然とした顔を装って、机や教科書を元に戻し、机に突っ伏して寝たフリをしていました。

障害者学級に入っていれば何かが違ったのだろうか。アスペルガー症候群の子どもを持つ方へ

子どもに寄り添ってあげてください。

アスペルガー症候群当事者は、悪気なくストレートに物事を言うことがよくあります。また、比喩的な表現を理解するのが苦手なため、暗黙の了解が分からないことも多々。こうしたやり取りを日常的に行っている ”健常者” の方には理解しがたいかもしれません。アスペルガー症候群の特性が ”健常者” の特性とマッチしないため、マジョリティ世界に馴染めない子ども時代を過ごすことが多いのです。

私は障害者学級に入っていれば、人生何かが違ったのだろうか、と思うことが今でもあります。まだまだ偏見は強いですが、私が子どもだった頃より、発達障害という言葉が浸透しています。発達障害に対応できる教員も増えてきています。自分の子どもがアスペルガー症候群である場合は、その特性を理解して、子どもに合った進学方法をさせるのが良いように思います。

また、周囲にアスペルガー症候群の人がいるという方。どうか、偏見を持って接しないでください。あなたにも個性があるように、私たちにも個性があるのです。苦手なことはたくさんあるかもしれません。だけど、それを理解して、一緒に寄り添ってくれればそれだけで温かい気持ちになるのです。なぜなら、いつも孤独感を抱いているから―。