小島秀夫の右脳が大好きなこと=○○○○●を日常から切り取り、それを左脳で深掘りする、未来への考察&応援エッセイ「ゲームクリエイター小島秀夫のan‐an‐an、とっても大好き○○○○●」。第6回目のテーマは「60歳をどう生きるか」です。

夏の終わり、初めてシニア料金で映画を観た。入口で身分証明書の提示もなく、変わりない鑑賞だった。

この8月24日で“還暦”を迎えた。そもそも還暦とはなんなのか? 石器時代の平均寿命は15歳だというから、60歳という年齢はとてつもない。しかし現代の日本人男性は平均して81歳まで生きるという。それを思うと、60歳がめでたいのかわからなくなる。

たまたま誕生日は、セルビアでキャストの撮影をしていた。現地のスタッフにお祝いをして貰った。帰国後には、コジプロで“監督還暦祝いの会”を開催していただいた。赤い革ジャン、赤いベルト、赤い靴、赤いヘッドホンを装着、全身が真っ赤に。僕の顔も赤くなる。そして、M78星雲から、真っ赤なウルトラセブンのサプライズ登場まで!

僕の家系には、男性に早死の傾向がある。親父は45歳で亡くなった。親戚の叔父たちが長生きした記憶はない。だから幼い頃から、寿命への漠然とした強迫観念があった。自分が父親の45歳を超えた時には、なんとも言えない気持ちになったものだ。親父を超えて生き続けている。自分はもう大丈夫だ。そこから死の恐怖を意識はしなくなった。

ただコロナ禍を経て、誰もが平等に死ぬことを悟った。自分も例外ではなく、いつかは死ぬ。あのタイムリミットを思い出した。さらに、2020年に大きく体調を崩すことがあった。生涯で初めて、「制作はもう続けられないかも?」と最悪の未来をも考えた。僕のリタイア後もコジプロを存続させる必要がある。そこで、企画草案メモが詰まったUSBを秘書に、遺書を付けて渡した。「何かあればこれを。これで数年は持つはずだ」と。幸い、体調は回復、現場に復帰することが出来た。死なないまでも、物創りが出来なくなることはあるのだと、自覚を新たにした。

僕が業界に入った1986年時には、「ゲーム開発の寿命は20代後半まで」と言われていた。柔軟な頭脳と体力が求められる、長くは携われない職業なのだと。

会社員として、一発当てたゲーム開発者は、所属長に抜擢される。マネージメントを覚え、管理職に就く。さらに、経営陣として参画する場合もある。僕はKONAMIでは二足の草鞋を履くことを選んだ。「経営と制作(開発)のどちらもやる、だから現場も続けさせてください」と。50歳を過ぎて、独立スタジオを立ち上げたのも、現場でクリエイトを続けるためでしかない。

ゲーム業界では、60歳を超えて現場で物創りをベタでしているクリエイターはほとんどいない。

ところが、これが映画業界となるとまるで話が違ってくる。今も現役で活動を続けている巨匠たちがいる。スティーブン・スピルバーグは76歳、ジョージ・ミラーは78歳。デヴィッド・クローネンバーグ、ポール・バーホーベン、リドリー・スコット、ブライアン・デ・パルマ、ダリオ・アルジェント、ミヒャエル・ハネケ、マーティン・スコセッシ、マイケル・マンたちは、80歳を超えている。ウィリアム・フリードキンは87歳で亡くなったが、最期まで映画を撮り続けていた。

宮崎駿監督は82歳で『君たちはどう生きるか』を創った。『千と千尋の神隠し』が60歳の時の作品なので、その後の約20年間で5本を創ったことになる。僕が宮崎さんのように80歳まで現役を続けられたとしよう。どんな作品を、何作創るべきか。

現在、僕がどっぷりかかわっているオリジナル作品は、『DS2』と“とんがったゲーム”の2本。同時進行もあるだろうが、20年でせいぜい5、6本だろうか? 隠居生活は頭にはない。生涯現役で物創りを続けたい。

映画やアニメ、PVのオファーは、KONAMI在籍中からいくつもあった。独立後は格段に増えた。だが、コジプロを立ち上げて社員を抱えている以上、映画創りでスタジオを数年開けることも、抜けることも許されない。残りの人生をどうするか?

ゲームか? 映画か? 選択を迫られる。ここ数年はそのストレスが尋常ではなかった。それを朋友ギレルモ・デル・トロに相談する機会があった。

「ヒデオが創っているものは、唯一無二の“映画”だ。今のままの物創りを続けるべきだ」と、彼は応えた。

そこでこの先10年の優先順位を決めた。映画の企画はとりあえず保留、独立後、オリジナルの3作目となる大作ゲームの企画を頭の中だけで始めた。

宮崎さんの最終作品が北米でも上映された時に、デル・トロがSNSで発した言葉が素晴らしい。

“I will joyfully watch his latest rather than his last.”

――最後の作品としてではなく、彼の最新作として楽しむつもりだ。

寿命は自分で決めるものではない。作品もそうだ。これからの僕の作品も、常に最新作として生まれてくるのだ。60歳とは、ただの通過点でしかない。“シルバー”な隠居ではなく、“燻銀”の現役でいたい。

今月のCulture Favorite

kojima

セルビアの撮影スタッフに現地で還暦を祝ってもらった時の一枚。

kojima

還暦祝いのプレゼントでもらった紅革ジャン。

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ケータリングサービス「ライムンダ」さんの、真っ赤なオリジナル誕生日ケーキ。

kojima

こじま・ひでお 1963年生まれ、東京都出身。コジマプロダクション代表。’87年に初監督作『メタルギア』でデビュー。独立後初となるタイトル『DEATH STRANDING』が世界で大きな話題を呼んだ。現在、その続編となる『DEATH STRANDING 2』の制作中。ドキュメンタリーフィルム『HIDEO KOJIMA ‐ CONNECTING WORLDS』の予告編が、KOJIMA PRODUCTIONSの公式YouTubeチャンネルで公開中。https://youtu.be/AfjElfbj_mo

★次回は、2372号(11月8日発売)です。

※『anan』2023年10月18日号より。写真・内田紘倫(The VOICE)

(by anan編集部)

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