会社を辞めて、こうなった。【第16話】 日本人、アメリカ人。

2015.5.23
英語がわからす、話せず、苦悩していた筆者・土居。そんな彼女にすこし変化が訪れたようです。「その結果、悲しい気持ちになることもあるし・・・」。何が起きたのでしょうか?

長年勤めた出版社を辞めて、なんの保証もないまま単身アメリカに乗り込んだ女性が悩みながら一歩一歩前進して、異国の地で繰り広げる新鮮な毎日を赤裸々にレポートします。

 

【第16話】日本人、アメリカ人。

英語がわかってくると、薄闇の中の世界がほんの少し浮き上がってきます。そこでまず、心からの発言とその場しのぎの言葉の違いがわかるようになってきました。その結果、悲しい気持ちになることもあるし、温かい気持ちにもなります。

アメリカ英語は日本語よりwelcome感が強いように思います。レジでだって『How’s your day?』(調子はどう?)と店員さんが聞いてくるのがお約束だし、『It’s so nice to meet you』(お会いできて、とても光栄です)と初対面の人にハグされたりもします。語学学校の先生だって『いつでも助けるよ』とフレンドリーだし、ハウスメイトにもあそこに連れて行く、これを貸す…、なんてことを常に言われます。

5月のサンフランシスコは花にあふれています。赤い花は青い花になろうとしないし、青い花も赤い花になろうとしない。その美しい姿にハッとさせられます。
5月のサンフランシスコは花にあふれています。赤い花は青い花になろうとしないし、青い花も赤い花になろうとしない。その美しい姿にハッとさせられます。

けれども実際に頼ってみると案外テキトーで、肩透かしを食らうことが多い。サンフランシスコの人たちは、ラフでフレンドリーに見えるいっぽうで、みんな生きるのに必死。Techバブルの影響もあって家賃は全米イチの高さなうえに、失業率がどんどん上がっているからです。こちらの新聞、San Francisco Chronicleでもそんな社会問題について連日発信しています。そこでお金に絡む話にはシビアないっぽうで、『え、言ったことやらないの?』。日本人の感覚でいくと、発言に対する責任感が低い気がします。だから、こちらに住む日本人の人たちにはずいぶんと支えてもらいました。留学したら語学を早く習得するために母国の人たちとつるまない、という考えもあります。でも実際に生活してみて、長期戦で挑むならアメリカ人、日本人関係なく、一緒に居て心地よい人たちと時間を過ごすことが大切なんじゃないかな、と私は思います。

恩師現る。

そんななか、アメリカ人の印象を変えてくれた人もいます。それは、シテイカレッジで受けた高校生の補習授業で出会った先生たち。私がネイティヴ・アメリカンに興味があると話すと翌日には本を貸してくれたり、心理学を学びたいと話したら、カウンセラーをしている妹さんを紹介してくださったり。発言したことに必ず行動が伴うんです。しかも、私からの見返りはいっさい期待しない。与えることで先生の気持ちが完結しているんです。先生に拙い英語で感謝と敬意の気持ちを表すと、自分の人生について少しずつ話してくれました。

近所の高校の卒業式で受付ボランティアをさせてもらう。卒業していくティーンたちが誇らしい。送り出す私は、一体どこに流れつくんだろう…?
近所の高校の卒業式で受付ボランティアをさせてもらう。卒業していくティーンたちが誇らしい。送り出す私は、一体どこに流れつくんだろう…?

10歳でお母さんを突然死、お父さんを16歳で亡くした先生。ボストンの温かい家庭で育った先生にとって、それは世界が突然変わってしまったような出来事でした。当然のように同級生たちが大学進学を決めていくなか、10歳の妹をかかえる自分は無理だと絶望したといいます。けれどスクールカウンセラーに言われたんだそうです。『大学に行けるわよ、必ず』と。その後一念発起して奨学金を受け、生活費を自分で稼ぎ、大学、そして大学院と無事に卒業したのだそうです。

いつもニコニコして、この秋から大学に進学するという娘さんと暮らし、とても幸せそうな先生。『先生はいいよな、サンフランシスコでしっかりと平和に暮らしていて』。そんな風に先生のことを思っていました。だからその過去は想像もできない内容でした。さらに娘さんは、当時ひとりっ子政策だった中国へ出向き、迎えた養女だと言います。『亡くなるまでの両親との思い出が素晴らしかったの。だから、今までやってこれた。両親がいなくなったことで、妹との絆もとても強くなったしね。私は幸せ』。

英語は道具。

卒業式のプログラムに小さな私の名前を見つけ、温かい気持ちに。
卒業式のプログラムに小さな私の名前を見つけ、温かい気持ちに。

先生の話を聞いて試練は人の心を閉ざしてしまう可能性もあるけど、強くそして温かくしてくれるものでもあるのだと感じました。そして、心から英語が話せるようになったことに感謝。これが英語を学ぶ醍醐味なんだと。サンフランシスコに来て英語を勉強していなかったら、先生には会えなかった。先生の話だって聞けなかった。もっとたくさんの人と話して、日本人である私の目で、アメリカと言う国を立体的に見たいです。こちらに来てサンフランシスコはアメリカじゃないよ、と言う意見もよく聞きます。ずいぶんとユニークな街なんだそうです。だからほかの街も訪れてみたい。英語は道具。正直を言えばキチンと伝わる美しい言葉を早く話せるようになりたいけれど、そのスキルに頼って本心を甘い砂糖衣でカバーするようにはなりたくないですね。

SEE YOU!

食育の一環で実際に野菜やフルーツを学生が育てて調理するという、校内の食べられる庭“Edible Schoolyard”を訪ねました。
食育の一環で実際に野菜やフルーツを学生が育てて調理するという、校内の食べられる庭“Edible Schoolyard”を訪ねました。

 

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PROFILE
土居彩
編集者、ライター。14年間勤務したマガジンハウスを退職し、’14年12月よりサンフランシスコに移住。趣味は、ヨガとジョギング。ラム酒をこよなく愛する。目標は幸福心理学を学んで、英語と日本語の両方で原稿が書けるようになること。