会社を辞めて、こうなった。【第60話】 携帯没収! &アイコンタクトもダメ。10日間のヴィパッサナー瞑想で心の汚濁を滅す。

写真/文・土居彩 — 2018.1.6
携帯やPCはもちろん、本やメモまでもが没収され、会話やアイコンタクトすら禁止というヴィパッサナー瞑想合宿に行ってきたという筆者・土居。もはや忘れかけていた記憶に思考をハイジャックされたり、耐えきれないほどの身体の痛みと格闘しては、森のなかでひとり号泣したり…。締めくくりには、恋愛アドバイスまでされたようですが?! 結果、再び不思議な世界への扉が開き始めたようです。

【土居彩の会社を辞めて、サンフランシスコに住んだら、こうなった。】vol. 60

 

【第60話】携帯没収! &アイコンタクトもダメ。
10日間のヴィパッサナー瞑想で心の汚濁を滅す。

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ずいぶんと更新するまでに時間がかかってしまいました。というのも、ある瞑想合宿に行ってから、視点が変わったとかいうレベルではなくて、リアルな現実として自分の周りの人たちや生活様式がガラッと変わったんです。ビッグウェーブをダイブしているうちに、気づけば3か月も経ってしまいました。申し訳ありません……。そして、この不定期更新連載を読んでくださってありがとう。

会社を辞めてアメリカに来るまでは、いろいろあっても私の人生は平凡だなぁと思っていたんです。でも最近思うんです。普段と違う選択をひとつしたら、それに続く次のチョイスもまた一風変わったものになって……。と、気づけば、誰でも簡単に奇妙な世界に足を踏み入れていくものなんだなと。人生って、本当におもしろいですよね。このところ肩の力が抜けたのか、英語だってルー大柴さん風になって(例えば、“英単語+ね?” で事実確認。通じますよ!)、今までストレスだったり困っていた物事も楽しめるようになってきました。

今の私の「アリかナシか」という “心のものさし” に影響を与えたのは、ギフト経済という考えです。こちらカリフォルニア・ベイエリアで知った生き方のひとつで、出合った当時は(今現在も)度肝を抜かれました(正確には、現在進行形)。見返りを期待せずに与え続けるという世界に生きる、ニップンさん(第21話)やパンチョとサム(第19話)の生き方は素晴らしいと思う半面、どうしても「それってだいぶ損してるんじゃ?」と損得勘定に囚われてしまう私にはハテナがいっぱい。未だに実践するには至りませんし、お金との付き合い方を模索中の私にとって、心地よいバランスを毎日タッチ&トライしながら手探りしています。そんな彼らが日々のプラクティスとして実践していたもののひとつに、ヴィパッサナー瞑想がありました。「何か手がかりがあるかな?」。それが学べる合宿があるとはずいぶん前から知りつつも、朝4時から夜9時まで瞑想三昧の10日間だと言われてひるんでいたのですが、「とにかくまずは体験してみるのがいいだろう」と参加してみることにしたのです。

車&免許ナシの私。合宿場まで連れてって!

向かった先はカリフォルニア州北部、バークレーから2時間ほど車を走らせた街にあるNorthern California Vipassana Center(北カリフォルニア・ヴィパッサナー・センター)。センター近郊は、ワインの産地として有名なソノマ郡やナパ郡、大麻農場があるという(!)メンドシーノ郡なのですが、合宿前日に大きな山火事があったため、最短ルートの道路は閉鎖。回り道をしながら向かいました。ちなみに、私には車も免許もありません。そこで、参加者のみが見られるメッセージボードに書き込みをして(例えば私はどストレートな書き込み。”I need a ride because I don’t have a car. Thank you! [車が無いので、乗せてもらう必要があるんです。ありがとう!]” )、「乗せてくれる人」と「乗せてもらう人」の間で直接メールのやり取りをした結果、私は無事、エムに乗せていってもらえることになりました。

エムは大学卒業後に投資会社のインターンを1年勤めた後、プログラミングの勉強をし直してプログラマーとして現在サンフランシスコにあるオフィスに勤務して5年目。ヴィパッサナー瞑想は7回目だという28歳の好青年でした。親の意向もあってアメリカ東部にある名門大学でビジネス(会計学)を学んだけれど、哲学に興味があって学生時代からいろいろと読み漁ってきたのだとか。「あくまでも僕にとってだけど、哲学は頭の中の遊びみたいなもので、何の体感もできなかったんだ」。その後ヴィパッサナー瞑想に出合い、そのパワフルさからどんどんハマっていったんだそうです。(ちなみに乗せていってもらったお返しは、ガソリン代を払ったり、ランチをごちそうしたりというカジュアルなものでOK。エム曰く、過去にヒッピーの子を乗せてあげたとき、「私お金が無いんだけど、スペシャルなチョコレートを持っているからそれをお礼にあげる!」とくれたことがあるとか。それはマジックマッシュルーム入りのチョコレートだったようで(笑)「サトシ・コン(今敏監督。こちらでは宮﨑駿監督とともにアニメーション界の巨匠として大人気)の映画を観ながら食べたんだけど、あれは良かったなぁ…。キミも持ってる?」と笑っていました)。

参加費は任意の寄付制(ダナ)です。

センター到着後は、名前や住所、生年月日や瞑想歴などについて簡単な情報登録をしたのち、貴重品、携帯電話やPC(外部とのコミュニケーションは一切遮断)、メモや本のたぐい(合宿中に文章を読んだり書いたりもNG)を預けます。そして軽い完全菜食の夕食をいただいた後にオリエンテーションが。説明によれば、センターは完全ボランティアで運営されていて、瞑想の疑問に対して答える先生、関わるスタッフ全員がこの瞑想の実践者で無償の奉仕活動を行っていること。参加費は任意の寄付制で、払う金額はもちろん、払うかどうかも自由意志に委ねられている。そして、今回の私の参加費用は私の前に参加した人たちからのギフト(ペイ・イット・フォワード(先贈り制度))で賄われていて、私が寄付をした場合は、それは次の参加者への贈り物になるのだと説明を受けました。オリエンテーションの後は、男女が完全にわけられ、ダイニングルームの真ん中にビシっとカーテンが引かれます。「じゃあね、また10日後に」とエムと別れ、ノーブル・サイレンス(聖なる沈黙)がスタート。ここから瞑想中に疑問が湧いたときに質問できる先生やマネージャー以外の誰とも話せず、アイコンタクトやジェスチャーのたぐいも禁止です。それぞれが自分の心の奥深くまで向き合っていくために外部とのコミュニケーションを一切遮断するというのです。

鼻から上唇までの三角地帯に集中せよ!

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ちなみにこれからお伝えする内容は、合宿中にメモをとれなかったので全てうろ覚えの記憶を辿ったもの。また、エムによれば各自の体験が個別に異なるだけではなく、個人間でもリトリートごとに変わるんだそうです。だからみなさんの体験は、私が書いたものとは全然違うものになる可能性が大ですので、「土居彩はこんなふうに感じたんだ」ぐらいに捉えてもらえれば。

10日間(正確には到着日と最終日を含めて12日間)瞑想をし続けるのですが、その内容は大きく3部にわかれています。本格的なヴィパッサナー瞑想に入るまでの第1部は、まず鼻腔と上唇を結ぶ三角地帯に意識を集中し、その場所に吸う息や吐く息が流れていく様子を観察しなさいと指導されます。これが簡単そうに見えて、全然集中できないわけです。思考は予想外なほどに暴れん坊で、三角地帯の息のことなんてそっちのけになってしまうんです。

まず、私の頭の中をハイジャックしたのはマガジンハウス勤務5、6年目ぐらいのときのエピソード。出産祝いのために、同じデスクのみんなで上司のご自宅にお邪魔したのですが、そのときに上司から言われた「おむつ代もバカにならないんスよ〜」というひと言が頭のなかでずっとずっとリフレイン。吸う息に集中しては、「おむつ代もバカにならないんスよ〜」。吐く息に集中しては、「おむつ代もバカにならないんスよ〜」。自分でも首をかしげてしまいました。だって今の私、シリアスな話、「これからどうして生きていくの??」と人生や将来設計について、考えなきゃいけないことは山積みなのに。「…え、今、ソレ?!」ですよ。しかしその後も、ほぼ忘れきっていたような一見今の自分の人生とは全く関係ないようなエピソードが雪崩のように押し寄せてきました。それが3日ほど続き、「いかんいかん、三角地帯に」と意識を戻すという日々でした。そしていよいよ、合宿第2部のヴィパッサナー瞑想がスタートします。

辛い! 痛い! 瞑想ができなくて、森の中ひとりで大泣き。

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私が体験したヴィパッサナー瞑想とは何か? 誤解を恐れず私の理解の範囲で超シンプルな形で説明すれば、全身の感覚をくまなくスキャンして、体の部位がどう感じているかを第三者的な視点で観察するという瞑想法です。つまり、頭のてっぺんから足先まで5cmずつぐらいの範囲を各2分ほどの間隔でスライドさせながら、「くすぐったいな」とか「しびれて痛いな」とか「痛みの中心は、熱を帯びているな」といったように注意深くみていくんです。そのうえで抱いた感覚に反応せず、ただ傍観者のように客観的なスタンスを保つというのがポイント。

なんでこんなことをするの?! 指導するS.N.ゴエンカ氏によれば、感情というのは必ず感覚とセットになっている。快・不快に繋がる心地よい感覚も嫌な感覚も究極的には同じ性質を持っている。それは現れては必ず消え去っていくというもの。必ず移り変わっていく存在(感覚)を永遠に変わらないものだと錯覚を起こし、良い感情(感覚)に強く執着し、不快な感情(感覚)に嫌悪を抱いて避けようと逃げまどうというのが私たちの性。その結果、常に外側の現象に左右されすぎて、心の平穏や幸せを保てないのだといいます。その真理を頭のなかだけで知識的に理解するのではなく、それぞれの身体感覚を使ってリアルに腹に落とし、経験に基づく理解を持とうというのです。

ヴィパッサナー瞑想中は、なるべく姿勢を変えないようにと指導されます。これが、信じられないぐらい辛い! 私の場合、右のふくらはぎと臀部がありえないほどに痛み、脂汗まで出てきました。「おむつ代も」のフレーズはもはや頭に浮かばなくなりましたが、「痛い痛い痛い痛いイターーーイ」の無音の叫び声で体中がいっぱいに。「全然、痛みが去っていきませんけど??」と痛み(不快な感覚)に抵抗し続け、瞑想が終わる前のサイン、まさに戦い終了のゴングのようなゴエンカ氏のチャンティングが始まるころには気絶寸前。「やっとこの苦しみから解放される……」と瞑想が終わるのを心待ちにしながら、チャンティング終了後は戦いを終えた戦士のようにぐったり。就寝前に暗がりのなかで着替え中、脚が青アザだらけになっているのを発見して、”痛い” という感覚がまぎれもないリアルな現実であることを目の当たりにして、ギョッですよ。我慢大会のような毎日を過ごすうちに、いったいなんのために瞑想しているのかよくわからなくなってきました。でも、決めたからにはやりきるしかない。

ところで瞑想中に、順番に先生に呼ばれて「感覚を感じられますか?」「どんな感じがしますか?」とたずねられる、Q&Aの時間があるんです。すると、みんなすらすらと「頭の先に空気が触れて、くすぐったいです」とか「鼻腔へ出ていく息は温かく、入っていく息は冷たく感じます」などと答えていくなか、「あなたはどうですか?」とたずねられて。「どんな感覚にも反応せずに平穏さを保てと言われますが、”右のふくらはぎがしびれて痛い!” という思いが私の体と心の全てをジャックして、ほかの微細な感覚なんて感じられません。そこで瞑想で平穏さを得るどころか、他の感覚を感じられない自分を責めてしまい、不安な気持ちやがっかりした気分になってしまいます」と正直に答えました。ちなみにこのQ&Aの時間、いつも私だけが「できない」「よくわからない」「そうは言いましても」という意見を投げかけていました。そんなヴィパッサナー瞑想劣等生の私に対して、先生は常に優しく微笑み答えてくれたんです。「痛みの芯にある性質をよく観察してみなさい。それは熱なのか、圧なのか。フラットな気持ちで調べてみるんです。するとしだいに去っていきますよ。そして、感覚が感じられない部位があったときは、『そうね、感じられないね』と優しくただ認めてみて」と。

休憩時間のあいだ、私はサムにアドバイスしてもらったようにひたすら体を休めて寝るか(私の場合、座って瞑想しかしていないのに寝ても寝ても寝られるぐらいよく眠れました)、森を散策していました。森のなかにお気に入りのスポットがあって、そもそもはテントを張るためのウッドデッキなのですが、その上に寝そべりながら木々から覗く太陽を下から眺めるのが好きだったんです。デッキの上で大の字になって試しに目を閉じてみて、頭の先からどう感じているのか再びスキャンしてみます。「やっぱり、感覚がわからないな……」とガッカリして、先生に言われた言葉を思い出します。「そうね、感じられないね」「でも、いいんだよ」「完璧にできなくても、いいんだよ……」と自分に話しかけるように言ってみると、森のなかで木々に包まれていることもあって、涙が溢れてきました。思えば、会社を辞めてからずっとこのレッスンを繰り返しているような気がします。期待どおりに物事を進められない自分に落胆して、焦って、憤って。最終的には、満足にできない私を認めたうえで自分のペースで一歩一歩前に進むことを赦すという作業です。結局何をしていても、どこにいても、取り組むべき同じテーマがやってくるんです。

坐布を選び抜いて、痛み対策。私のクッションキャッスルへようこそ。

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森のなかで泣いてスッキリした後、瞑想に集中するために、まずは自分のできる対策をしようと決意。坐布ひとつで坐禅を組むほうがカッコイイけど、今の私には無理! そこで瞑想のたびに合宿場にある豊富な坐布やクッションの吟味を重ね、ついに理想のコンビネーションを発見。私の席には、右脚、左脚、臀部それぞれの高さにカスタマイズした3つの塔がそびえ立ちました。これだけやってもひどく右の脛が痛む場合もあって、そのときはじっと観察します。感覚をスキャンし続けているうちに、この痛みは臀部の筋肉の硬さを補う姿勢のとり方からきていると感じました。そして私の場合、「できない」とか「怖い」とか、外部の現象に対して心が緊張すると、肩と臀部の筋肉が硬くなることも。そのうえでわかったのは、食べる量を減らすと痛みが楽になるということ。そこで、完全菜食の食事はとてもおいしかったのですが、腹7分目ぐらいに留め、昼以降は一切何も食べないようにしました。洋服もなるべく軽くて締め付けないものを選ぶようにし、「できない」ことを優しく受け入れる。そう繰り返しているうち、到着8日目の就寝前にふと気がついたんです。寝る前に浮かぶあれやこれやが、全く頭のなかに無く、空っぽだということを。「何にも考えることが無い!」。「私の抱える悩みって、そもそも存在しないものだったのかも……」。ものすごい爽快感と同時に、ちょっとした恐怖感さえ感じました。

第3部は、メッタという愛と慈悲の瞑想を教わります。ただあるものをあるがままに見て、感じることで、古い思考パターンや心の汚濁を掘り起こすヴィパッサナー瞑想。過去のパターンを掘り起こして穴ぼこになった心の傷口に塗る薬となる瞑想なのだというのです。「意識してか意識せずか、私を傷つけた人すべてを許します。意識してか意識せずか、私が傷つけた人すべてから私が許されますように。生きとし生ける者すべてが幸せで、平和で、本当の自由を得られますように」。「Be Happy (幸せでありなさい)……」「Be Happy……」。メッタ瞑想をリードするゴエンカ氏のチャンティングを聞いているうちに、左目からツーっと静かに涙が出て頬を伝いました。

瞑想後に聖なる静寂(ノーブル・サイエンス)は解かれ、初めてルームメイトや参加者たちとおしゃべりをします。ヨガの先生で同僚に誘われてやって来たという人、医療に従事していたが今月仕事を辞めたばかりで自分を見つめにやって来たという人、さまざまでしたがユニークな夫婦にも出会いました。モンゴル人の2人は一年の半分をモンゴルで働いて暮らし、半分はアメリカのこのセンターでボランティアしているというのです。奥さんから「あなたは何をしているの?」とたずねられて「いったい、何をしているんでしょうね? 自分でもよくわかりません、ハハハ」と答えると、「アヤ、あなたにはパートナーがいるの?」と突然聞かれました。そこで「いいえ。今は自分の成長にフォーカスしていて。今の私じゃ、きっと誰ともうまくいかないから」と答えると、「完璧にならないとパートナーシップが築けないというわけじゃないのよ。一緒に成長していけばいいの。私と夫もお互いの成長を助け合っている。ときにはどちらかが成長するのを待ったり、サポートしたり。大抵は私が助けてもらう側だけど、笑」。そういうものなのかなぁ……。自覚している以上に一度離婚してしまったこと、離婚後のボーイフレンドともあまりうまくいかなかったこと、好意を持たれても長続きしないこと。それらに私のものの見方(=今の私のままでは、愛されない)が重なって、自分の心を守るために独りで居ることを課していたのかもしれないなと思いました。

合宿終了後は有志で片付けなどを行うのですが、私はメディテーションホールの掃除を行いました。クッションや坐布を整頓することとなり、「ずいぶん助けてもらったなぁ」と汗だくになりながら自然と感謝の気持ちが溢れてきました。掃除が終わるまで待ってもらって、帰りもエムにライドしてもらいました。「ヴィパッサナー瞑想の後って五感が鋭くなっているから、音楽を聴いたらすごいんだよ」と言われ、私のお気に入りのサンフランシスコを拠点に活動するミュージシャン、TYCHOのElsewhereを車の中で大音量で一緒に聴いてみました。何も話さず、ただ景色を見ながら音に耳を傾けます。

しばらくすると「ねぇ、変な質問するけど、キミってシングル?」。たしかに今はシングルだなと思い、「イエス」と答えると、「あぁよかった。なんでこんなこと聞くかわかる?」とたずねられ、「ノー」と答えました。すると、「この合宿の前にデートしていた子がいたんだけど、先週『私、結婚しているの』って言われたんだ。ビックリしたのと、ちょっとショックで。だから、ちゃんと聞いとかなきゃって思って」と言われ、「I see…(なるほど)」。「たまに、一緒に出かけるのってどうかな? あ、きっとキミは結婚するなら日本人の男性のほうがいいだろうから、シリアスに考えなくてもいいんだ。僕はバークレーにきてまだ1年ちょっとで友だちもあまり居ないし。そうだね、うん。だからキミに時間があるとき、キミが出かけたい場所に一緒にいけたらなって」。瞑想の後だからか、エムが言っていること(外部の刺激)と自分の間に空間があるような感じがして、すぐに反応できません。またひと回り年下の男子に誘われると、どうしてもバークレーのトラウマがやってくるのもあって(ひと回り以上年下の同級生に告白され、付き合えない理由として年齢を言った途端、化け物を見るような感じになって挨拶さえされなくなった)ぎこちない空気が車内を流れます。前と違うのは、ヴィパッサナー瞑想直後で感覚が鋭くなったせいか、肩とお尻の筋肉が硬くなっているのがわかる点です。さて、どうなるのでしょう?

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See You!

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※車の写真:日の出から15分ぐらい経った時間の、バークレーの空が一番好きです。

※部屋の写真:部屋はカーテンで区切られ、ベッド、ライト、ハンガーなど必要最低限のものが揃います。シーツや寝袋は持参します。

※森の写真:森のなかで山火事から逃れてきた親子の鹿と遭遇しました。息を潜めて見つめていましたが、「もっと見たい」という執着的な意識になった途端、母鹿に気づかれ、去られてしまいました。

※坐布の写真:瞑想3日目には坐布やクッション、ベンチが棚からすっかり無くなり、その後再び増え始めました。直接コミュニケーションできないけれど、みんなも試行錯誤しながらベストな組み合わせを研究中なのだなと間接的にわかって、同志的な気持ちが芽生えました。



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