『別れる決心』パク・チャヌク監督「普段から翻訳という行為にとても関心がある」

2023.2.20
世界の映画賞で30部門以上を受賞し、韓国国内でも公開されるやいなや社会現象ともいえるブームを巻き起こしている映画『別れる決心』。監督を務めたパク・チャヌクが『お嬢さん』公開時以来の5年10か月ぶりに来日。事件を追う刑事へジュンと、被害者の妻で、容疑者でもあるソレが惹かれ合う、大人のサスペンス・ラブストーリーを生み出したその理由を聞いた。

今でも寝る前に必ず読むのは、『ぼのぼの』。

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主人公の中国人ソレは、歴史ドラマで学んだぎこちない韓国語で、もう一人の主人公であるへジュンと会話をする。時に二人の言葉はアプリを通じ翻訳され、AI音声が再生するその乾いた声が印象に残る。

「私は2つ以上の言語が共存するという状況が好きみたいです。映画祭やプロモーションで外国へ来たり、映画を国外で撮影する時に通訳をしてもらう機会がありますが、普段から翻訳という行為にとても関心があります。訳がうまくいかなければもどかしさを感じるし、逆の場合はすごくスッキリする。意思の疎通という問題において、対極を端的に示す可能性があるものですよね」

俳優の豊かな感情表現から遅れて、無味乾燥としたAI音声が言葉を話すシーンは、コミュニケーションにおける核心的なテーマを表出させているとパク監督は言う。

「ソレは韓国語をある程度話せますが、今話したいことがあまりにも多く、一刻も早くその内容を正確に伝えたいから、いきなり通訳アプリを使って中国語で捲し立てる。ヘジュンにとっても観客にとっても、その姿はもどかしそうに韓国語を話していたこれまでの彼女とは全く違うと感じるはずです。雰囲気がガラッと変わり、興奮しながらも堂々と威厳のある話し方をするソレが何の話をしているのか、すごく気になりますよね。でもアプリが通訳するのを待つしかない。それで待っていると、いざ届く情報はあくまで感情のない声なんです。へジュンと共に観客は、ソレの表情、眼差し、声のトーン、イントネーションの記憶を呼び覚まし、言葉を完成させなくてはいけない。そのシーンが、未知の者同士が出会い、交流を深めていくというコミュニケーションにおいて、究極の動機になると思いました」

これまではタブーとバイオレンスを臆さず描写してきたパク監督。本作ではそれらを封印し、本心をストレートに言えないという事情を抱える大人のための恋愛を描いたそう。

「単純に、同じことを繰り返すことが嫌いなんです。映画作りというのは、1~2年、長くなれば3年ほどを費やすこともあるので、言ってみれば、自分の人生をまるごと捧げて作っているともいえるわけです。それが退屈な作業となると、本当に辛い、苦痛なものになってしまう。だからこそ、ひとつ成功しても、その成功に決して安住したくないという性格なんだと思います」

パク監督自身も、大人であることは、不自由さを抱えて生きていくことと捉えているのだろうか。

「仕方なくでも我慢すべき時に我慢ができる、それが大人であると私は考えます。社会という共同体の中で生活するとなると、否応なしに自然と周りの人と合わせていかなくてはいけない。それは、現代の文明社会を生きる上で支払わなければいけない対価だと思います。ただ我慢が限界まで達してしまうと、心の病になってしまうケースもありますよね」

表現活動においても、禁止されたルールを受け入れるしかない状況は歳を重ねるほど増えていくという。

「だからこそ、私たちには芸術が必要なんじゃないかと。いかなる非難があったとしても、自分が表現したいことを表現しようとする芸術家はいつの時代にも必ずいますし、タブーとされるような芸術を愉しむ人たちも必ずいると私は思うんですね。例えば、日本にはいろんな漫画があって、極端ともいえる表現に決してためらわずに挑んでいる作品もありますよね。世界中にある恐怖を煽るようなホラー映画もそうかもしれない。そういう作品が作られる理由は、忍耐が強いられている状況があるからなのではないでしょうか」

そんなパク監督が昔から愛読し、影響を受け続けているという作品が、哲学的なユーモアで知られる、いがらしみきお著の『ぼのぼの』だとか。

「今でも寝る前に、必ず2話か3話分を読むんです。一見かわいく見えるけど、何気に暴力的な表現もかなり入り交じっている。以前、来日した際、一番会いたい人は? と聞かれて、いがらしみきおさんと対談させてもらったこともあります」

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『別れる決心』 男が山頂から転落死した事件を追う刑事へジュンと、被害者の妻ソレは捜査中に出会い、取り調べが進むにつれ、お互いに特別な想いを抱き始める……。2月17日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開。©2022 CJ ENM Co., Ltd., MOHO FILM. ALL RIGHTS RESERVED

さまざまな仕掛けをちりばめ観る者を揺さぶる鬼才監督。

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『オールド・ボーイ4K』 Blu‐ray 2枚組 6380円 発売・販売:KADOKAWA

パク・チャヌク 唯一無二の作風で韓国映画を牽引する脚本家、監督。『JSA』(’00)は、当時の韓国歴代国内興行記録を塗り替え、復讐三部作『復讐者に憐れみを』(’02)、『オールド・ボーイ』(’03)、『親切なクムジャさん』(’05)で強烈で冷酷なスタイルを打ち立て、カンヌ国際映画祭の常連に。特に『オールド・ボーイ』はハリウッドでリメイクされるなど、今も世界中で愛される監督の代表作。その後『お嬢さん』(’16)で第71回英国アカデミー賞で非英語作品賞を獲得。

※『anan』2023年2月22日号より。写真・岩澤高雄(The VOICE) インタビュー、文・小川知子

(by anan編集部)