アスペルガー症候群自体が問題なのではない。当事者が被る危険性はここにあります

文・七海 — 2017.1.24
アスペルガー症候群であること自体よりも、それに理解を得られず二次障害を併発してしまうのが問題です。その危険性を回避するためには、周囲の理解が必要なのです。

周囲にアスペルガー症候群の人がいたらどう接していますか?その偏見が問題なのです

あなたは偏見を持っていませんか?

私自身アスペルガー症候群ですが、そのこと自体に問題があると思っていません。当事者が被る危険性はほかの部分にあります。どうか、アスペルガー症候群に偏見を持たずに接してください。

「アスペ」という単語が差別用語化しています。実際にアスペルガー症候群ではない相手にも、「アスペ」という言葉を投げかけて貶める光景があります。特に、その傾向はSNSで顕著。「アスペ」と言ったら相手は傷つくだろうと思ってそうした言葉を吐いているのではないでしょうか。

あなたの周囲にアスペルガー症候群の人がいますか?その場合、どのように接していますか?また、アスペルガー症候群の人が周囲にいない方は、どのようなイメージをお持ちでしょうか。

アスペルガー症候群の当事者は、一般的にコミュニケーションを取るのが苦手です。私の場合、比喩的な表現を理解しにくかったり、表情を読み取るのが苦手だったり、言葉をストレートに発してしまうという特徴があります。子どものころに比べてそういた傾向はだんだん薄くなってきましたが、それはさまざまな失敗をして学ぶからです。こうすると人は傷つくんだな、だとか、こうするとコミュニケーションにならないんだな、だとか、そういった学習をして修正方向に持っていくのです。

しかし、その修正までにどのような失敗をしてきたか。それが問題なのです。さらに、修正が苦手だという当事者もいます。このトライ&エラーが二次災害を引き起こすのです。

危険を伴うトライ&エラー。そこに周囲の理解がなかったら…

心ない言葉に傷つきます。

トライ&エラーを繰り返すとき、周囲は心ない言葉を投げかけます。それによって今の言動はまずかったんだな、と気づくわけですが、それが日常化したらどうでしょう。

マジョリティ世界にマイノリティはなじみにくい。マイノリティであるアスペルガー症候群当事者からすると、周囲の方が ”変” に映るのです。なぜそのような表現で会話のキャッチボールが成り立つの? 何も言葉を発していないのに、なんでそんな行動をするの? —不思議でならない世界です。

そんな、”不思議な世界” に一生懸命なじもうとしているとき、心ない言葉を何度も何度もかけられたら―。酷いときはいじめに発展したり、無視される、という状況になったりします。それが問題なのです。周囲の理解なくトライ&エラーを繰り返すうち、二次障害を引き起こしてしまうことがあるのです。アスペルガー症候群の人が精神疾患を併発していることが多いのは、これが理由です。

私自身、双極性障害やパニック障害など、さまざまな精神疾患を発症してしまいました。毎日向精神薬を飲んでいても、酷い鬱状態で何もできなくなる日が続くことだってあります。体が動かなくなって、ベッドで涙を流すだけの日々—。苦しくて苦しくて、でも動きたくて。動こうとするといじめの情景がフラッシュバックして、さらにつらくなります。

アスペルガー症候群に理解を。”障害者”としてではなく、1人の人間として見て

アスペルガー症候群を持っていても、私は心のある人間です。

アスペルガー症候群の特性は、確かにマジョリティにとっては理解しがたいものなのかもしれません。しかし、”障害者” だと色眼鏡をかけて見ないでほしいというのが私自身の意見です。アスペルガー症候群を持って生まれてきたけれど、私もひとりの人間。”障害者” であっても、心ない言葉を吐かれると傷つきます。いじめられるとつらいです。悲しいとか苦しいとか、そういった感情を持った、あなたと同じ人間なのです。

どうか、「アスペ」といって差別しないでください。心を持った人間である私たちは、二次障害を発症し、さらに生きづらくなってしまうからです。差別的な言動をしている方、差別的な考えを持っている方。アスペルガー症候群当事者も、マジョリティ世界になじもうと頑張っているのです。理解を持って接してもらえると嬉しいです。トライ&エラーを繰り返して、少しずつ、あなたたちの世界に近づけるはずだから。