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恋を始めたい女性へ 山崎ナオコーラが贈る書き下ろし!

2017.10.5
ふと周りを見回すと、彼のいる女子ってけっこう少ないかもしれない。そう気がつくと焦りは消える。だから今日も動かない。でも、ずっとこのままでいいのかな?と自分に聞いてみてほしい。「それじゃ嫌だ」と思うなら、心を決めなくてはいけない。ここに行こうと決めなくては、人は目的地にたどりつくことはできないのだ。だからまずは宣言しよう、今日から私は恋をすると。以下では、作家・山崎ナオコーラさんからの寄稿「この心を恋と言いたい」をご紹介。
山崎ナオコーラ

言葉なんて、好きなように使えばいいのだ。

同じ心の動きでも、それを自分が「恋だ」と言えば恋になるし、「一時の思い込みだ」と言えば一時の思い込みになるし、「執着だ」と言えば執着になるし、「ファン心理です」と言えばファン心理になる。 辞書というものがあるが、あれにはべつに言葉の正解が書いてあるわけではない。世界には、最初から言葉があったわけではなくて、もともとはモヤモヤだけがあった。モヤモヤのあとに言葉が作られたのだ。つまり、後付けだ。だから、完璧な辞書はない。心にあるモヤモヤは人の数だけあるのだから、ひとつの言葉を、万人が真に同じ意味で使うことはありえない。様々な話者が、自分なりの意味を考えて、好きに使っていくしかない。

もちろん、恋という言葉にも、絶対的な意味などない。人それぞれの、恋っぽい感覚があるだけだ。

でも、私も、子どもの頃はそんな風に思っていなかった。恋は万国共通の絶対的な感情で、大人になったら自然と、誰にでも等しく湧き起こるものだと考えていた。

童話やマンガでは、なんの努力もしなくても、自然と恋が始まる。少女マンガの主人公はおおむね鈍感で受け身な性格で、友だちが「あんた、どうもあいつの前で態度が違うね」なんて具合に指摘してくれて、「え? 私があいつを好き? そんなわけないし」などと否定までしても、勝手に恋愛物語が動き出す。相手が好意を示してくれても気がつかずにあっさりと流す主人公は、「鈍いね」と可愛らしさに通じる言い方で周りからちやほやされ、むしろ鈍さは長所であるかのような描かれ方をする。

「恋をしたらすべての人が同じ感情を抱く」「同じ意味で恋という言葉を使用する」という価値観をみんなで共有しているから、主人公が自分の心を探らなくても、周囲の人が解釈してくれるのだ。

しかし、成長するに従って、違うとわかってきた。 十代になって、周りの友人たちが恋愛を始めたとき、「恋というのは思い込みだ」と感じた。特別な感情ではなくて、人づき合いの中で湧き起こる感情のヴァリエーションのひとつにすぎず、「恋」と「恋でないもの」とをはっきり区別する方法はない。誰もが、人と接すれば、心が波立つ。大きな波もあれば、小さな波もある。大きな波が起きてもでんと構えて、自分のやるべきことに集中する人もいれば、小さな波にも敏感に反応し「恋かもしれない」と考えて行動を起こす人もいる。傍目には、「恋かもしれない」とすぐに考えがちな人は、思い込みが強そうで滑稽に見えてしまう。でも、周りに自分がどう見られようと気にせず、周囲に頼らずに自分の心を見つめる人は、本人なりの幸せに近づいていく。傷つくことも多そうだが、恋が始まる率も高まる。恋心の解釈に正解はないから、「この気持ちは、恋だと思う」と言ったところで「それは間違い」と他人から指摘されることはない。「本当に好き」というのは、自分で適当に言っていい言葉、いや、責任を持って自分が適当に言うしかない言葉だ。

感情は言葉や行動と共に増幅するから、恋の自覚を持たずにじっとしている人は、穏やかな心のままで過ごすことになる。マンガの世界では、主人公が恋愛相手や友だちと言葉の意味や価値観を共有できているので、周りが察してくれたり、お膳立てしてくれたりするが、現実世界は複雑で、みんなバラバラなので、大抵は心の内を察してもらえない。恋の物語は始まらない。

まあ、でも、じっとしていることは決して罪ではない。

恋愛、恋愛、とメディアでは声高にうたわれるが、みんながみんな恋をしなくていい。仕事や趣味など他にやりたいことがある人や、自身の療養や家族の介護など他にやらなければならないことがある人は、恋に対して鈍感で受け身なままで、まったく問題はない。恋なんかにかまけずに、他の努力をした方が人生がキラキラしていくに決まっている。恋愛に興味がないという人は結構たくさんいるので、全人類で見たら、実は少数派ではないのではないか。

また、恋愛が好きな人でも、自分自身が恋愛するより、小説やマンガや映画で恋愛の雰囲気を味わう方が好きだと考える人もいっぱいいるわけで、そういう人はリアルな人間関係では鈍感で受け身でも、フィクションを楽しむ感受性が豊かでありさえすれば幸せな生活を送れるから、やはり、性格を変える必要は全然ない。

でも、「自分にも恋が始まらないかな」という期待を少しでも胸に持っている人の場合は、鈍感で受け身な性格は損だ。

昔、世の中では「口説く」という言葉が頻繁に使われていた。女性は何も考えていない状態で生きているという前提があり、男性が意思を持って近づき、女性をその気にさせるアクションを起こさなければならない、つまり男性が「口説く」ということをしなければ恋が始まらない、とされていた。男性は大変だったと思う。しかし、だんだんと「口説く」は死語になった。社会の中で女性が強くなったので、男性は女性を立てるために気を遣うようになり、優しくなる努力を始めてくれた。だが、女性は相変わらず、恋愛シーンではじっとしている。口説かれなくてもいいが、察したり、読み取ったりしてもらえないと動けないという女性は多い。男性に対し、「優しさを身につけて、こちらを尊重しながらも、依然として強さも残し、昔のままにリードは続けてくれ」という、おそろしい希望を持っている。女性だけが楽をしようとしている。これは、男性に対して失礼すぎる。

前出のように、私が若かった頃から少女マンガは鈍感で受け身な主人公が多かったのだが、最近の作品では変わってきているのかな、と思ったら、どうやらさらに増している。もちろん色々な種類の作品が生まれているに違いないが、書店の棚を見ると、多くの少女マンガの表紙が、困っている女の子の顔と、強引そうな男の子の顔で構成されている。「困っている顔が可愛い」「もっと困らせたい」などの定番のセリフもあるみたいだ。わけのわからない理由で嫌々一緒に住み始めることもある。いや、批判したいわけではない。妄想なのだから、まったく構わない。むしろ、マンガの中ではこの感じを突き詰めていった方が面白くなるはずだ。

でも、リアルな世界では、「私は困っている顔だけするので、あとは察して、物語を進めてくれ」というのは虫が良すぎるし、男性がかわいそうだ。

そういうわけで、「恋をしよう」と決めて、自分の心の波立ちに敏感になるのは、結構面白そうだ。自分なりの解釈で、恋という言葉を、軽く自由に使ってみるのもいいかもしれない。 

もうちょっと広く考えて、恋人になりたいという気持ちだけでなく、雑貨屋で見つけた醤油差しの形にきゅんとして「絶対に買う」と決めるのも、よく行くうどん屋の女性店員の優しい接客にドキドキして「これからこのうどん屋に来るのが楽しくなりそう」と思うのも、恋と言いたければ恋と言って良いのだ。日常の中に小さな恋をいっぱい見つけるのも一興だ。

山崎ナオコーラさん ‘04年、『人のセックスを笑うな』が文藝賞を受賞し、作家デビュー。すべての人に温かい視線を注ぐエッセイも人気。著書に、『昼田とハッコウ』(講談社文庫)、『美しい距離』(文藝春秋)など。最新刊は、『母ではなくて、親になる』(河出書房新社)。

※『anan』2017年10月11日号より。イラスト・アサノマイコ 文・熊坂麻美

(by anan編集部)


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