明るさの中にどこか不気味な雰囲気漂う…「私写真」のパイオニア・深瀬昌久の大回顧展

2023.3.13
自身の私生活を深く見つめる作風で、1960年代以降の日本の写真表現に独自のポジションを築いていった写真家・深瀬昌久。彼の作風は’70 年代には「私写真」と呼ばれ、後の写真家たちの主要な表現のひとつとして広まってゆく。

「私写真」のパイオニア深瀬昌久の日本初、大回顧展。

1934年、北海道の写真館の長男として生まれた深瀬。3代目になることを期待され、6歳の頃から暗室でプリントの水洗仕事を手伝わされるなど、幼少期から写真と縁深い生活を送る。日本大学藝術学部写真学科を卒業後は、日本デザインセンターや河出書房新社などの勤務と並行し、カメラ雑誌を中心に写真作品を多数発表。’68年に独立すると、妻や家族、飼い猫など、身近な存在にカメラを向け、自分の内面へと意識を向けてゆく。彼の作品は、被写体に対する愛ある眼差しと、ユーモラスな軽やかさが混在しているのが特徴。明るさの中にも、どこか不気味な雰囲気をたたえた作品は、不思議といつまでも見る人の記憶に残る。

本展は、深瀬昌久の全貌を紹介する日本初の大回顧展。初期作品「遊戯」から、家族を撮影した「家族」、晩年に手がけた「私景」や「ブクブク」など、主要な作品を一堂に集め、活動の足跡を時系列に辿ってゆく。

なかでも注目は妻・洋子を被写体に、約10年の歳月をかけて撮影されたシリーズ「洋子」だ。深瀬は、’60年代には二人が暮らした埼玉の草加松原団地を舞台に、’70年代には旅先の北海道や金沢、伊豆などで洋子を撮影。本展では《無題(窓から)》など15点を本邦初公開。そこには被写体への愛ばかりでなく、どこか過剰な演出も入り交じっている。

深瀬がプライベートを晒しながら表現したかったものは何だったのか。彼は猫と過ごす日々を振り返り、「私はみめうるわしい可愛い猫でなく、猫の瞳に私を映しながら、その愛しさを撮りたかった。だからこの写真は、サスケとモモエに姿を借りた私の『自写像』といえるのかもしれない」と書き残している。

’92年6月、深瀬は行きつけのバーの階段から転落。重度の後遺症を抱え、以降は特別養護老人ホームで介護を受けながら過ごし、二度とカメラのシャッターを切ることなくこの世を去った。本展は、彼の活動の全貌とともに、「不遇の作家」とも呼ばれた彼の生き様から、写真の原点についても考える機会になりそうだ。

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《無題(窓から)》〈洋子〉より 1973年
勤め先の画廊に出勤する洋子の姿を毎朝4階の自室から望遠レンズを使って撮り続け、「洋子」と題して1973年に誌上で発表。夫婦は’76年に離婚した。©深瀬昌久アーカイブス

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《無題》〈サスケ〉より 1997‐1998年 個人蔵 
’77年に友人の紹介で譲り受けた深瀬の猫・サスケ。©深瀬昌久アーカイブス

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《屠、芝浦》〈遊戯〉より 1963年 東京都写真美術館蔵 
解体される家畜と当時は恋人だった洋子。©深瀬昌久アーカイブス

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《91.11.10 November 10th 1991》〈ブクブク〉より 1991年 東京都写真美術館蔵
’91年、深瀬は自宅の湯船に潜った自分の姿を約1か月間写し続けた。©深瀬昌久アーカイブス

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《昌久と父・助造》〈家族〉より 1972年 東京都写真美術館蔵
’71年、帰省した際に撮影した父との写真。©深瀬昌久アーカイブス

深瀬昌久 1961‐1991 レトロスペクティブ 東京都写真美術館 東京都目黒区三田1‐13‐3 恵比寿ガーデンプレイス内 開催中~6月4日(日)10時~18時(木・金曜は~20時。入館は閉館の30分前まで) 月曜(5/1は開館)休 一般700円ほか TEL:03・3280・0099

※『anan』2023年3月15日号より。文・山田貴美子

(by anan編集部)