上野千鶴子「女性が街角に溶け込むための小道具がananだった」 学生運動の過去

2023.1.14
人生の先輩的女性をお招きし、お話を伺う「乙女談義」。今回から4週連続で登場するのは、日本のフェミニズムの先駆者である、社会学者の上野千鶴子さんです! 第1回目をお届けします。
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’70年代の学生運動とananって、面白い関係があるんです。

ananが創刊したのは今から53年前、その当時私は京都大学の学生で、ヘルメットをかぶった“過激派”として学生運動をやっていました。実は学生運動とananにはちょっと面白い関係があります。東京の過激派の女子大学生たちは、ミニスカートにマキシのコートを羽織り、片手でananを抱えるというファッショナブルなスタイルで御茶ノ水などの街角に立ち、公安警察の動きを見張っていたんです。女性が街角に溶け込むための小道具がananだったわけです。その後Hanakoも刊行されましたが東京ローカル。東京に行った子がお土産に買ってきてくれる雑誌を、関西で時差を感じながら読んでいたことを覚えています。

ちなみに当時の私は機動隊に向かって石を投げ、短距離走が得意だったので〈逃げ足の速いちづちゃん〉と呼ばれておりました(笑)。ちなみに成人式はバリケードの中。そんな大学生活でした。

マイクを持つのは男子、女子はおにぎり係…。

学生運動でマイクを持てるのは男子だけ。女子の役割はというと、おにぎり作りという〈後方支援〉と、警察に捕まった男子に支援物資を届ける〈救援対策〉、そして男子たちのセックスの相手です。確かに当時は「性を解放しよう!」という性革命〈フリーセックス〉の流れもあり、性的に活発な女子のことを、男子たちは“公衆便所”という不愉快な隠語で呼んでいました。学生運動の中でも、同志だと思った男性たちからものすごい女性差別を感じていました。

学生運動で、結局私たちは敗北。その後私は向上心・向学心ゼロの無気力学生に。することといえば、セックスと麻雀だけ(笑)。大学院に行ったのも、就職活動をしたくなかった、それだけの理由からです。私の20代は、将来の見通しもなく希望もない、うつうつとした時代でした。そんな上野千鶴子がどうして今のような人間になったのか…? そのお話は、また来週に。

うえの・ちづこ 社会学者、東京大学名誉教授、認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク理事長。日本における女性学、ジェンダー研究のパイオニア。著書に『最後の講義 完全版 上野千鶴子 これからの時代を生きるあなたへ 安心して弱者になれる社会をつくりたい』(主婦の友社)など。

※『anan』2023年1月18日号より。写真・内山めぐみ

(by anan編集部)