【カツセマサヒコのショートショート】32歳・女性会社員の“人生最大級の恥”話

2022.3.16
カツセマサヒコさんによる『anan』新連載、ショートショート「傷と雨傘」の第1回目。しんどい人生の中にある「捨てたもんじゃない」と思える瞬間とは――。

笑わせてくれて、ありがと(32歳・会社員・家に帰りたくない さんの話)

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人生最大級の恥をかいた。

職場に好きな人がいて、その男がまあ格好良いのだ。彼がコピー機の前に立つたび、私はその長身細身のスーツ姿に見惚れて悶え苦しみ、たちまち心を溶かしてしまう。

同じフロアにいるだけで空気が浄化される気がするが、しかし、恋、とは違うのだ。彼には手が届くわけがないし、そもそも五つも歳上の地味な女なんて視界にも入らないだろう。だから、推し。佐藤くんが幸せでいてくれれば私はそれだけで嬉しいし、佐藤くんを好きな人間として恥ずかしくない行動をしようと毎日背筋を伸ばして生きることができる。ありがとう、佐藤くん。

そんなふうに日々同じ職場で働けることに感謝しながら、個人的にはややブラックではないかと思う仕事をその日もこなしていた。

事件が起きたのは、昼休み。社食に入って、いつもどおり大して味のしない野菜定食を頬張っていた時である。

『社食でいっつも同じ野菜定食食べてる人おるけど、なんかそういうの、良い。ころころ変えないところに、人間が詰まってる感じがして、良い』

佐藤くんの、インスタグラムのストーリーズである。佐藤くんだけをフォローしているアカウント(これをサト垢と呼んでいる)から今日も覗き見ていた彼の投稿。それに突然、心臓を鋭く撃ち抜かれた。

これ、間違いなく私のことじゃん!

いつも視界に入らないように食堂の隅から佐藤くんを観察していたはずだし、佐藤くんはほぼ毎日、同期の重松(体格がやたらデカくいかにも営業職って感じの雰囲気なのになぜか経理部)とご飯を食べるから、その重松の視界にすら入らないように最適な距離・角度を見出してテーブルに着くようにしていたのに、どうしてバレた!? 佐藤くんが食器をさげるタイミングでたまたま私が視界に入ってしまっていたとか!? そんなことありえる!?

認知された喜びよりも、私が佐藤くんの目を汚していたことに対する申し訳なさが勝った。しかし、こんな私を「良い」って言ってくれるなんて、何事? これは、夢?

いやいや、待て。舞い上がりすぎだ。毎日野菜定食を頼む人なんて、ほかにもいるだろ。考えてみれば、いつも佐藤くんをおかずにして白米を食べる勢いでその姿をガン見しているせいで、ほかの人が何を食べているかなんて一ミリも興味を持ったことがなかった。

いつも日替わり定食を頼んで魚の種類に一喜一憂する佐藤くんは可愛い。しかし、その佐藤くんが私の野菜定食を毎日見ているなんて、流石にそんな都合の良いことは起きない。はい、考えすぎ。ここは忘れよう。いきますよ、一、二、ポカン!

と、脳内で一人首脳会議を開いていて、気付かなかった。いま、目の前に、あの佐藤くんがいる。

「あの、降りないんすか?」

そう声をかけられた。佐藤くんが、エレベーターの開くボタンを押したまま、私に向かって話しかけたのだ。

だふぇwhふぉあじゃfじゃおふぁ。言葉にできなかった。佐藤くんが、私が同じフロアの人間であることを、知ってくれていたのだ! なんで! どうして! ああ! いい匂い!

そうして舞い上がった私は、やってしまったのだ。本当に、なんでそんなことを、と思うのだけれど、その時は佐藤くんの匂いにあてられて、もう何も冷静な判断がつかなくなっていたのだ。

「この中に! 野菜定食を毎日食べてる方は! いらっしゃいますかー!」

私は、六十人はいるフロアに向かって、思いきりそう叫んでいた。

「流石にウケすぎるんだけど、それ、本当の話?」

私の全てが無事に崩壊したあと、一人で家に帰るのが耐えきれなくなって、カヨコを居酒屋に呼び出した。カヨコとは大学時代から、お互いに何かあるとこうして連絡を取り合い、愚痴を吐き出す仲である。そして、やはり今、向かいの席に座るカヨコが、私の過去最大クラスの恥辱を聞いて楽しそうに笑っている。

「あのさ、こっちは本当に死にたくなってんのよ。なんか励ましてよ」

「いや、だってもうアホすぎて。あー無理、ほんとほっぺた痛い。ほら、涙出てきちゃったじゃん」

冗談かと思ったら、本当に目尻に涙を浮かべている。人の不幸を食い物にしよって!

「ああーもう呼び出さなきゃよかった。ひたすら死にたいとしか思えない。嘘であってほしい夢であってほしいー! 消えてくれー!」

両手で顔を覆いながら叫ぶ。現実は何も変わらない。

「アンタ、こんなに笑わせられるネタ手に入れたんだから最高だよ、最高」

「いや、私、お笑い芸人じゃないから」

そう言いながら、まあ、カヨコとだったらコンビを組んでもいいなとは思う。どっちがボケとかツッコミとかじゃなくて、片方が言ったことに対して、もう片方がゲラゲラと笑ってくれる。そんな関係のコンビは、なんとなくいいよなって、思う。

「人生の黒歴史とか、他人からしたら喜劇でしかないよね。それをすぐに披露してもらえたんだから、私は幸せだわ」

「採れたてすぎてしんどいんだけど」

そう返した後、なんとなく付け足す。

「でもまあ、笑ってくれてありがと」

「おう。笑わせてくれて、ありがと」

そうしてまた、乾杯をした。

人生で一番恥ずかしかった経験を、すぐに大声で笑い飛ばしてくれる。そういう友人がひとりでもいるのだから、もうちょっとやってみようって私は思えるのかもしれない。

カツセマサヒコ 1986年生まれ。Webライターを経て、2020年に小説家デビュー。『明け方の若者たち』(幻冬舎)がベストセラーとなり映画化。ファッション誌での連載やラジオなど幅広く活躍中。Twitterは@katsuse_m


★次回は、2295号(4月13日発売)に掲載予定です。

カツセマサヒコさんの著者インタビューはこちら
https://ananweb.jp/anan/401437/

※『anan』2022年3月16日号より。イラスト・chii(SMALL WEST GARDEN)

(by anan編集部)