不登校、顔出し動画が会社バレ…ポケモン実況で人気・もこう、これまでの道のりを語る

2022.2.3
ポケモン実況というジャンルにおいて、唯一無二の存在感を放つもこうさん。ニコニコ動画で配信をスタートし、トレードマークのサングラスと感情を爆発させる“キレ芸”で視聴者を魅了してきた。声優や俳優など、活躍の場を広げるもこうさんだが、あくまで「自分はゲーム実況者」だという。物心ついた頃から身近にゲームがあり、小学生の頃にはニンテンドー64の『大乱闘スマッシュブラザーズ』『スーパーロボット大戦64』『ボンバーマン64』『ドンキーコング64』などのゲームを軒並みプレイ。のちに人生を変える『ポケモン』との出合いもその頃だ。

自分だけのポケモンを育成するのが好きだった。

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「『コロコロコミック』で、応募者全員に『ポケットモンスター 青』が当たる企画をやってたんですよ。カメックスがパッケージに描かれている特別バージョン。それを手に入れて。とにかく育てるのが面白かったですね。捕まえて、レベルを上げて、進化させる。自分の手で育てるから、他の子が持ってる同じ名前のポケモンとは違う。愛着が湧くんです」

『金・銀』も『ルビー・サファイア』も全てプレイ。どうやら育成ゲームが好きだったらしい。

「『ドラゴンクエストモンスターズ』でモンスターを配合するのも好きで、友達と“来週までに育成してどっちが強いか決めようぜ”って計画的にバトルしてました」

クラスではマスコット的な人気があったというもこうさん。しかし小5で極度の人見知りが襲う。中学に上がると部活の辛さも相まって潰瘍性大腸炎を患い、半年にわたり入院。復学の日を迎えたが、「あ、これ無理や」と不登校に。

「2ちゃんねるの掲示板とかで荒らしをしてました。あの正体って、だいたい行き場のない憤りを抱えた子どもなんですよね。そんなときに出合ったのがネット対戦ができるPCの『ぷよぷよフィーバー』。普通は階段積みでも5連鎖、6連鎖組めたらすごいのに、平気で10連鎖、19連鎖と打つ人がいる。ネットには有象無象のすごいヤツがおる! と、彼らに追いつきたくて猛練習を始めました」

対人ゲームの面白さにのめり込んでいったもこうさん。この頃からキレ芸の片鱗も見え始める。

「チャット機能があって、連鎖の発火中はヒマやから“返してみろよ雑魚!”って送るんです。引きこもりの中学生が、ネットでバトってんすよ(笑)」

進学したのは通信制高校。高2の頃に遊んだ『東方Project』の音楽に感銘を受け、ピアノを弾くようにもなった。やがて大学入試に挑むも、ほとんどの志望校に落ちてしまう。

「『ポケモンプラチナ』と『モンスターハンターポータブル2nd G』で遊んで、受験勉強を一切しなくて。予備校の先生に“浪人しても勉強せんだろうから、現役で入れるところに行きなさい”と言われて、奈良の大学に行きました」

時代の波にのり、次はYouTuberへ。

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入学と同時にひとり暮らしを開始。そこで実況に手を出した。

「ニコ動でジャック・オ・蘭たんさんとかしんのすけさんの実況をよく見てたし、憧れがあったんですよね。実家から持ってきたパソコンを繋げて、ネットで撮影方法を調べて、勢いで撮りました。それが『ポケモンバトルレボリューション』を実況した『第一回厨ポケ狩り講座!』です」

2009年5月にニコニコ動画に投稿した『ポケ狩り講座』は、初投稿動画でありながら、もこうさんの名を広く知らしめた名作だ。“厨ポケ”こと強いポケモンに弱いポケモンが挑むという企画で、シリーズ化され「マンダの流星群は強い」などの名言が誕生した。

「ネット対戦やとみんな強いポケモンばっか使うから、弱いポケモンで挑んだるわっていう正直誰でも思いつくコンセプトなんですけど、当時は“実況主=ゲームが上手い、強い”というのが前提やったから珍しがられて。あの日は、次の日の朝から授業があったんで、夜中の1時過ぎにポンッて上げてすぐ寝たんです。で、翌朝すっかり忘れて学校行って、帰って反応見たら想像以上で。それが始まりでしたねえ」

大学に友達がいなくても、動画を待っている人がいると思うと自信も湧き、バイトも始めた。動画が収益になる時代ではなかった。

「ニコ動の実況主は、みんな趣味でやってました。自己顕示欲が満たされれば十分だったんです。仕事しながらやるのが当たり前と思って、俺も普通に就職しました」

いつか東京に行きたいという漠然とした目標があったもこうさん。2013年の春に晴れて上京し、システムエンジニアになった。パソコンは得意だったが、慣れないメンテナンスやサーバー構築に追われるうち心が折れた。

「10か月で辞めました。再就職したときには“会社を辞めてもネットで食べていけるようにしよう”と考えてました。徐々にネットがお金になる時代になってきたんです。ヒカキンさんやシバターさんが登場して“YouTuber”っていう言葉も生まれて。これからはそういう時代なんやと察知して、ニコ動からYouTubeに動画を転載して、切り抜き動画もいち早く始めました」

2014年、顔出し動画が会社にバレた。上司は優しく「これは人生のターニングポイントだよ」と諭してくれた。もこうさんは退社を決め、YouTuberとしての道を歩き始めた。

「動画はとにかく数を上げるのが大事やと思って、より全力でやりました。『スプラトゥーン』が勢いなくなってきたら『シャドウバース』。コロナ禍では『あつまれどうぶつの森』。もう次々と」 

流行のゲームを追いかけても、やはり原点はポケモンだと言う。

「好きっていうのが大きいです。世界観はもちろん、いちばんは対戦ゲームとしての魅力ですよね。どんなポケモンも考えてあげれば絶対に勝てる可能性がある。さらに対人やから、相手によって今までやってたことが通用しなくなる。どう工夫したら勝てるか考えて育成するのもまたおもろくて。ここまで来られたのもポケモンのおかげやし、もう、ポケモンに足向けて寝られないです」

大切なゲーム

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『ぷよぷよフィーバー』
2004年発売。’03年に発売されたアーケード版をWindowsへと移植し、ネット対戦機能を付与。「フィーバーモード」のほかに『ぷよぷよ通』に近い「クラシックモード」も。©SEGA

次に遊びたい一本

『ポケモンレジェンズ アルセウス』
アクションとRPGが融合した『ポケモン』シリーズ最新作。物語の舞台は、人とポケモンの共存がまだ珍しかった遥か遠い昔。主人公は世界初のポケモン図鑑を作るため、のちにシンオウ地方となる“ヒスイ地方”へと冒険に出る。バトルにも新たな要素が追加され、これまでのシリーズとは一線を画すポケモンワールドが幕を開ける。絶賛発売中。「ついにポケモン図鑑が生まれた頃の世界が見られる。この号が出る頃にはめちゃくちゃ遊んでると思います!」

Entame

もこうの実況/チャンネル登録者数 133万人

  • 初めてやったゲームは?/『ぷよぷよ通』
  • 一番熱中したゲームは?/全ポケットモンスターシリーズ
  • 実写とゲームのバランスは?/実写はネタに困ったときの奥の手。本業はゲーム
  • 心がけていることは?/ゲーム以外の関係ない話をしない
  • 1日のゲーム時間は?/12時間

もこう 1990年、大阪府生まれ。2009年にニコニコ動画に初投稿し、’13年にYouTubeチャンネルを開設。サブチャンネル「とある漢のチャンネルもこう」も運営。声優の仕事では本名の馬場豊として活動。好きな野球チームはオリックス・バファローズ。
◎登録者数は1月20日現在

※『anan』2022年2月9日号より。写真・岩澤高雄(The VOICE) 取材、文・飯田ネオ

(by anan編集部)