崔実「#MeToo運動で言葉にできない自分を責めた」 自身の過去にも迫る新作

2020.11.6
人にはなかなか語れないことがある。それでも語ることで一歩踏み出す主人公、そして著者自身に心揺さぶられる崔実さんの『pray human』。デビュー作『ジニのパズル』以来、4年ぶりの新作だ。

時を経てようやく語られる心の傷。話題の新鋭作家、突き刺さる第2作。

book1

「『ジニのパズル』を書いた時、最初は少しだけ精神病棟の場面があったけれど削除したんです。その時、当時の編集長と“次は精神病棟の話を書いたらどうか”と話しました」

本作は17歳の時に精神を病んで入院した過去を持つ〈わたし〉が語り手。時を経て〈きみ〉に語りかける形でその日々を振り返り、さらに入院時代の仲間の一人・安城さんという女性と再会し思春期について語る。そこでは塾で受けた性的虐待の経験にも触れられて―。

「最初に精神病棟の日常を書いたのですが、行き詰まった時に編集者に“入院した理由に触れたほうがいいのでは”と言われ、また新たに入院するまでの話を書きました。でも掘り下げられなくて。どこか逃げていたんです」

日本で#MeToo運動が高まった頃だった。

「いろんな人が声を上げる姿に勇気づけられると同時に、言葉にできない自分を責めました」

そんな折ソウル国際文学交流会から登壇依頼が。

「作家たちがそれぞれ“なぜ書くのか”というテーマで英語のエッセイを発表して語り合う内容でした。英語なら書けるかもと思い、初めて思春期に受けた虐待のことを書いたんです。でも当日、いざ読もうとしたら声が出せなくなり。察したデンマークの作家が“大丈夫だよ、代わりに読むね”って。会場も“大丈夫、大丈夫”って拍手してくれた。その直後は読めなかった自分に落ち込んだけど、夜、作家たちと食事したら思っているより伝わっていると分かって。今なら日本語で小説を書けると思いました。そこからまた時間がかかりました(苦笑)」

最初につけたタイトルは『play human』だったという。

「精神病棟の話を書いた時に“人間のふりをする”という意味でつけました。でも思春期のことも加えたし、ここに出てくる人たちみんな誰かのため、自分のために祈っている。それでLをRに替えました」

〈わたし〉はつねに、誰かしらに語りかけているわけだが、

「思春期を書く時、精神病棟の話に出てきたあの子に話しかけよう、って思いました。安城さんについては、〈わたし〉とはいちばん仲が悪いですが、私はいちばん好き。親友でもないけれど敵でもない。優しい人じゃないから話しやすいこともある」

作中、幼い頃に教会で教わった「隣人を愛しなさい」「隣人を許しなさい」という言葉にも言及される。

「その言葉がすごく好きだったのに、塾での出来事の後、精神が真っ二つに引き裂かれた感じがありました。自分がふたりいる感覚があって、それで、引き裂かれたもうひとりの子を置いてきちゃったんです。自分自身を隣人にしてしまった。今は、隣人である思春期の自分を愛して許そう、という気持ちです」

ようやく声を出せた崔実さん。でも誰もがそうすべきとは思わない。

「声を上げないのは、それくらいの傷を負っているということ。無理してほしくない」。自身も、書き終えた直後は達成感はなかったという。

「雑誌に掲載された時は敗北感でいっぱいでした。でも本にするため読み返して直すたびに距離が生まれて、客観的に考えられるようになってきました。この闘いには意味があったなと、今は思っています」

book2

チェ・シル 1985年生まれ。2016年『ジニのパズル』で群像新人文学賞を受賞しデビュー。同作は芥川賞候補となったほか、織田作之助賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。本作が2作目。

『pray human』 17歳の時に精神病棟に入院していた〈わたし〉は、大人になり、大切な人に向けてはじめて語りだす。入院当時の日々、そしてその後再会した仲間に打ち明けた思春期の傷を―。三島由紀夫賞候補作。講談社 1500円

※『anan』2020年11月11日号より。写真・土佐麻理子(崔さん) 中島慶子(本) インタビュー、文・瀧井朝世

(by anan編集部)