便を漏らすことの恐怖…難病「潰瘍性大腸炎」を患い知る“生きづらさ”

2021.3.3
2~3か月下痢が続き、ある日便に血が混じるようになる。少し節制すると血便は止まるが1週間もするとまた同じ状態に。今度は節制しても治まらず、そのうち血だけが止まらないように―。 『絶望名人カフカの人生論』ほかの著作で知られる頭木弘樹さんの近刊『食べることと出すこと』は、大学時代にかかった難病・潰瘍性大腸炎との日々を記した体験記だ。

知らず見過ごしてきた違和感をあぶりだす、病の日々の記録。

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原因もわからないまま発症したことでの苦悶、点滴をしながら駆け込んだトイレで一歩間に合わず漏らしてしまったときの呆然、ひきこもり生活を強いたコントロールできない便意への恐怖……。完治しないといわれる難病が引き起こすエピソードを並べると読むのをためらう方もいるかもしれないが、淡々とした文体には悲惨なにおいはなく、どこかユーモアさえ感じられるほど。

「病気の話は面白く書け、というセオリーがあると聞いたことがありますが、実際の病気は本当に大変で面白くなんか書けません。ただ、心がけたのはできるだけ俯瞰な視点で書こうということです。チャップリンの言葉に『アップだと悲劇、ロングだと喜劇』というのがあるんですが、まさにそれです」

たとえば、たった数メートルが間に合わず自宅のキッチンで漏らしてしまったことを書いた文章の見出しは「便の海に立つ」――。ご本人の目線で便の様子やにおいをクローズアップで描くと生々しくて悲惨さが際立つが、引いた視点で、足元にできた便たまりの中で呆然と立ち尽くす男の姿は、どこかおかしみのあるイメージになる。そんな表現の工夫が本書を一種のエンターテインメントに仕上げている。

闘病することで初めて体験した身体の知覚(絶食後の味覚、ひさしぶりのシャワーの触感、激やせ後の風圧…)、どんな行為よりも激しく忌避されがちな「便を漏らす」ことに対する考察など読みどころはたくさんあるが、特に印象的なのは「食とコミュニケーション」について。

病気で厳しい食事制限を余儀なくされた頭木さんだが、会合などの場で「食べられない」と断っても「ひとくちだけでも」と皿を勧めてくる人々は多く、世間の「共食=良いこと」という固定観念の強さに戸惑ったという。

「普通なら、勧められたものはちょっと食べたりはするじゃないですか。だからなかなか気づかないと思いますが、病気だとずっと断らざる得ない。それでもまだ勧めてくる人がいて、初めて、ここまで共食圧力は強いのか、ということがくっきり浮かび上がりました。共食圧力については、健康な読者からも『食べたくないものを勧められるのが嫌だった』とか、『自覚していなかったけれど他人と食べることが苦手だと気付いた』という感想は多かったです」

病気を心の問題と決めつける声、不治の病という「解決策がないこと」の存在を認めたがらない態度…。他にも、病を経て頭木さんが感じた違和感はいろいろ。が、他者の“常識”を押し付けられることの息苦しさは決して他人事とは思えない。

「たとえば足が悪くなれば地面の凹凸に気付くじゃないですか。でも、その凹凸は足が悪くなる前からそこにあったわけで。それと同じように世の中にあるいろんな生きづらさに病気になったせいで気付いた。実は健康な人にとっても関係ある、そんなことを書きたかったんです」

病気を通じて、社会とコミュニケーションについて考えさせられる、刺激的な一冊、ぜひご一読を。

『食べることと出すこと』 難病で「食べることと出すこと」が普通にできなくなった著者の病気体験エッセイ。病むことで初めて気付いた事柄を、古今の文学の引用文を交えながら綴る。紀伊國屋書店の「キノベス!2021」7位。医学書院 2000円

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かしらぎ・ひろき 最近刊は自身も体験した「ひきこもり」を扱った作品のアンソロジー『ひきこもり図書館』(毎日新聞出版)。「本書で反応が大きかった『漏らすこと』のアンソロジーも出したいです」

※『anan』2021年3月10日号より。

(by anan編集部)